国立新美術館とスイス・バーゼル美術館との共同企画により、ドイツを拠点に世界的に活躍するアーティスト、イケムラレイコの過去最大規模となる個展が開催されている。 イケムラは三重県津市に生まれ、1960年代に「政治の季節」のまっただ中で少女時代を過ごし、大阪外国語大学でスペイン語を専攻した。1973年には単身スペインに渡り、セビリア大学でアカデミックな美術の基礎を学ぶ。その後スイス、ドイツと居を移し、長年にわたり現代美術界で高い評価を受けてきた。 「群れを離れたライオンがいつも違う場所で眠り、狩りをするように、1人で闘ってきたのかもしれません」 かつてのインタビューで語ったように、拠点を移す度、それまでの言語を一度手放し、新しい言葉で堅牢なヨーロッパ社会に向き合いながら、イケムラは独自の作品世界を築いてきた。異国の東洋人というエキゾティシズムを武器にすることなく、あくまで正統な美術史の担い手として、その王道を志高く歩んできたのである。 日本の美術館では初の個展となった2011年の回顧展から7年余。たゆまず創作に人生を傾けるイケムラに話を聞いた。
「2011年の個展は、人との関わりを意識し、自分の人生を顧みる契機ともなる大切な展覧会でした。今回はより大きな視野で世界を見ています。私が度々描く“少女”が闘って成長してきたことを感じ、秘められた私のメッセージを読み取ってほしい。現代の政治的・社会的問題に対して、判断ではなく感覚で、PC(political correctness)でなくポエジーで捉えたいのです」 展覧会は、イケムラの創作活動の多角的な局面を、16のインスタレーションの集合として構成している。建築家フィリップ・フォン・マットが空間構成を手がける広大な展示空間は、テーマ別のブロックを超えて、互いにつながりあうように設計された。観客は順路にとらわれることなく、1つの空間から次へと動き、佇み、観ることができる。ときには中央の広場のような大展示室で休憩し、そこからまた思い思いの方向へ自由に散っていけるのだ。それは(かつてEUが目指した)人と経済と文化が自由に行き交う理想郷のメタファーにも思えた。
「ヨーロッパに拠点を置いていても、常に考えるのは東洋的な哲学です。そこには始まりも終わりもなく、死は再生につながる、対立ではなく循環にもとづく世界観と歴史認識があります。この展覧会では、しなやかにつながり、視界がひらける空間をつくる、その態度こそ私のアートの表明であると考えました。観る人々が受け身でなく、作品と共に呼吸できる空間を目指しています」 壮大なスケールの展示空間のなかで、これまで手がけた全てのシリーズを網羅しながら、気ままに歩みを進めるにつれてビビッドに彩りを変える構成には、隅々まで成熟した詩性が宿るようだ。 力強い描線が尖りきった烈しい自意識を示す、新表現主義的な初期のドローイング。薄闇から曖昧な輪郭を現す、精霊のような少女たちを描いた絵画や彫刻。さらにイケムラ自身の自由で豊潤な言語感覚に満ちた詩が、全編にわたって散りばめられている。 なかでも特筆したいのは、1980年代から手がけているテラコッタや陶器の作品を集積したインスタレーションだ。人や動物や架空の生きものたちを思わせるオブジェが、古代遺跡の土中から発掘されたばかりの土偶のように、無垢なとぼけた姿で林立している。
「80年代のヨーロッパでは、陶芸はまだ正統な美術でなく、工芸と見なされていました。私は物事には多極的な見方があると考えているので、コンセプチュアルなアートワークではできないことを陶芸の創作に求めたのです。土の触感と共に、肌に沿って何かが生まれてくる過程はスリリングで、人為的に〈出す〉のではなく自然に〈出てくる〉感じ。絵画で発揮される理性を離れて、埋もれていた知性が解放され、作品に浸透します。その神秘性は本来の身体や精神に近いものと感じています」 遡れば、1970年代にスペインを基点にイケムラが創作活動を始めたとき、現代美術のメインストリームで闘うための1つの戦術として、さまざまな取捨選択をする必要があった、と彼女は語る。 「無鉄砲だったこの時代のことは40年の間わざと忘れてきました。(当時主流であった)コンセプチュアル・アートのアプローチを捨て、違う道を生きたのです。それは生に密接した、より私的な感覚でした。私は“こうあるべき”という考えを信じません。人も芸術も常に〈変転〉するもの。猛々しさではないしなやかな強さを信じて、世界にアクセントをつけながら、鮮やかに展開していくアートを追求したいのです」
