#01 レジェンドは健在だった

#01 レジェンドは健在だった

国内外の劇場で観たもののことや、取材の際に感じたことなど、つらつら記してゆきます。演劇、ダンス、オペラ、ミュージカルetc.。舞台で繰り広げられるものには、何にでも首つっこみますのでよしなに。

otocotoのリニューアルに先立って、バレエ界のレジェンド、マニュエル・ルグリに、ものすごく久しぶりにインタビューした。https://otocoto.jp/mekiki/manuellegris/

目利きインタビュー「バレエ界のレジェンド、マニュエル・ルグリに聞いた新境地」より 撮影/根田拓也
目利きインタビュー「バレエ界のレジェンド、マニュエル・ルグリに聞いた新境地」より
撮影/根田拓也

その前、最後に取材したのは、まだ彼がパリ・オペラ座バレエ団の現役バリバリの頃だったから、たぶん15年以上前のことだと思う。その後ルグリは、オペラ座バレエを2009年に定年(当時は男性45歳、女性40歳だった。現在は男女ともに42歳)で退団し、翌10年にウィーン国立バレエ団の芸術監督に就任。来年、その任期を終えることになっている。 

今回、これだけの歳月を経て接したことで、ルグリが変わったところと、まったく変わっていないところ。その両方が見て取れて、感慨深いものがあった。 

まず「変わったなあ!」と率直に驚いたのは、会見など公の場で英語を話していたこと。そもそも生粋のパリジャンで、パリ・オペラ座バレエの誇りとエレガンスを背負って立つ存在だったルグリには、フランス語しか話さないというイメージが、強固にあった。だから公用語が英語のウィーン国立バレエにあっても、当然それを貫いているものと勝手に思いこんでいたのだけれど、違ったのだ。聞くところによると、やはり英語は苦手だったところを、自ら努力して流暢に話せるようにしたらしい。大スター、しかも不惑を過ぎてのこの姿勢に、頭が下がる。 

一方、変わっていないのは、その言動の明快さだ。何を聞いても、ルグリは適当にかわすような答え方をしない。以前も、振付はしないのか尋ねると「振付の才能はない。あればもっと若い時からやってるはず」とか、いつまで舞台で踊るかについて「プリセツカヤ(★)のように見世物みたいになってまで踊っていたくはない」と語ったりして、そのクリアな物言いが、実に心地よい人だった。 

そして今回。新作も含めて2作品で55歳とは思えないキレのある踊りを見せ、ダンサーとして新たな領域に入ったのでは、と今後の可能性を問うた際も、
「いや、今日は絶好調だったけど、明日はわからないし、もう踊りたい振付家の作品はぜんぶ踊ったから悔いはない」 
とキッパリ。でも、才能ある新たな振付家も出てきているし、彼らに興味はありませんか? としつこく水を向けても、
「いや、もう歳を重ねたから、新しい振付家に、たとえばいきなり頭と首をうんと捻じ曲げられるとか(笑)、自分の中にない身体の動きを求められて、疑問を持たずにすんなりそれができるかといったら、難しいと思うよ」 
と、気持ちいいほどに言い切った。現実を直視したら、確かにそれはそうだろう。ちょっと残念に思う反面、「そうそう、これぞルグリ節」と、かつての記憶が甦って、うれしくもなった。 レジェンドは、努力を重ねて進化しつつ、ブレずに健在だったのだ。

★プリセツカヤ……マイヤ・プリセツカヤ(1925─2015)ロシア生まれのバレエダンサー。20世紀を代表するプリマ・バレリーナで、晩年まで代表作の『瀕死の白鳥』を踊り続けたことでも有名。 

【近況というかおまけ】そう言いつつ、まだ踊ってくれることを期待しています。

PROFILE

伊達なつめ

伊達なつめ

Natsume Date 演劇ジャーナリスト。演劇、ダンス、ミュージカル、古典芸能など、国内外のあらゆるパフォーミングアーツを取材し、『InRed』『CREA』などの一般誌や、『TJAPAN』などのwebメディアに寄稿。東京芸術劇場企画運営委員、文化庁芸術祭審査委員(2017、2018)など歴任。“The Japan Times”に英訳掲載された寄稿記事の日本語オリジナル原稿はこちら

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