ルー・リードやパティ・スミスが愛用するギターを作る職人のリック・ケリーのギター工房にビル・フリゼール、チャーリー・セクストンなどが次々と来店する光景だけでもすごいドキュメンタリー。ただこの映画はそんな音楽マニアを喜ばせるだけの映画ではない。
この映画はNYのグリニッチ・ヴィレッジのカーマイン・ストリートにあるギター工房「Carmine Street Guitars」の話。この工房は一風変わったギター職人のリック・ケリーがこれまた一癖あるリックの弟子シンディと、リックの母の3人で切り盛りしている小さな工房だ。
NYにある古い建物が壊されたり、建て替えられたりすると、そこへ出向いて廃材を手に入れて、それをボディーやネックに使っているのがここのギターの特徴で、全てのギターは一点もので、そのギターにはその材料の木材が元々どこで使われているかも記されている。つまりそのギターにはNYの街のどこかの建物の歴史が宿っていて、ギターとしての素晴らしさだけでなく、ロマンティックな物語にも思いを馳せることができるのが、ここのギターの素晴らしさでもある。
そして、そこではギターを作って売るだけでなく、どうやらリペアなどもやっているようで、ギターを買うためだけでなく、著名なギタリストたちが店を訪れてリックと話をするのがこの工房の日常になっている。そんな日常を淡々と1週間分記録したのがこの映画だ。
音楽的には、ギタリストたちが店内でギターを弾くシーンが垂涎もので、ジャズだとビル・フリゼール、ネルス・クライン、マーク・リーボウが出ていて、彼らが弾きなれたギターではなくこの店にあるギターを手に取って、弾きなれない楽器で飾らない演奏をしてくれるのがたまらない。他にも名手しか出てこないので、全ての演奏が隅から隅まで素晴らしいのは当然だが、それぞれのギタリストがパッとその場で渡されたギターをアンプ直結で弾いても、明らかにその人の音がするのが感動的だ。つまり素晴らしいギターのポテンシャルを活かしたからこその美しさと、一流のミュージシャンはどんな楽器を弾いても演奏者の個性が立ち上ることを教えてくれる。ギターを弾く人ならプロでもそうでなくても必ずやる街のギターショップでの試し弾きみたいな行為だからこそ見えてくるものをこの映画は記録している。
ただ、僕はあまり音楽映画としては見なかったのが本音だったりもする。この映画の中で店を訪れたギタリストたちがリックとする話は、言うまでもなくギターと音楽の話から始まるわけだが、あくまでも起点がギターや音楽なだけで最終的には音楽のことを知らなくてもわかるような「個人の物語」になっていく。ギターと音楽をきっかけにリックがギタリストたちの人生の物語を引き出す公開インタビューのようでもある。その話がいちいち深くて、射程距離が長くて、個々人のエピソードの中に普遍的なポイントが入っていたりするので、グッとくるのだ。
また、リック親子とシンディ、そして、この工房にも物語があり、それらが淡々と進む中で、少しずつ語られていくし、NYの街の物語も時折織り込まれる。それらが店を訪れたギタリストたちの話とうっすらと繋がったりもして、そういうのがじわじわと響いてくるので、淡々としていて、説明的なセリフや描写も少ないはずなのに、見終わったころにはなぜだか充たされた気持ちになる不思議な映画なのだ。
ちなみに今、NYは地価が高騰し続け、住宅の賃料も上がり続けている。僕はジャズ評論家なので、ジャズのメッカでもあるNYで活動しているジャズミュージシャン達に取材することも多いし、彼らの動向を追っているが、彼らがNYで暮らすことの大変さを語ることも増えてきたし、NYに見切りをつけて思い切って西海岸のLAなどに引っ越すミュージシャンもここ数年で一気に増えた。賃料の高騰で経営が厳しくなったり、契約の更新ができなくて閉店や移転を余儀なくされたライブハウスやレコーディングスタジオのニュースを見ることも何度もあった。僕はNYのライブハウスのサポートのためのクラウドファンディングに出資したこともある。常に新陳代謝が起こり続け、変化する街でもあるNYだが、近年の変化は常識の範囲を超えている。NYの文化にとって大切なものが失われて行く光景を見る機会も増えた。
この映画では「Carmine Street Guitars」の変わらない光景と、その変わらなさがもたらす安心感や、そこにあり続けることのありがたさを様々な人たちが讃える。変わらなさがもたらすゆったりとした時間が心地よく描かれる中で、うっすらと変わってしまうかもしれない予感のようなものも忍ばせてある。そもそもNYの古い建物の廃材からとった木材を全く別の役割へと再生させるようにしてギターを作るリックのスタイルは、変わり続け、どんな建物でさえ元のままでは残っていないNYの在り方を示している。チェルシー・ホテルやマクソリーズといった歴史ある名所の廃材を使いリックがギターを作るという行為そのものがリックの店でさえもNYの在り方からは例外ではないことを暗示しているとも言える。
そんなゆったりと時間が流れる変わらなさの豊かさと、変わりゆくことを宿命づけられているNYの街に店を構えていることの危うさ、そして、未来への希望を香らせる弟子シンディの存在などが、同時に流れることによる微かな緊張感がスパイスにもなっていることで、リックのギター工房の変わらない日常の美しさが際立っているように僕は感じた。
見る前は変なギター工房のおっちゃんに会いに変なミュージシャンが日々やってきて、かっこいいギターを弾くのを見るマニアックな音楽映画だと思っていたが、それはこの映画にとってはむしろそんなに重要じゃない部分なのかもしれないと思っている。
『カーマイン・ストリート・ギター』
監督:ロン・マン
出演:リック・ケリー ジム・ジャームッシュ ネルス・クライン カーク・ダグラス ビル・フリゼール マーク・リーボウ チャーリー・セクストン
配給:ビターズ・エンド
制作国:カナダ(2018)
上映時間:80分
8月10日より新宿シネマカリテ、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/carminestreetguitars/
柳樂 光隆
柳樂 光隆
1979年、島根・出雲生まれ。音楽評論家。元レコード屋店長。21世紀以降のジャズをまとめた世界初のジャズ本『Jazz The New Chapter』シリーズ監修者。共著に後藤雅洋、村井康司との鼎談集『100年のジャズを聴く』など。ライナーノーツ多数。若林恵、宮田文久とともに編集者やライター、ジャーナリストを活気づけるための勉強会《音筆の会》を共催。
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