ジャズ作曲家・挾間美帆のクラシック遍歴(後編)

「ジャズ作曲家・挾間美帆のクラシック遍歴(前編)」では、作曲家としてのルーツとクラシックの関係、演奏家に求めることと今注目のプレーヤー、そして、小学生から高校生まで好きだったクラシック音楽を挙げてもらった。今回は、いよいよ、大学生から今日までのクラシック遍歴を語ってもらう。

――今まで話を聞いてて面白いと思ったのは、挾間さんって音楽から音楽以外の抽象的な情景や感情を感じてたり、そういう抽象的なものを敢えて取り出したりしながら楽しんでいたことです。

音楽的なここが素晴らしいとかは子供のころは全く考えてなかったですね。人生で初めて海外旅行に行ったのは高校3年生のころなんですけど、レスピーギの「ローマ三部作」のゆかりの地を回りたくて、ローマに行って「ローマの噴水」と「ローマの松」って二つの組曲の主要な場所を回ったりしました。カタコンベのアッピア街道に行って、そこでMDでその音源を聴くとか、「ローマの祭り」に「チルチェンセス」ってキリスト教徒が猛獣に殺される恐ろしい“祭り”曲があるんですけど、コロッセオに行ってその曲を聴くとかね。そういうことをしてました。

――大学生以降はどうですか?

大人になってからやっと、マーラーとか、ブルックナーがいいと思うようになりました。彼らの音楽はストーリー性はあるんですけど、展開が遅いから、せっかちな子供にとっては長い時間をかけてその曲のストーリーに入り込むことが難しかったと思うんです。でも、それができるようになったら、純粋に音楽として楽しむことができるようになりました。でも、ブルックナーとマーラーをやっと楽しめるようになったのはアメリカに留学してからだと思います。

ベルリンに行って(世界的な指揮者で、ベルリン・フィルの前音楽監督の)サイモン・ラトルを追っかけしていたときがちょうど彼がブルックナーに取り掛かっていたころだったので、ラトルが指揮をするベルリン・フィルを聴きに行って「ブルックナーってこんなにいい曲だったんだ」と思ったことがありました。それにサイモン・ラトルとベルリン・フィルの最後の共演はマーラーでしたね。

あと、たまたま旅行で友達を訪ねてウィーンに行ったことがあって。その友達の親戚がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のチューバ奏者なんですけど、彼が「リハーサルに入れてあげる」って言ってくれて。ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを必ずTVで中継する際にも使われる楽友協会でのリハーサル見せてもらったんです。指揮者のロリン・マゼールが健在な時で、ブルックナーの交響曲第八番をなんの細かい練習もせずに通して終わるっていう、これのどこがリハなんだろうってものを見せてもらったんですけど(笑)、楽友協会は木造だからブルックナーの音圧で地響きがするんです。そういう経験から、安易なストーリーを超えた衝撃で音楽を聴けるようになったんです。


大学3年生の夏休みにイギリス、Dartington International Summer Schoolに参加

――マーラーとブルックナーだったら何が好きですか?

そんな体験からブルックナーは交響曲第八番かな。どこがいいから聴いてくださいって詳しい説明は出来ないのですが…。マーラーは、やはり有名な「アダージェット」が入ってる「交響曲第5番」がいいんじゃないでしょうか。

個人的なことを言うと、サイモン・ラトルが音楽監督として最後にベルリン・フィルと共演したコンサートはマーラーの「交響曲第六番」だったので忘れられないですね。どうしてもこの目で見たくてベルリンまで行って、コンサートでは半分泣いてて最後のほうはよく覚えてないけど、ベルリンフィルのコンサートホールって奏者の真後ろにも客席があるんです。「交響曲第六番」は長い時間をかけて運命に立ち向かわなければいけない曲で、最後のほうの裁判の判決が下るってシーンで大きな木槌をがんって振り下ろしたりするんですね。ほぼステージと一体化している席の人々も含め観客全員がビクっとしたその空気感がとても印象に残っています。


クラウス・オガーマンがキーポイント!

――では、最後にジャズ作曲家になってからはどうですか?

クラウス・オガーマン(※ビル・エヴァンスやマイケル・ブレッカー、ジョアン・ジルベルトやトム・ジョビンなどの作品でオーケストレーションを手掛けた作編曲家)ですね。作編曲家のクラウス・オガーマンの純作曲作品をコレクションしようと思って、廃盤になっているものも含めて、手に入るものを集めて聴いているうちに「シンフォニック・ダンス」って曲に出会うんです。

その音源を聴いたときにすごく印象的だったのが、一か所だけオーケストレーションでは普通だったらやらない音が鳴っている気がしたんです。ギル・エヴァンスじゃないんですけど、トランペットの音域の上をホルンが吹いている気がして(※通常、ホルンはトランペットより音域が低いので上を吹くことはほぼない)。でも、実はまだスコアを拝見していないので正しいかどうかわからないんですけど、それが本当だったら、それをやったこの録音の人はすごく偉いし、実はその曲の別の録音もあるんですけど、それは全然それができていなくて、その曲の良さを殺している気がしたんです。だから、私にとって、そこはすごいキーポイントなんです。

