ギンガというブラジルのギタリストが来日したので観に行ってきました。今までは知る人ぞ知る存在だったはずが、ここ数年、アメリカのジャズミュージシャンからも名前を聞くようになっています。21世紀になって世界的にも注目を集めるようになった68歳の魅力とは。
ギンガというギタリストをご存じだろうか。
ボサノヴァをはじめとして、かなりマニアックなものも含めて膨大な数のブラジルの作品を日本盤としてリリースしているこの国でもギンガの作品が国内盤でリリースされたという話を僕は聞いたことがない。
そう思って90年代から00年代までに発売されたブラジル音楽のディスクガイドを見ても、アルバムが一枚紹介されている程度で実に地味な扱い。たしかに伝説的なシンガーのエリス・レジーナに1曲提供していた経歴はあるものの、目立ったキャリアはない。
それもそのはず、ギンガは本職が歯科医でその合間に地道に音楽活動をしていた人だったからだ。それにゆえに作品数も多くなく、活動は控えめ。それに、ギター演奏と作曲があまりに個性的だったことも、アンダーレイテッドになってしまった理由でもあった。しかし、90年代以降、活動が活発になると彼の音楽の魅力を発見するアーティストが徐々に増えてきた。近年ではブラジルでもギンガの名前を口にするアーティストが増えてきたこともあり、世界的に知名度が上がりつつある。
ジャズ・ベース奏者でヴォーカリストでもあるエスペランサ・スポルディングもギンガからの影響を口にする一人。僕がギンガのことを気にするようになったのは、エスペランサの発言がきっかけだった。
そんなギンガが女性ヴォーカリストのモニカ・サウマーゾらとともに初来日したというので観に行ってきた。
その日はギンガの曲をモニカの歌と二人の管楽器で演奏するライブだったのだが、ギンガの曲がすごく不思議な曲でとても興味深かった。常識が通じないと言ってもいいくらいに、予想を裏切るような曲ばかりで、メロディーがここでそのまま上がるかなと思ったら突然下がったり、そろそろ盛り上がるかなって思っててもそのまま終わったり、突然違う曲を繋ぎ合わせたかのように大胆に変化したり。僕の頭の中はかなり混乱していたと言ってもいい。
ただ、それが不自然かというと決して不自然ではないのだ。例えば、そのメロディーは明らかに歌いづらいもので、相当上手いはずのモニカでさえそのテクニックを最大限に使って何とか歌っていたと思うし、それは伝わってきていた。にもかかわらず、その違和感は感じつつも、なぜだかさらっと聴けてしまうのだ。そして、その不思議なメロディーや曲だからこその微妙なニュアンスの情感が生まれていて、そこに惹きつけられるのだ。喜怒哀楽のどれでもなく、その中間だったり、もしくはそれらが入り混じったマーブルなものだったり。その何とも言えない情感はライブが終わってからもずっと頭の中に残っていた。まるで魔法にかけられたみたいであり、キツネにつままれたようでもあった。
ギンガは彼にしか書けない色合いの模様みたいなものを音で描けるような音楽家なのかもしれないなと思った。そして、ギンガのような人の評価が高まっているのは、そんなマーブルでしか表現できない情感だからこそ、共感できる人が増えているからなのかもしれない。つまりギンガは21世紀に求められる表現を20世紀からずっと奏でてきたのだ。
柳樂 光隆
柳樂 光隆
1979年、島根・出雲生まれ。音楽評論家。元レコード屋店長。21世紀以降のジャズをまとめた世界初のジャズ本『Jazz The New Chapter』シリーズ監修者。共著に後藤雅洋、村井康司との鼎談集『100年のジャズを聴く』など。ライナーノーツ多数。若林恵、宮田文久とともに編集者やライター、ジャーナリストを活気づけるための勉強会《音筆の会》を共催。
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