すぐれた美術のなかには、音楽を楽しむための大切なヒントが隠されていることが多いものです。今回は「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」(東京・六本木の国立新美術館は8月5日まで、大阪の国立国際美術館は8月27日から12月8日まで)より、音楽に通じる注目すべきポイントをご紹介します。
国立新美術館の「ウィーン・モダン」展は、オーストリア・ハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジアの登場にはじまり、20世紀初頭に帝国が終わるまでのウィーンの生活や文化を「近代化」という視点によって俯瞰しようというもので、そこには音楽関連の重要な展示も数多く、音楽ファンにとっては必見ともいうべき充実した内容である。
たとえば、フリーメイソンの集会の末席に仲良く座っているモーツァルトとシカネーダー(「魔笛」の台本作家)、シューベルトを囲む優雅な夜会の様子、ヨハン・シュトラウス2世の像、シェーンベルクやベルクの肖像画、ロダンの手によるマーラーの肖像など、作曲家の姿をしのばせるものも多い。
それ以外にも、市民の暮らしや風俗、建築を伝える展示がとても充実していて、「なるほど、こういう場所でウィーンの音楽は生まれ、楽しまれてきたのか」という具体的なイメージを与えてくれる。
ウィーンの音楽を理解する上で、特に重要な概念が、「ビーダーマイアー」である。19世紀初め、ナポレオン戦争が終わった後に、自由主義的な動きが委縮し、人々が小市民的な逸楽の世界に逃避した頃の風俗を指す言葉で、シューベルトの音楽と関連付けられて論じられることが多い。
今回の展示では、ビーダーマイアー様式の食器や調度品が展示されていたが、いまから200年前にしてはモダンで機能的なものが多く、現代でもヨーロッパのホテルなどではごく普通に見られるようなデザインばかりだったのが面白い。
これを見て思ったのは、シューベルトの時代に現代の私たちの暮らしの基礎となるような市民生活が形成されたとみていいのではないか、ということだ。つまり、シューベルトは、モダニズムの始まりに位置している。
戦争で焼失したクリムトの傑作のひとつに、女性たちに囲まれた夢幻的な雰囲気の「ピアノを弾くシューベルト」という絵があるが、なぜ他の作曲家ではなくシューベルトでなければならなかったのかは、興味深い問題である。
おそらく、世紀末ウィーンにとって、シューベルトは単に昔の大作曲家というだけにとどまらない、きわめて現代的な意味をもった象徴的存在だったに違いない。
クリムトやシーレの活躍した世紀末ウィーンを象徴する作曲家といえばマーラーであり、その後を継承して無調へと大胆に踏み出し、全く新しい美のあり方を追求したシェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンの3人(いわゆる新ウィーン楽派)である。
それは、20世紀の本格的な始まりであり、いわゆる「現代音楽」の登場でもあった。
「現代音楽」というと、やはり「難しくてよくわからない」という人と、「大好物で舌なめずりせずにはいられない」という人と、両極端に好みが分かれるかもしれない。
今回の展示では、このハードルを越えるための、理解へのヒントとなる作品が最後の方に置かれている。それが、作曲家シェーンベルクが描いた「グスタフ・マーラーの葬儀」(1911年)という絵である。
マーラーの死は、ひとつの時代の終わりであった。
それは、ロマン派の終わりであり、19世紀の終わりであった。
おりしもオーストリア・ハンガリー二重帝国は、孤独な老フランツ=ヨーゼフ皇帝のもと、ゆっくりと死んでいこうとしていた。
ヨーロッパ全土を史上初の大量殺戮へと巻き込む第一次世界大戦まであと3年。
滅びの不安と、マーラーの死は、どこかで重なってはいなかっただろうか。
「グスタフ・マーラーの葬儀」の実物を間近に見て、作品と一対一で対話することで得られるものはたくさんある。
空を覆う暗い雲。強風になびく木の根元には、マーラーの墓穴が深く掘られており、周囲には花が撒かれている。鳥肌のようにびっしりと薄気味悪い点々は、墓場の周囲の草むらか、葬儀の日に降ったという土砂降りの雨を示しているのだろうか。
作曲家としてだけでなく、世界的大指揮者としても有名だったマーラーの葬儀ともなれば、そうそうたるお歴々が居並んでいたことだろうが、誰が誰なのか、この絵からはわからない。それどころか参列者の姿は、みな顔はのっぺらぼうで、人間としての形をかろうじてとどめるだけで、ほとんど溶解している。顔も姿もはっきりしているのは、左端のひざまずこうとしている若い男性だけである。
この絵から伝わってくる異様な絶望感と喪失感。
涙のせいだろうか、人間が、風景が、溶けていく感覚。
もう、普通のメロディは、ここには似合わない。
ここから20世紀の新しい音楽が始まったと考えてみてもいいと思っている。
※推薦ディスク
「新ウィーン楽派の室内楽作品集」クレメラータ・ムジカ
https://www.universal-music.co.jp/p/uccg-52204/
現代を代表する名ヴァイオリニストのギドン・クレーメルらが中心となった世紀末ウィーンの室内楽作品集。マーラーの耽美的な「ピアノ四重奏曲断章」を収録。
「シェーンベルク:ピアノ協奏曲、他」内田光子(ピアノ)、ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団
https://www.universal-music.co.jp/mitsuko-uchida/products/uccd-4281/
暗く秘めやかで、妖艶でクールな音楽。同じウィーンでも、モーツァルトやシューベルトとはコインの表と裏の関係にあると言ってよい。
※「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展覧会ホームページ
https://artexhibition.jp/wienmodern2019/
【東京展】
会期:〜2019年月8月5日
会場:国立新美術館 企画展示室1E(東京・六本木)
時間:10:00〜18:00(毎週金・土曜日は、6月は20:00まで、7月・8月は21:00まで開館。※入場は閉館の30分前まで)
一般料金:1,600円
火曜休み
【大阪展】
会期:2019年8月27日〜12月8日
会場:国立国際美術館(大阪・中之島)
時間:10:00〜17:00(8、9月中の金曜・土曜日は21:00まで、10~12月中の金曜・土曜日は20:00まで開館。※入場は閉館の30分前まで)
一般料金:1,600円
月曜休み※ただし、9月16日、23日、10月14日、11月4日は開館し、翌日休館
林田 直樹
林田 直樹
音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。
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