トニー賞が6月9日(日本時間6月10日)に発表される。今年、新作ミュージカル部門で最優秀作品賞にノミネートされたのは『ハデスタウン』、『トッツィー』、『エイント・トゥー・プラウド』、『プロム』、『ビートルジュース』の5作品だ。2016年にミュージカル「ハミルトン」が勝って以降、一作品に高い評価が集中し、発表前からどの作品が受賞するか判ってしまっていたが、今年は様子が違う。優秀なミュージカルが出揃い、接戦が楽しめる。華やかな舞台の裏側では、プロデューサーや広報による激しい競争が行われていることだろう。
どの作品も甲乙付け難いが、トニー賞で最優秀作品に選ばれ、その他の部門賞も数多く獲得しそうな3作品を紹介したい。
まず『ハデスタウン』。演出、脚本、助演男優、オリジナル楽曲、装置デザイン、照明デザインなど14部門でノミネートされている。ギリシャ神話を投影して現代的に仕上げたミュージカル作品。舞台は昔のニューオリンズなどのアメリカ南部の富豪の屋敷を改造したようなバーだ。工夫に富んだ立体的な大道具や、珍しい照明デザインに目を奪われる。せり上がりや盆舞台も豊富に取り入れられている。地の底にある死の世界や、それをモチーフにした炭鉱で働く坑夫のシーンでは、スモークが頻繁に使われ、現代の物語が神々の語りと調和し、観ているこちらを詩の世界に引き込む。楽曲はフォーク・ロックにソウル・ミュージックやブルースを含む多数の異なるスタイルとジャンルが盛り込まれていて新鮮だ。
作品はヘルメスというバーの仕切り役が、ストーリーの進行役を務めている。ヘルメス(エルメス)はバッグのブランドとして有名だが、ギリシャ神話では神々と読み手の間で、客観的な解説を交えながらメッセージを伝える役割を与えられていることがある神様だ。演ずるアンドレ・デ・シールズは、50年の長きに渡って俳優、演出、作家、振り付けをしてきた73歳の大ベテラン。演劇では始まりのところで如何に観客の心を掴んでストーリーに引き込むかが非常に重要だ。ネタバレになってしまうので詳細は語れないが、幕が上がりアンドレ・デ・シールズがゆっくりと登場し、見事に観るもの心を掴む技は一見に値する。また運命の三女神が唄うアカペラの迫力と歌唱力も楽しんでもらいたい。
冥界の王ハデスは、妻にしようと地上世界からペルセポネをさらってきた。一方オルフェイスは恋人エウリュディケを追って冥界へ赴くが…。それぞれの神々は、人間的な弱さから愚かな選択をしてしまう。そんな彼らに観客の気持ちが自然と寄り添う。手の込んだジョークに笑ったり、アメリカ的豪華さを楽しむ、というよりは、洗練されたセンスと芸術性に浸れる作品に仕上がっている。
次に紹介する『トッツィー』は、1982年に大ヒットしたコメディ映画のミュージカル版。主演男優、助演女優、オリジナル楽曲、衣装デザインなど11部門にノミネートされている。ストーリーは短気な男優である主人公マイケルが、演技への想いと自我の強さから、ニューヨークの舞台ディレクターと喧嘩をしてしまうところから始まる。そんな性格が原因で業界から嫌われて仕事口を失ってしまった彼は、女性に変装し、女優としてオーディションに行くことを思いつく。その結果「彼は絶対に雇わない」と宣言していた演出家のミュージカルに、看護婦役として出演することが決まる。女性になりすましているのだから、正体がばれないように謙虚に振る舞うのだが、そうすると必然、彼が発する演技への思いや作品への意見は、慎重で分別のある伝え方になり、おもしろいように採用されるようになる。そうこうしているうちに駄作だったミュージカルは、たちまちニーヨークで評判となる。ブロードウェイはその才能を讃え、彼は一躍有名女優となる。だが試験公演を続ける間にマイケルは、一緒に演じる女優に恋をしてしまう。彼女は彼に同性としていろいろなことを打ち明け、素晴らしい親友だと思っているのだが…。
耳に残るメロディーに、同じくらい耳に残る歌詞が乗っかり、見事に合体している。ジェスチャーや台詞はもとより、歌詞にまで冗談が散りばめられていて終始笑いが絶えることはない。女装を知っているのは、本人とルームメートのジェフだけだが、突然の訪問者に、素早く彼が着替えたり、あわててジェフがカツラを片付けたりするなど、二人の間の取り方が絶妙で、ステージ上の狭いニューヨークの部屋をあっちに行ったりこっちに来たりする動作に、笑い転げてしまう。
主演賞にノミネートされたサンティノ・フォンタナが、低く鋭利な歌声のマイケルと、フルートのようなソプラノを出す女優との間を、さりげなく行ったり来たりするのも見事だ。このサンティノ・フォンタナは、2010年、スカーレット・ヨハンソンの相手役として『橋からの眺め』の試験公演中に、喧嘩のシーンで舞台上のテーブルで強く頭を打って意識を失い、結局は同作品に戻れなかった。それについて今年1月、彼にインタビューした時、次のように答えてくれた。「事故の後、台本を覚えるのは一苦労でした。長い間リハビリと記憶訓練をしました。自分の頭が自分の思い通りにならないのは、辛いことです。でも、あの体験のおかげで自分は変わったと思います。それまでの僕にとっては有名になることや認められることが、とても重要でした。でもあの時不安でいっぱいだった僕は、いろんな人に支えられ、人との関係や心の触れ合いの大切さが、身に沁みる毎日を過ごしました。だから今、家族や友達、そして観客一人一人の心に近づくことが、僕にとって何よりも大切なことなのです」と。