8月にやる「NEO-SYMPHONIC JAZZ at 藝劇」のためにその曲のスコアを実際に手にすることができるんですね。しかも、東京フィルハーモニー管弦楽団にその曲を演奏もしてもらえる機会が巡ってきちゃったので、もうそこの部分だけは指揮者に「それが聴きたい」って全力でお願いに行こうと思っています。

――クラウス・オガーマンってそういう変わった作曲をよくする人ですか?編曲家としての仕事を聴いていても、そういうイメージはあまりないですよね。

わたしもそのイメージはないんです。彼のアイコニックな部分はハーモニーの使い方と、ストリングスの使い方だと思っていたので、彼のイメージに無い金管楽器のハーモニーの構築に工夫があるのかなと思うと、すごいときめくんですよ。トランペットの上をホルンが吹いていたらいいなと思ってる。これからスコアを見て確認したいんだけど、どうしよう、全然そうじゃなかったら。私の夢が…(笑。そうなったら、何かの手違いでその時の録音だけが素晴らしくなってしまっていたことになるんですけどね(笑)。


2007年山野ビッグバンドジャズコンテストで国立音大ニュータイドジ
ャズオーケストラが最優秀賞、自身はピアニストとして優秀ソリスト賞を受賞。

――クラウス・オガーマン以外だと誰が好きですか?

ヴィンス・メンドーサ(ジャズを中心にビョークやジョニ・ミッチェルなどの作品のオーケストレーションを手掛ける作編曲家。メトロポール・オーケストラの前首席指揮者)のジャズ・フィル・ハーモニック・オーケストラの書き方は非常に特徴があって好きですね。すごく夢のある音がするんですよ。ファンタジーみたいな、メリーゴーランドに乗ってるみたいな音がするんですよね。

――それは通常のオーケストラの楽器の編成なのに、そんな音がするってことですか?

そうです。使っている楽器は変わらないはずなのに、ファンタジックな音がします。


書き下ろしの新曲「ピアノ協奏曲第1番」

――ヴィンスみたいなファンタジックな音がするクラシックの作曲家っていますか?

ラヴェルは音の魔術師ってよく言われていて、色彩感が豊かで、魔法のような音がすると思うんです。でも、ヴィンスはちょっと違ってて、本当の魔法じゃなくて、メルヘンチックな、メリーゴーランドに乗ってる子供がかかる魔法みたいな、かわいい感じの魔法な気がするんです。ヴィンスには普遍的な個性があって「これは絶対ヴィンスだよね」ってわかるんですよ。一番わかりやすいのがジム・ベアードと一緒にやっているメトロポール・オーケストラとの『Revolutions』。このアルバムの中にはヴィンスの作品とヴィンスじゃない人が書いた作品が混じっているんですけど、どれがヴィンスかすぐにわかるんです。彼は音の使い方や色彩感が全然違うんですよ。

――『Revolutions』のジャケットって回転ブランコですよね。アートワークとも繋がっているんですね、なるほど。ヴィンスの話もそうですけど、ここまで音楽だけじゃなくて、その音楽が持つストーリーやイメージみたいな話をしてきました。では、それを踏まえて、「NEO-SYMPHONIC JAZZ at 藝劇」のために挾間さんが書き下ろした新曲「ピアノ協奏曲第1番」はどんなものになりそうですか?

一年前にも管弦楽作品を書く機会があったんですけど、その時はそういうことを全く考えないようにして作ったんです。アカデミックな部分で自分にとって新しい挑戦をしたくて。それまでに慣れ親しんだ手癖みたいなもので曲を作ってしまうと感じる時期があって、このままじゃいつまで経っても殻が破れないと思ったので、今までにアナリーゼ(楽曲分析)してなかった曲をアナリーゼしてみるとか、聴いたことがないような曲を聴いてそれがどういう構成になっているか、どんな和音になっているかを分析するとか、そういうところから自分を無理やり新しいところに置いていたんです。だから、その曲は手癖ではない心地よくないところに自分を持って行って作った感じの曲が出来上がってきたんですよ。


MSM concert マンハッタン音楽院大学院留学中の作曲科発表会

でも、「NEO-SYMPHONIC JAZZ at 藝劇」に関していうと、こういうコンサートを人生をかけてやりたいなってずっと思っていたものなんですね。その一番のモチベーションはラプソディーインブルーがいまだに最新の(シンフォニック)ジャズ音楽としてオーケストラに演奏されるってことが謎だなとずっと思っていたことです。だって、作られて初演されてから90年以上経っているわけですから。それが自分の中で納得がいかなかったのが一番の動機だったんですね。なので、「次世代のラプソディー・イン・ブルー」みたいなものがあったらいいのになって。「NEO-SYMPHONIC JAZZ at 藝劇」で自分のピアノ・コンチェルトに挑戦することになって、せっかくピアノコンチェルトを書くんだったら、「ラプソディー・イン・ブルー」に対抗できるようなものを書きたいなと思いました。再演してほしいし、長く親しんでほしいことを考えて書いています。

