#03 ギャディスの『JR』を舞台化した若者たちに会ってきた

#03 ギャディスの『JR』を舞台化した若者たちに会ってきた

ベルギー出身の若いクリエイター集団FC Bergmanがヨーロッパで旋風を起こしていると聞き、最新作を観にパリへ。彼らが手がけたのは、ジェイムズ・ジョイスを彷彿させると称され、ついに日本語の翻訳が昨年末に出版されたウィリアム・ギャディスの『JR』だった。

『JR』(ウィリアム・ギャディス著、木原善彦訳)が第五回日本翻訳大賞を受賞したとのこと、おめでとうございます。 

なんともタイムリーなことに、今回パリに出かけたいちばんの目的は、このやっと日本で翻訳が出たギャディスの大著(訳者あとがきまで含めると939ページ)を舞台化した演劇作品を観ることと、そんなことを思いつき、実現してみせた注目の集団、FC Bergmanの面々に会うことだった(と言いながら、離日前に『JR』を読了するはずだったのにまだ冒頭部分で滞っているわが身の不甲斐なさ……)。

2008年にベルギーのアントワープの演劇学校在学中の仲間6人で結成され、現在はそのうちの4人で共同創作を行っているFC Bergmanは、30代前半の自信に溢れた若者たち。基本的に視覚重視でせりふの無い作品を創っており、ふつうの劇場で上演するのが難しいくらい、スケールの大きな装置で度肝を抜く作風で評判になっている。

FC Bergmanはつねに4人で脚本・演出・美術・照明等を手がけている。左からジョエ・アーへマンス、ステフ・アールツ、マリー・ヴィンク、トーマス・ヴェルストラーテン。
FC Bergmanはつねに4人で脚本・演出・美術・照明等を手がけている。左からジョエ・アーへマンス、ステフ・アールツ、マリー・ヴィンク、トーマス・ヴェルストラーテン。

『JR』も、四方を客席に囲まれた中央に4階建てのセットを建て込み、4階+4面でドラマを同時進行させてゆく。物理的に1面しか見えない観客のために大きなスクリーンが設置されていて、実際には、映画を観ながら、目の前で展開するライブの人間の営みをチラ見する、というような体験だった。

メンバーのひとりステフ・アールツは、『JR』を読んだ際に「まるで映画だ」と感じ、映画的表現を中心にしたビジュアル化を思い立ったという。
『JR』4階建て×4面の舞台装置。 中央階の右の方で行われているライブの会話劇をカメラがとらえ、上階のスクリーンに投影している 。 (c) Kurt Van der Elst

メンバーのひとりステフ・アールツは、『JR』を読んだ際に「まるで映画だ」と感じ、映画的表現を中心にしたビジュアル化を思い立ったという。

金融界の寵児になるJR少年の通うロングアイランドの学校から、ニューヨークの地下鉄のホームや電車の中まで。原作の膨大な情報量と過剰な人間たちの行為を、敢えてひとつのキューブにぎゅっと詰め込んだ装置は演劇ならではで、カオスを傍観する楽しさに満ちている。

さらに、せりふ量も非常に多い。これは、ふだんせりふを用いない彼らが、せりふ劇に挑むにあたり、「どうせやるならせりふだらけにしてやれ!」という発想で、敢えてそうしたとのこと。フラマン語もフランス語(字幕)もわからない当方は、「音」として耳慣れない言語を聞くのみだったけれど、言語がわかる人たちにとっても、追いつくのがかなり大変な速度と密度なのだそうだ。こうして、つねに過激さを追求するのが、FC Bergmanの身上らしい。

いつかは日本にも彼らの作品を持ってきてほしいと思い、ある劇場のパンフレットを見せて、施設の紹介をした。すると、目を引くコンサートホールの巨大なパイプオルガンを見て、ステフが言った。
「ギャディスのデビュー作『認識(The Recognitions)』は、パイプオルガニストの話なんだよ」
おっと、それは聞き捨てならないステキな情報。まずは近い将来にぜひ、『認識』の翻訳も実現しますように。

【蛇足】いや、その前に「『JR』を読了しろ」ですよね。今回観劇したことで翻訳のありがたみをさらに痛感しており、帰国後に続きを読むのが楽しみでたまりません。

PROFILE

伊達なつめ

伊達なつめ

Natsume Date 演劇ジャーナリスト。演劇、ダンス、ミュージカル、古典芸能など、国内外のあらゆるパフォーミングアーツを取材し、『InRed』『CREA』などの一般誌や、『TJAPAN』などのwebメディアに寄稿。東京芸術劇場企画運営委員、文化庁芸術祭審査委員(2017、2018)など歴任。“The Japan Times”に英訳掲載された寄稿記事の日本語オリジナル原稿はこちら

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