フランスの新鋭ミカエル・アース、 繊細さの秘密は“女性の視点”だった

ミカエル・アース

現在公開中の映画『アマンダと僕』が秘かなブームを呼んでいる。繊細でみずみずしい感性で日本を席巻している監督、ミカエル・アースに映画についての考えかたをインタビューした。

2018年秋に開催された第31回東京国際映画祭で観た作品の中で、『アマンダと僕』は間違いなく最も琴線に触れた作品だった。フランスのミカエル・アースの長編第3作である。日本ではまだ1本も作品が公開されていなかったためほとんど無名だったが、その繊細でみずみずしい、詩的な語り口にすっかり心を奪われた。

『アマンダと僕』
『アマンダと僕』 ©️2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINEMA

テロ事件で仲のよかった姉を失ったダヴィッドは、シングルマザーだった姉のひとり娘である7歳の姪アマンダの面倒をみることになる。やはりテロで傷ついた恋人との関係、便利屋という不安定な職業で見えない未来、そんなニート世代の青年が突然、父親代わりになれるのか。愛する人を失った深い哀しみと喪失を乗り越えて、それでも続く人生を生きる青年と少女の絆の物語だ。

アマンダ役の少女イゾール・ミュルトリエのナチュラルな笑顔と泣き顔に心を掴まれた。この少女をキャスティングできるとは、アース監督はなんという才能だろう。さっそく監督にインタビューすることにした。

アース監督は「アマンダ役にはこなれた演技をする子役をキャスティングしたくはありませんでした。道や学校や体育教室の前でビラを配り、オーディションに呼び込む“ワイルド・キャスティング”をやったんです。イゾールもその方法で見つけました。彼女は演技経験がありませんでしたが、最初からとても自然な演技のできる子でしたよ」

アマンダ役の少女イゾール・ミュルトリエ 
アマンダ役の少女イゾール・ミュルトリエ  ©️2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINEMA

主演のヴァンサン・ラコストとイゾールの相性もよく、ふたりが寄り添う健気な姿はいつまでも心に残った。

昨年に続き2度目のインタビュー

それから8か月、日本公開を前にしてフランス映画祭2019に参加するため、ミカエル・アース監督は再び、来日した。今回は、ダヴィッド役のヴァンサン・ラコストも一緒である。ラコストは、ミア・ハンセン=ラヴの『EDEN/エデン』(14年)などに出演後、大ヒットコメディ『VICTORIA』(16年、日本未公開)で大ブレイクしたが、シリアスな作品での主演はこれが初めてだという。

「この映画は、冒頭から哀しい悲劇で始まります。なので優美さ、軽さ、輝きがあるような人が必要でした。ヴァンサンはこれらすべてもっていました。この映画は、最後には光があたります。ヴァンサンとイゾール・ミュルトリエの存在によって、この映画は人々に受け入れられるものになっていると思います」

ダヴィッド役のヴァンサン・ラコスト
©️2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINEMA

アース映画にとって“音楽”の持つ意味とは?

「彼らは、私が頭の中で描いていた音楽性を持っていた」とアースはキャスティングのポイントを語る。そう、彼にとって“音楽”は大きな意味をもつ。

「そうですね、音楽は私にとってなによりも身近で大切なものです。私は、映画がなくても生きていけますが、音楽がないと生きていけないと思います。私にとって音楽で大切なのは、メロディです。ロックを中心にどんなジャンルも聞きますが、もし一番重要なミュージシャンは誰かと聞かれれば、ビートルズですね。ビートルズのメロディ・ラインは完璧です。

私は、映画にも音楽的なリズムやトーンが必要だと思っています。いつもものを書く時も音楽を聞いています。今も次作の脚本を書いているのですが、ダスティン・オハロラン(※ソフィア・コッポラの『マリーアントワネット』などの映画音楽も手がける)のピアノ・ソロのアルバムを聞いていますね。『アマンダと僕』の脚本を書いている時は……奇妙なことに何も聞いていなかったですね」

ミカエル・アース

ミカエル・アースの“奇跡的”なところは、悲劇や不幸が物語の核にありながらも、その作風は決して暗くなく、むしろ観てから数日立つと、まるで美しい恋愛映画だったかのような、きらめきと清涼感が残ること。

『アマンダと僕』の日本公開をきっかけに、未公開だった前作の『サマーフィーリング』の公開も決定したが、こちらも夏を舞台にした喪失の物語である。

ベルリン、30歳のサシャは急死し、あとには恋人のローレンスとフランスに住む妹のゾエが残された。ベルリン、パリ、そしてNY。3度の夏を通して描かれる愛する者を失った喪失からの再生。青を貴重にした映像、きらめくような夏の太陽と風。『アマンダと僕』と共通のテーマを扱った、美しく詩情溢れる作品だ。

「まず夏というのは、実用的な面があります。光があるのでライトを足さなくていい、スタッフも機材も少なくてすみます。私自身、軽いやり方で早く撮ることが好きなので、そういう面でも夏は向いていますね。同時にテーマが重く、哀しいものであったとき、夏という季節がそれにメタファーをもたらしてくれる。同時に、青い空、強い夏の空の下は、余計に悲しみを強調します。青はいちばん好きな色です。夏の色でもあります。フィルムで撮ったときにも一番美しく映える色です。青の中には、輝きもあれば、哀しみを強調するような、すべてがあるのです」