コンチェルトなので、1,2,3楽章ってオーソドックスな形式にすると思うんですけど、その中でもストーリーが見えやすくて、親しみやすい要素があることは意識して書けたらいいなと言う気持ちはあります。だから、ピアノを弾いてくれるシャイ・マエストロに寄せすぎるつもりはなくて、「ソリストがシャイだからシャイっぽい曲を書こう」ということではなくて、曲の中にカデンツァと呼ばれるソリストが自分で勝手にしていい場所があるので、そこはシャイに完全にお任せにしていこうかなって思ってます。今後、その曲をクラシックのピアニストが演奏できるような状態にもしたいから、将来的にはソロも書き譜にするかもしれない。この曲に関しては、長く演奏してもらえるようなコンセプトを一番に考えていますね。


狭間美帆はすごく面白い時期にある

挾間美帆は出てきたころから完成されているような音楽家だった。デビュー作『Journey to Journey』の時点で完成度が高くて、誰もが驚いた。ただ、あくまで「完成度」=クオリティーの話であり、彼女の音楽は「完成」したわけではない。一枚ごとにサウンドに変化があるし、彼女自身も一枚ごとに変化を語る。信じがたいことだが、ここまでの音楽を生み出していても、彼女にとってはまだまだ発展途上なのだ。

それにここ数年、メトロポール・オーケストラやWDR、DRビッグバンドなどヨーロッパの名門ビッグバンドとの仕事をはじめ、シエナ・ウィンド・オーケストラのコンポーザー・イン・レジデンスに就任したり、その仕事の幅もスケールもどんどん大きくなっていった。その延長上に、DRビッグバンドの首席指揮者への就任がある。


挾間美帆という名前で自身のバンドを率いて自身を表現するような作品を作るということだけでなく、さまざまな場所からオファーを受けて、与えられたテーマにもとづいて曲を書いたり、編曲をしたり、指揮をしたりということに関しても、設定されるハードルがどんどん高くなっていたのは想像に難くないが、それらもなんなく成功させている。

2018年の『Dancer in Nowhere』を聴いたときに僕は今までの彼女の2枚の作品に比べて、キャッチ―で、エモーショナルで、時々抽象的だなと思った。インタビューで彼女は「言葉にできないような感情を音楽で表現したい」というようなことを言っていた。『Dancer in Nowhere』にはこれまでのような彼女らしいハーモニーを駆使した色彩の豊かさやテクスチャーや奇数拍子を駆使したリズムなどよりも、そこに宿る情感を表出させたようなサウンドが印象的だった。バンドメンバー個々の演奏がそれぞれの声でそれぞれの主張を携えて迫ってくるようなパワフルさをもっていたのもこれまでの彼女の作品とは違っていた。デビュー時から挾間美帆には確固たる音楽性がある。でも、今の彼女は時にそこから離れたり、時に自身のイメージを突き崩したりしながら、もう一つ上の領域を目指しているように感じた。

つまり今、オファーにふさわしい仕事を積み重ねる部分と、自身の殻を破るようなチャレンジをしている部分が並行して進化している。例えば、長年の夢だったという自身のオリジナルの「シンフォニック・ジャズ」を書き、それを東京フィルが演奏するコンサートでは、彼女が積み上げてきたものが反映されるだけでなく、そこには今、彼女の中に蠢いているチャレンジングなマインドがもたらす閃きのようなものがどこかに鳴るのかもしれない。このインタビューでワーグナーやマーラーについて楽しそうに語っていたり、取材の合間にブラッド・メルドーの(これまでの彼にはなかったエモーショナルさを感じさせる異色作でもある)新作『Finding Gabriel』を聴きまくってた話をしていたり。今、挾間美帆はすごく面白い時期にあると、僕は感じている。


文/柳樂光隆
撮影/森山祐子

公演情報
NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇

コンサート全体の構成をプロデュースするのは、ニューヨークを拠点にワールドワイドに活躍するジャズ作曲家の挾間美帆。ジャズ界で最も権威のある米・ダウンビート誌が特集した”未来を担う25人のジャズアーティスト”において、アジア人で唯一選出されたジャズ界の逸材だ。今回の公演では、第一部でシンフォニック・ジャズの偉大な先達ガーシュウィンとバーンスタインの作品、さらにそのふたり以降の重要人物クラウス・オガーマンとヴィンス・メンドーサの作品を採り上げる。

会場:
東京芸術劇場コンサートホール
日時:
2019年8月30日(金)19:00開演(ロビー開場18:00)
※18:40から狭間美帆によるプレトーク開催
問い合わせ:
東京芸術劇場ボックスオフィス0570-010-296 (休館日を除く10:00-19:00)

公式ホームページ:http://www.geigeki.jp/performance/concert183/

PROFILE

柳樂 光隆

柳樂 光隆

1979年、島根・出雲生まれ。音楽評論家。元レコード屋店長。21世紀以降のジャズをまとめた世界初のジャズ本『Jazz The New Chapter』シリーズ監修者。共著に後藤雅洋、村井康司との鼎談集『100年のジャズを聴く』など。ライナーノーツ多数。若林恵、宮田文久とともに編集者やライター、ジャーナリストを活気づけるための勉強会《音筆の会》を共催。

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