#07 平成とジャズ:ジャムバンド

#07 平成とジャズ:ジャムバンド

クラブジャズ、メインストリームについて書いた流れで、平成に起こったジャズのムーブメントとしての「ジャムバンド」について書いてみたい。あの頃、多くの人が即興演奏の魅力に気付くきっかけになったジャズにとっても重要なムーブメントなはずだからだ。

平成の間のジャズのムーブメントと言えば、ジャムバンドも欠かせない。

もともとはグレイトフル・デッドやオールマン・ブラザーズ・バンドなどの長尺な即興演奏を聴かせるロックバンドに起源をもつカテゴリーで、その後、フィッシュやワイド・スプレッド・パニック、ストリング・チーズ・インシデント、モーなど、様々な人気バンドが生まれた。グレイトフル・デッドの『Dick’s Picks』やフィッシの『Live Phish』といったジャムバンドの代表的なバンドがリリースしていたオフィシャル・ブートレッグのシリーズを聴くと曲の中に長尺な即興演奏があったり、決まった楽曲を演奏するというよりはその場で誰かが鳴らしたリズムやフレーズをベースにしたセッションがあったりで、これらのムーブメントが「ジャム」(=JAMとは本格的な準備や、予め用意しておいた楽譜、アレンジにとらわれずに、ミュージシャン達が集まって即興的に演奏をすることである。Wikipediaより)と名付けられた理由がわかる。

90年代ごろから頻繁にメディアに取り上げられ表面化し、大きく盛り上がったこのムーブメントは「ジャム」という共通点をもとに拡大解釈されていき、ダーティー・ダズン・ブラスバンドのようなニューオーリンズのブラスバンドから、ギャラクティック(とメンバーのスタントン・ムーア)のようなファンク系も加えられたり、その流れで、サン・ラ・アーケストラやエルメート・パスコアル、更にはオーネット・コールマンのプライム・タイム周辺やデファンクトなどのフリーファンク系、ジェイムス・チャンスなどのポストパンク系のような過去のアーティストたちもそのルーツとして脚光を浴びたりもした。

そうなってくると、日々、即興演奏を行っている現行のジャズミュージシャン達も無縁ではなくなる。そこで注目されたのがメデスキ・マーティン&ウッドだった。フリージャズをも思わせる即興演奏とノリのいいグルーヴが人気を集め、ジャズの枠を超えジャムバンドシーンを代表する存在にまでなり、ブルーノートと契約。1998年には『Combustication』をリリースし、当時のジャズシーンのオルタナティブを代表する存在に。1998年にはジャズ・ギターの巨匠ジョン・スコフィールドのアルバム『A Go Go』に参加し、ジョン・スコフィールドがジャムバンドのシーンで再評価されるきっかけを作り、ジャズシーンの台風の目にもなった。日本でも2002年にメデスキ・マーティン&ウッドをトリに据えたフェスのTrue People’s CELEBRATIONが成功を収めている。


(左上から時計回りに)グレイトフル・デッド『Wake Of Flood』、フィッシの『Undermind』、メデスキ・マーティン&ウッド『TONIC』、『シャックマン』

メデスキ・マーティン&ウッドが「ジャムバンド」という枠組みで「ジャズ」を聴くという前例を作ったことはその後、オルガンを中心としたソウルジャズ系のバンドのソウライブのブレイクと、同じように彼らが2001年にブルーノートと契約し『Doin’ Something』をリリースする流れを作った、と言っていいだろう。

メデスキ・マーティン&ウッドがここまで広く支持され、大きな成功を収めたのは、彼らの音楽性にジャズだけでなく、同時代のロックやヒップホップ、アヴァンギャルドな実験音楽など、幅広い要素があり、それを即興による生演奏の中に自然に織り込んでいたからだろう。それは彼らの出自を見ればわかる。NYのアンダーグラウンドな音楽のメッカでもあったニッティング・ファクトリーやトニックなどで活動していて、そこにはジョン・ゾーンのようなフリージャズから、マーク・リーボウやアート・リンゼイ、ショーン・レノン、ヴァ―ノン・リード(リヴィング・カラー)など、あらゆるジャンルのミュージシャン達がいたからだ。メデスキ・マーティン&ウッドのメンバーはラウンジ・リザーズやジョン・ルーリーといったパンク以降のオルタナティブなジャズを代表する界隈とも活動していたし、ターンテーブルを使って即興演奏に介入しようと試行錯誤していた奇才DJロジックとも交流があった。後にDJロジックはジャムバンドシーンをまたにかけて活動するキーパーソンになっていき、メデスキ・マーティン&ウッドのアルバムにも参加している。そこには身体を揺らしながら楽しむようなパンクやニューウェイブ、ヒップホップ以降のリスナーのための即興音楽としての「ジャム」があったのだろう。

実はロバート・グラスパー・エクスペリメントの最初のライブがニッティング・ファクトリーで行われていたりする。改めて振り返ってみると、このシーンには今を読み解くためのヒントが埋まっている気がする。

PROFILE

柳樂 光隆

柳樂 光隆

1979年、島根・出雲生まれ。音楽評論家。元レコード屋店長。21世紀以降のジャズをまとめた世界初のジャズ本『Jazz The New Chapter』シリーズ監修者。共著に後藤雅洋、村井康司との鼎談集『100年のジャズを聴く』など。ライナーノーツ多数。若林恵、宮田文久とともに編集者やライター、ジャーナリストを活気づけるための勉強会《音筆の会》を共催。

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