アスリートにとってオリンピックで金メダルを獲ることは、栄光あるゴールであり人生の最大目標であるかもしれないが、演奏家にとってコンクールで優勝することは(あるいは予選で敗退することは)、一種の勝ち負けではあっても、必ずしも「結論」を意味するのではない。新たなスタート地点に立つことに過ぎない。
これまで、たくさんのコンクールの優勝者や上位入賞者を見てきて思うのは、彼らがそれで注目を浴びるのは一時的なことで、次のコンクールでより若い才能がまた出てくれば、世間の耳目はそちらに移ってしまうということだ。
音楽家としての本当の勝負は、そのあと10年、20年、30年、40年…と長く演奏活動を続ける中で、自己の音楽をどうやって充実させていくかに尽きる。
確かにコンクールは華やかである。
特にチャイコフスキー国際コンクールのような場合は、ロシアの国家的威信を賭けた壮大なイヴェントであり、錚々たる名ピアニストや名教師を揃えた審査員が、その判断に絶大な権威を与える。
勝負事というのは、誰にでもわかりやすい面白さがあり、ドラマを作り出し、日頃クラシック音楽に関心を持たない多くの人々まで巻き込む、強い力を持っている。
最近のコンクールはどこもインターネットによるライヴ映像配信を積極的におこなっており、第16回チャイコフスキー国際コンクールも、現地の模様をリアルタイムの動画で無料で楽しむことができるようになっていた。演奏の前後、司会進行、評論家や演奏家のコメントなど、すべてが臨場感豊かなエンターテインメントとして演出されていた。
ピアノ部門のファイナル、セミファイナルをいくつか聴きながら思ったのは、例え勝負事の素材であったとしても、コンクールであろうが何だろうが、そこで鳴っているのはまぎれもなくチャイコフスキーやラフマニノフの音楽そのものであって、世界中の人々が固唾をのんで、真剣な演奏に聴き入っているという事実こそが素晴らしい、ということであった。
コンクールの場であっても、やはり主人公は音楽作品であり、若い演奏家たちによって、どんな風にそれらの曲がみずみずしく新たな生命を得て蘇るか、その音楽こそが大事である。
今回、ピアノ部門では日本の藤田真央が第2位に選ばれた。
第1位はフランスのアレクサンドル・カントロフ。前評判の高かったカントロフは、本選でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番という重量級の難曲を並べる野心と気迫を見せ、リスクを冒してでも「勝ち」を獲りに来たという印象だった。それで結果を出したのだからさすがである。
一方の藤田は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番という正統派のチョイス。純粋に音楽する喜びに満ちた笑顔が爽やかで、柔らかく豊かな音色も魅力的。観ていて心洗われる気持ちになった。アクの強さではなく、素直さと高い技術の調和に、多くの聴衆が魅了されているのが、ネット中継を通してもよく伝わってきた。
ひとりの演奏家にもし注目したら、ぜひ、気になるその人を長く聴き続けるということをやってみたいものである。点ではなく線で、追いかけてみよう。年月とともに、その演奏家がどう進境していくかを感じるのも、クラシックの楽しみ方のひとつである。
第16回チャイコフスキー国際コンクール公式サイト
https://tch16.medici.tv/en/
各参加者の予選から本選までの演奏がすべてオンデマンドで視聴可能。無料。
【第16回チャイコフスキー国際コンクール】ピアノ部門・最終審査結果
◆ピアノ部門
第1位 アレクサンドル・カントロフ (フランス)
第2位 藤田真央 (日本) 、 ドミトリー・シシキン (ロシア)
第3位 アレクセイ・メルニコフ (ロシア)、 ケネス・ブロバーグ (アメリカ)、 コンスタンチン・エメリャノフ (ロシア)
第4位 ティアンス・アン (中国)
第5位 該当なし
第6位 該当なし
※チャイコフスキー国際コンクールは、1958年にソ連が国家的行事として創設。4年に一度開催され、若手演奏家の登竜門として、世界に名だたる演奏家を輩出してきた、最も権威あるコンクールのひとつ。「ピアノ」「ヴァイオリン」「チェロ」「声楽」 に加え、今年から管楽器 (木管楽器・金管楽器) 部門が新設された。第16回は2019年6月17日から27日まで、モスクワとサンクトベテルブルグで開催された。
林田 直樹
林田 直樹
音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。
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