1990年代以降、イケムラが旺盛に世に送り出してきた作品は、まさに大きく変転する社会構造のなかで、密やかに預言的なイメージを提示してきた。 あるときは屹立し、昏倒するうつろな少女。無言で佇む母と子。ハイブリッドな幻想の生きもの。か弱きものたちの姿には、生者と死者が共存し、あちらとこちらの世界をするりと通り抜ける「媒介」のような力が働いているようにも思える。そこには、これから生まれいずる未知のものたちを受け入れる、愛おしく、狂おしい、啓示にも似た想念が宿る。
2011年に東京国立近代美術館と三重県立美術館で開催された「イケムラレイコ うつりゆくもの」展以降、イケムラは破綻しかけた現代の社会構造に向き合う態度をより強く意識してきた。本展のクライマックスには、その大局的な世界観を神話のような風景として表現した、近年手がける大型絵画の展示室が現われる。 「第1の展示室にある、四季折々の生命の循環を示すコンセプチュアルな作品は学生時代にすでに始まっていたアプローチですが、それが種となって現在につながりました。その頃、すでに生命の哲学が自分のなかにあったんですね。神話的風景を描くことで、千年、億年単位で生命の起源に心の拠り所を求めようとしています。人間の原型は1つであり、理解し合うことは可能であると、普段から身に沁みて感じながら生きています。いま世界は矛盾に満ちていますが、それを動かすのは〈力〉じゃないと思っています。〈浸透〉によって新しい風が吹き寄せ、空気を入れ替えてくれると」
ここでは最新作《うねりの春》に注目した。同シリーズの他の作品に比べ、生きとし生けるものを温かく包み込む血のような薔薇色が印象的だ。イケムラはこう語る。 「女体や母性にも通じる色、燃え盛る季節の色ですね。いまのやりきれない現状に、躍動と明るさを与えたく思います。生命と自然がしっかりつながり、生存の意味を見いだせればと望みます。自分の創作の綜合的なものであり、境界を越え、世界を越えて宇宙的感覚を目指しています。過去を括るのではなく、自己の美術家としての意識も含めて、未来志向です」 名もない生きものや母子たちが、おおらかな原始の自然の懐で護られた風景にぐるりと囲まれたとき、えも言われぬ安寧と共に、先行きの不透明さをも霞たなびく未来像に吸収してしまう、イケムラの強靭で柔らかな批評性を目の当たりにした。そこには、未だこの世界に出現していない多種多様な命のもとに降りてゆく、イケムラの正直な内省と予感が深く染み込んでいる。 ときに「芸術家というよりも媒介のような存在」と自身を呼ぶイケムラレイコは、常に呼吸を合わせながら、共に生きる時代を見届けたいと思える、数少ない作家の1人である。
取材・文/住吉智恵 撮影/森山祐子 英語翻訳/田中クレア
イケムラレイコ
1951年、三重県津市生まれ。ドイツ在住の美術家。大阪外国語大学スペイン語学科中退、スペイン・セビリア美術大学に入学、ファインアート科を専攻。その後、チューリッヒ(スイス)、ニュルンベルクを経て、1980年代前半からは、ベルリンとケルンを拠点に活動。絵画、彫刻、ドローイング、水彩、版画、写真など手がけるメディアは多岐にわたり、扱うモチーフ(小さな動物や無垢な少女、母と子、神話的な風景など)や社会に向き合うメッセージ性に共感する女性ファンも多い。
イケムラレイコ 土と星 Our Planet
会期:2019年1月18日(金)〜4月1日(月)
休館日:火曜日
会場:国立新美術館 企画展示室1E
住所:東京都港区六本木7-22-2
開館時間:10:00〜18:00(金、土曜日は20:00まで)
※入場は閉館30分前まで 料金:一般1000円/大学生500円/高校生以下無料 http://www.nact.jp/exhibition_special/2018/Ikemura2019/
アートプロデューサー、ライター。東京生まれ。慶応義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。1990年代よりアート・ジャーナリストとして活動。2003〜2015年、オルタナティブスペースTRAUMARIS主宰を経て、現在、各所で現代美術とパフォーミングアーツの企画を手がける。2017年、Real Japan実行委員会を発足。芸術、文化のレビューwebメディア『RealTokyo』ではコ・ディレクターを務める。
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