#09 ベルギー演劇紀行⑥フランダースを牽引するアントワープのトネールハウス

#09 ベルギー演劇紀行⑥フランダースを牽引するアントワープのトネールハウス

世界的なベルギー出身のアーティストのほとんどが、この劇場で仕事をしてきたと言っても過言ではない。予算規模もフランダース随一のトネールハウスの芸術監督が、果たしてきた役割とは。

アントワープの街の中心に建ち、180有余年の歴史を持つボウラ劇場。現在この劇場を本拠としているのは、フランダース地方の演劇を代表する立場にあるトネールハウスだ。

トネールハウスの本拠ボウラ劇場。19世紀の木造建築で、当時の舞台機構もいまだ健在。(c)Fuji Filmclub

芸術監督は、2006年に就任したギー・カシアス(ヒー・カシールス)。戯曲より小説等の文芸作品の舞台化を好み、マルチメディアなど、ビジュアルを駆使した演出に定評がある演出家だ。イヴォ・ヴァン・ホーヴェやアラン・プラテル、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルらと同世代で、彼らとの親交も深い。

川端康成の同名小説をオペラ化した『眠れる美女』(2009年ベルギー王立モネ劇場初演)の台本・演出を手がけ、その日本公演のため、2016年に来日したこともある(振付がシディ・ラルビ・シェルカウイなのに見逃していた。痛恨の極み)。

この時の日本滞在は、得がたい思い出になっているという。特に日本公演に出演した長塚京三と原田美枝子が俳優として素晴らしかったので、もしも会うことがあったら、くれぐれもよろしく伝えてほしいと、取材時に言づかった。

その際、カシアス氏のノートに、長塚・原田両優の名前が記されているのが、ちらっと目に入った。おそらく日本人が取材に来るので、正確に俳優の名前を告げる準備をしておいたのだろう。誠実な人柄がしのばれて、ちょっとジンときた。彼のメッセージが、いつか両優に届きますように……。

このように、たいへん穏やかでやさしく、思慮深い印象のカシアス氏なのだけど、芸術監督に就任した際には、旧弊からの脱皮を企図して、大鉈を振るってみせた。

トネールハウス芸術監督のギー・カシアスは、とても穏やかで謙虚な人格者だ。(c)Vincent Delbrouck

従来の、ひとりの演出家とその常連俳優やスタッフのアンサンブルで構成されるヨーロッパの劇場システムを廃止して、複数の演出家による集団体制を導入。作品ごとに単独あるいは複数組の共同で創作を行い、出演者も作品に合わせてその都度選ぶ、というスタイルに改めたのだ。

「最初は猛反発をくらいましたよ。専属だった俳優からは激しく抗議されるし、新聞には『許しがたい行為だ』といった論調で叩かれました。つまり、それだけ革新的なことだったわけですが、今では、ゲントやブリュッセルもこのスタイルになり始めているし、フランスにも、その動きが出てきています。ドイツは頑固で、なかなか変わりませんけどね(笑)」

言われてみれば、NTゲントのミロ・ラウも、変革を謳って同様のシステムを掲げていた。その潮流を最初につくったのが、トネールハウスのギー・カシアスだったわけだ。

「12年前に蒔いた種が、育ち実って、フランダース全体の空気が変わってきたのを感じます。とてもオープンな体制になってきたことで、オランダ語話者ではないミロが、オランダ語圏の劇場の芸術監督になる日が来たわけですからね。

最近よく使われるグローカル(グローバル+ローカル)という造語がありますが、グローバルな視野を持ちつつ、劇場のある地元にしっかり根付いた作品創りをするには、このオープンで柔軟な姿勢が不可欠だと思うんですよ」

大きな港があるアントワープは、昔から移民率も非常に高く、街ゆく人々は多様性に富んでいる。俳優・スタッフが固定化しがちなアンサンブル制では、市民の実感する現実を反映した作品創り、および劇場機能は望めないというのが、改革を断行した大きな理由だ。

フランダース地方を牽引するリーダーらしく、あるべき理想を実現にこぎ着けたギー・カシアス。もうひとつ、彼が自身の肝いりで始めたプロジェクトについては、次回に。


PROFILE

伊達なつめ

伊達なつめ

Natsume Date 演劇ジャーナリスト。演劇、ダンス、ミュージカル、古典芸能など、国内外のあらゆるパフォーミングアーツを取材し、『InRed』『CREA』などの一般誌や、『TJAPAN』などのwebメディアに寄稿。東京芸術劇場企画運営委員、文化庁芸術祭審査委員(2017、2018)など歴任。“The Japan Times”に英訳掲載された寄稿記事の日本語オリジナル原稿はこちら

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