今回は少し箸休め的な話題を。 いまでも時々思い出す――クラシック音楽は他のジャンルと比べて、どう違うのかということについて、ある確信を持った日のことである。
確か2002年だったと思う。いまから17年前のことになるだろうか。マガジンハウスの雑誌『ブルータス』でジャンルレスな音楽特集をやるので、参加して欲しいと話があり、編集会議に出かけて行った。
すると、そこでは20人くらいのさまざまなジャンルの音楽ライターや評論家が集まっていて、好き勝手に意見を言い合う場になっていた。
編集部の担当者は二人だけで、流れを取り仕切ることに徹し、あとの外部ライターたちは、「いま、何が一番新しいか?」を自分のジャンルを代表して主張しあうというカオス的な状況だった。
話を聞いていると、どのジャンルもすごくおしゃれでかっこよくて、新しいことがたくさん起きているという印象があり、聞いたこともないようなアーティストの名前がバンバン出てきて、クラシック音楽代表の私としては、何だか気後れするような感覚を味わった。
自分の発言の番が回ってきた。
思わずこんな意味のことをしゃべった。
「いかに新しいか?いかにすぐれて同時代的であるか?ということは、確かにそのジャンルを生き生きとさせる、必要不可欠なテーマだと思います。各ジャンルの専門のお話、とても興味深く拝聴しました。
でも、いまみなさんのお話をうかがっていて、改めて思ったのは、クラシック音楽の場合、最も古いものでは9世紀頃にまでさかのぼり、中世、ルネサンス、バロックから近現代に至るまでの、約1000年もの間に作られてきた音楽を対象としているということにこそ、独自性があるんじゃないか、ということです。時間的な射程距離が恐ろしく長いのです。
いかに新しいかはクラシック音楽でも大切な要素ですが、むしろそういった遠い過去を探求することにこそ、クラシックの魅力があると思います」
『ブルータス』のようなカッコイイ雑誌の編集会議で、いかに今これが新しいかを論じあっていた音楽ライターたちの議論に、何だか水を差すような発言をしてしまったのかもしれない。
だが私は不思議な手ごたえも感じていた。
これでいい。もっと過去へとさかのぼろう。そのスリルが、いつか「新しい」ということにつながるはずだ。
会議が終わった後、一風変わった雰囲気の女性ライターが笑顔で近づいてきて、こう言った。
「ねえ、わたしと一緒にジャマイカに行かない?」
初対面で、そんな誘い方をするなんて、何て変わった人だろうと思った。
彼女は名前を切石智子といった。
アフロ・キューバ・ダンスのダンサー、小説家、ラテン・ミュージックの音楽評論家として、「ブルータス」でも最も面白い文章を書く、重要なライターの一人だと、編集担当者から後で教えられた。
その翌年、彼女は突然亡くなったと知らされた。
結局、ジャマイカの件も、うやむやに終わった。
だが、その後で、私はキューバやメキシコや中南米諸国にも素晴らしいクラシック音楽がたくさんあることを、以前よりももっと強く意識するようになった。
時間的に過去にさかのぼるだけでなく、地理的にもどんどん広げていくこと。
地球上のどこにでも古い音楽はあり、それらは深いところでつながりあっていること。
それを自由に探究できる可能性があることも、クラシック音楽の楽しさである。
それを象徴する名盤を最後にご紹介しよう。
現代を代表するフランスのピアニスト、ピエール=ロラン・エマールの名盤「アフリカン・リズム」である。2003年のリリースと少し以前のものだが、アフリカのピグミー族の伝統音楽と、20世紀の前衛音楽とを対比させるそのインパクトは、いまもなお新しい聴き手に強い感銘を与えるに違いない。特にトラック15のスティーヴ・ライヒ「木片の音楽」は、ピアノの鍵盤で刻む透徹したリズムと音色に驚かされる。
こういう姿勢こそが、いまのクラシック音楽の面白さである。
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林田 直樹
林田 直樹
音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。
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