20世紀を代表する指揮者・作曲家のレナード・バーンスタインは、単に巨匠というだけでなく、ひとつの時代を作った総合的音楽家であった。ここではバーンスタインの業績を簡単に振り返ってみたい。この7月はバーンスタインが最晩年の1990年に札幌で創設した国際教育音楽祭、パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌(PMF)の第30回が開催中である。札幌がいまもなお守り続けているバーンスタインの精神とは一体どんなものなのだろうか?
20世紀最大の音楽家のひとり、レナード・バーンスタイン(1918-90)が亡くなって、29年がたつ。来年2020年は没後30年である。
それが何を意味するかというと、生きたバーンスタインの音楽をライヴで体験したことのある人が、よほど早熟な人を除いて、40歳以下の世代にはほとんどいないという事実である。プロの音楽関係者の中にさえ、バーンスタインがどんなにすごいやつだったか、肌感覚として、実感を持たない人が当然出てきている。
そういう意味で、私は少し焦りを覚えている。
いわゆる歴史上の人物として、バーンスタインが急速に忘却されていくような気がするからだ。
よくいる「巨匠」(この形容は、あまりにも濫用されすぎて、随分軽い言葉になってしまった…)のひとりとして、バーンスタインが片付けられることほど、悲しいことはない。
好き嫌いの問題ではない。
バーンスタインは、ひとつの時代を作った人であり、音楽と人類の未来を切り拓くために、これからも常に参照しなければならない、灯台のような存在だと思うからだ。
1)指揮者として
生前のバーンスタインは、途方もないカリスマ性をもった華やかなスターであり、戦後のクラシック音楽界において、カラヤンとともに世界を二分する大指揮者だった。1985年のイスラエル・フィルとの来日公演で、アンコールに一人ステージに呼び出されてきた、マントを羽織ったバーンスタインの姿が、どれほど圧倒的な魅力にあふれていたか、一生忘れられない、という人は多いのではないだろうか。
指揮者としてのバーンスタインの最大の功績は、ベートーヴェンに匹敵する最大の交響曲作家として、マーラーを蘇らせたことにある。特にウィーン・フィルへの影響は絶大だった。人間の混沌や苦悩や歓喜をすべて包括し、世界全体を体現するものとして、マーラーの重要性をバーンスタインほど強く示そうとした人はいない。
2)作曲家として
ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」の作曲家としても有名なバーンスタインだが、近年は他の作品の再評価もどんどん進んでいる。3曲の交響曲、ミサ曲、オペラ的な要素をもつミュージカル「キャンディード」「オン・ザ・タウン」、バレエ音楽「ファンシー・フリー」、映画「波止場」(エリア・カザン監督、マーロン・ブランド出演、1954年制作)の音楽など――演奏の機会も増えている。
その特徴は、現代のアメリカを思わせる混沌と矛盾と迷いをそのまま含もうとした点にある。クラシックを踏まえつつ、ジャズ、ロック、民族音楽など様々なジャンルにも興味を示して貪欲に吸収し、あらゆる要素を作品に反映させた率直さは、大きな魅力である。
3)教育者として
バーンスタインは、早くから「ヤング・ピープルズ・コンサート」などの企画で子供たちに直接語り掛け、メディアを通じて多くの人々に、音楽の奥深さを熱心かつ雄弁に説いた最初の人だった。若い音楽家たちを育て、支援することにも積極的だった。最晩年のバーンスタインが、人生の残り少ない時間を何に捧げるかを自問し、そのあげくに選び取ったのが、国際教育音楽祭としてPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)を創設し、大切なものを次世代に伝えようとすることであった。世界中から優秀な若手演奏家をひと夏の間に集めてPMFオーケストラを結成し、国境や言語や文化の違いを超えてコミュニケーションを図りながら、プロも若手も一緒になって音楽を作るというものだ。バーンスタインにとって教育とは、未来と平和のための行動という重要な意味があった。
なぜバーンスタインが単なる巨匠という以上に偉大な音楽家だったかというと、上記のように「総合的な存在」であったこと、そして思慮深い言葉をたくさん生み出すことのできる「哲学者」でもあったからではないだろうか。
バーンスタインは根っからの平和思想家であり、民主主義者であった。
彼の著作を集めたアンソロジー集「バーンスタインわが音楽的人生」(岡野弁訳、作品社)からいくつかの言葉を引用してみる。
「ただ一人でも、不法な目にあった人は、不法のもとになった制度全体を無効にすることができる」
「人は相手の尊厳を愛する以外に、自分の尊厳は保持できない」
「愛とは最も深いところで個人的に意思を通い合わせる手段である。芸術にできることは、この意思疎通を広げ、拡大し、幅広くより多くの人たちに届けることである。この点で、芸術には温かい核、熱を伝える秘めたる要素が必要である。この核がなければ、芸術は単なる技巧の練習課題か、芸術家への注目の呼び掛け、あるいは虚しい展示品にすぎない。私は、その内部に帯びた温かみと愛ゆえに、芸術を信じている」
バーンスタインが1990年の第1回PMFのときに札幌で語った言葉からも、ひとつ引用する。
「もしあなたが『自分は音楽家になるべきだろうか』などという疑問を持つなら、その答えは絶対に“ノー”です。
というのは、あなたがそれを尋ねたからです。まるで禅問答のようですが、あなたが疑問を持つがゆえに、答えが“ノー”なのです。
あなた自身が音楽家になりたいから、音楽家なのです。そして誰もそれを止めることはできません」」
バーンスタインの精神を守り続けているPMFは、札幌の宝である。夏の北海道旅行のついでに、ぜひ一度はPMFを訪れてみてはいかがだろうか。
公演情報
第30回 PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)
■札幌、苫小牧、函館ほか公演
会期:7月4日〜7月31日
会場:札幌コンサートホールKitata ほか
■東京公演
日時:8月1日
会場:サントリーホール
■川崎公演
日時:8月2日
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
問い合わせ(全国):0570-000-777
公式サイト https://www.pmf.or.jp/
「バーンスタインわが音楽的人生」(岡野弁訳、作品社)
「音符と同じほど心から言葉を愛してきた」というバーンスタインらしい、力強く美しい言葉の数々が本書の中にきらめいている。
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バーンスタイン公式youtubeチャンネルより
バーンスタイン「ウェスト・サイド・ストーリー」より「サムウェア」(一部)
マリリン・ホーン(メゾソプラノ)、レナード・バーンスタイン指揮。オペラ歌手たちにミュージカルを歌わせ、その音楽性を改めてアピールするきっかけとなった名盤から。
マーラーのアダージェット(交響曲第5番より)についてピアノを弾きながら語るバーンスタイン
ピアニストとしても一流であり、音楽をわかりやすく語るバーンスタインの魅力がこの短い動画からも感じられる(字幕なし)。
林田 直樹
林田 直樹
音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。
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