『プリティ・ウーマン』や『ゴースト』 など大ヒットした映画を舞台化すると、客の呼び込みが望める。だが一方、元の映画と比較されがちで、高い評価を得るのも難しい。しかしミュージカル『トッツィー』はそれに成功したいい例となるだろう。理屈抜きで楽しめるので、ミュージカルを観たことがない人にもお薦めできる。
最後に、演出、衣装デザイン、音響デザイン、振り付け、編曲など9部門でノミネートされている『エイント・トゥー・プラウド』を紹介する。この『エイント・トゥー・プラウド』は、1960~1970年にかけて次々とヒットを飛ばしたモータウン・レコードのテンプテーションズの歴史を、ヒット曲に乗せてテンポ良く紹介するジュークボックス・ミュージカルとなっている。
テンプテーションズの成功は、一夜にして成ったわけではない。一幕目では、デトロイト界隈のクラブで歌っていた彼らが、モータウン・レコードの創立者ベリー・ゴーディにより巨大なスーパースターとなっていく過程が描かれている。人種差別が色濃く残っていたその時代に、如何にして黒人歌手グループが、白人の世界に受け入れられたのかを見るのは興味深い。二幕目では名声と富を手にした彼らを描く。しかし恋愛問題、長期ツアーの疲れ、残した家族との隔たり、スポットライトを一身に受けたいという思い等が彼らを内側から蝕んでいく。そして苦しみから逃れるために手を出した麻薬や酒のせいで、次第に一人、また一人とグループに留まれず去っていくのだった。
結成後20年の間に24人のメンバーが入れ代わったテンプテーションズだが、この作品内では主要な4、5人のメンバーの入れ替えだけが描かれている。その都度、新メンバーが新しい風を吹き込み、メガヒットを生み出し続ける彼らの弾力性と回復力には脱帽する。まさにレリジリエンスだ。メンバーが変わっても以前と勝るとも劣らないレベルで歌って踊って演技ができるという3拍子の揃った俳優達が、次から次へとステージに登場してくる。才能が集まるニューヨークならではの贅沢な作品で、ブロードウェイの底力を感じざるを得ない。テンプテーションズのヒット曲を、生で、しかも圧倒的な歌唱力と踊りで見られるという、モータウン・ファンにはたまらない作品となっている。
以上で3作品の紹介は終わるが、今年のブロードウェイ全体の傾向を一言でいうと「ダイバーシティ」だろう。昨シーズンまで社会の動きに呼応して、多様性やポリティカル・コレクトネスの必要性をテーマとした作品が増えつつあった。それが今シーズンに入り、テーマとしてではなく作品そのものに定着しつつあるようにみえる。『ビー・モア・チル』や『ハデスタウン』では、珍しく主役にアジア人がキャストされ、アーサー・ミラー作の『みんな我が子』の姉妹は、白人と黒人が演じていた。『プロム』では、プロムに行くのをPTAから阻止されるLGBTの高校生が主人公だった。『リア王』ではジェンダー(性別)を意識せず、タイトル・ロールとグロスター伯爵を女優が演じた。同作品では身体障害者も差別せず、聴覚障害を持つ俳優が手話通訳士と一緒に出演していた。また『オクラホマ!』では、車椅子上で演じた障害者アリ・ストーカー(助演女優賞に今回ノミネートされた)が演じていた。観客の反応はピンからキリで「ここまでしなくても…」という声もないわけではないが、これがブロードウェイなのだろう。
ちなみにトニー賞は1947年に始まったイベントで、当時はニューヨークの劇場界でその年の業績や偉業に賞を贈る小さな祝賀会のようなものだった。それが73年後の現在では、30を超す部門別に業績を讃える大イベントとなった。選定は脚本家、演出家、プロデューサーなどの創作関係者と、舞台裏の労働組合代表者、プレス、キャスティングディレクターなど、米国を基盤に全世界で活躍する約850人余りの投票に拠っている。トニー賞を受賞したミュージカルは長期上演になるのが常だ。今年の新作ミュージカルは、それぞれ面白さと個性を持っているので、どれもお薦めだが、初演時のオリジナル・キャストで観られればそれに越したことはない。できれば夏休みでの早めの観劇をお薦めする。
文/井村まどか
photo by Matthew Murphy 2019
井村まどか
井村まどか
ニューヨークを拠点に、ブログ「ブロードウェイ交差点」を書く。NHK コスモメディア社のエグゼクティブ・プロデューサーで、アメリカの「ドラマ・デスク賞」の審査・選考委員も務める。 協力:柏村洋平 / 影山雄成(トニー賞授賞式の日本の放送で、解説者として出演する演劇ジャーナリスト)
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