アースブルーは白い雲が浮かぶ夏の空の色

確かに青という色と映画は相性がいい。これまでにも青を基調にした傑作はいくつあっただろうか。『グラン・ブルー』や『ベティ・ブルー』といったヒット作もある。北野武監督も青、特に青い海を頻繁に登場させる監督として知られるが、彼の使う鮮烈な青はヨーロッパの批評家たちの間では“キタノ・ブルー”と呼ばれている。

アースのブルーは、白い雲が浮かんでいそうな夏の空の青である。さわやかだが、センシャルで繊細な青。16mmで撮影しているため(『アマンダと僕』のロンドンシーンは35mm)、親密感があり、より青は感傷的に映え、この乾いたメロドラマティックなテイストは彼の持ち味でもある。

ミカエル・アース

「私は、自分の知っていること、自分の知っている感情、自分の知っている場所しか撮れないタイプです。パリは、20年来住んでいます。パリ生まれですが、郊外で育ち、その後またパリに越してきました。なのでとてもよく知っている町です。

『サマーフィーリング』で、ベルリンとNYを舞台にしたのはとても好きな街だからです。バカンスで行き、恋に落ちました。私にとっては、なにかを書きたいと思わせるような、そういう街なんです。私が映画の舞台として選ぶ場合は、必ず一度行ったことがあるか、あるいは生活していた場所で、もう一度、その場で“生きてみたい”という理由で選びます。

『アマンダと僕』はほとんど11区で撮影しました。今は引っ越しましたが、10年間住んでいた、とてもよく知っている地域です。公園も通りも。私は、この映画を通して日常的なパリも映し出したいと思いました。この映画にとって、そうした“場所”は、登場人物のひとつでもあるんです」

16mmによる撮影法や軽やかな語り口でパリの日常の風景を切り取る作風から、アースの作品を語るとき、批評家たちはしばしばヌーヴェル・ヴァーグの巨匠エリック・ロメールの名前を引き合いに出す。が、彼にそれを告げると「ロメ−ルは好きな監督ですが、私はシネフィルではありませんよ」

“シネフィル”とは映画狂、つまり映画通の意味だが、フランスの映画監督には、このシネフィルが多い。アースは、そうした監督たちとは同じ土俵にはいない、と主張する。「私の人生では音楽の方が重要な位置を占めているから」というのがその理由だ。


繊細さの秘密は女性の視点

では、なぜ映画監督になったのか?
「父が映画好きだったので、子供の頃カルチェ・ラタンに住んでいたときも、よく一緒に映画館に行きました。エリア・カザンとかルビッチとか、古い映画をたくさん観ましたよ。80年代になって自分で観に行くようになって好きになったのは、デ・パルマとかコッポラとかスピルバーグの映画ですね。

なので小さい頃から、漠然と映画を撮ってみたい、映画監督になりたいという夢はあったんですが、それは現実的ではありませんでした。で、長いこと経済の勉強をしていたのです。でも、大人になって就職を考え初めたとき、このまま会社員になるのではなく、一度しかない人生なのだから、挑戦したいと思い、フェミス(フランスの名門国立映画学校)に入ったんです。映画は私にとって、語りたいことを語れる表現方法だと思っています」

ミカエル・アース

脚本も自ら手がけるが、モード・アムリーヌという女性脚本家と共同で執筆するという。

「編集者もマリオン・モニエという女性です。女性のスタッフと仕事をすることは私にとって重要なことです。女性の視点が、必要なので。今回も、アマンダの心情を理解したり描写したりする上で、彼女たちはなくてはならない存在でした」

『アマンダと僕』は第75回ヴェネチア国際映画祭の「オリゾンティ」部門に選出されマジック・ランタン賞を受賞。第31回東京国際映画祭では東京グランプリと最優秀脚本賞をW受賞している。第3作目にして国際的な評価を得たわけだが、ハリウッドなどバジェットの大きな作品には興味はない、という。

「16mmで撮るのもただ安いからというわけではありません。フィルムは今ではデジタルに比べれば高価ですからね。私は私のスタイルで撮っていくと思います。エリック・ロメールはあれほど世界的に高名な監督にもかかわらず、最後まで5名くらいのクルーで撮るという撮影方法を貫いていましたから」

執筆中の脚本の内容については「ジンクスにより」秘密だそうだが、次作も期待できることは間違いなさそうだ。

インタビュー・文/立田敦子
撮影/森山祐子

プロフィール

ミカエル・アース / Mikhaël HERS

1975年2月6日、フランス、パリ生まれ。映画学校 FEMISに入学する前は、経済学を学んでいた。友人と数本の短編映画を制作した後、本格的に監督としての活動を開始。短編、中編を数本制作し、“Charell”(2006)がカンヌ映画祭批評家週間に選ばれる。2010年に、“Memory Lane” で長編デビューを果たし、ロカルノ国際映画祭でワールドプレミア上映された。その後、『サマーフィーリング』を手がけ、『アマンダと僕』(2019)が長編 3 作目。 登場人物の繊細な心の揺れ動きを、映像と音楽で巧みに表現。 日本での劇場公開は『アマンダと僕』が初めて。グランプリと脚本賞を受賞した2018年の東京国際映画祭では、上映後に会場が唸るような拍手の嵐に包まれ絶大な支持を得た。

作品情報

『アマンダと僕』

愛する人を失った深い哀しみと喪失を経て、それでも続く人生を生きる青年ダヴィッドと少女アマンダの絆の物語。

シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか公開中!

公式サイト:http://www.bitters.co.jp/amanda/

立田 敦子

大学在学中に編集・ライターとして活動し、『フィガロジャポン』の他、『GQ JAPAN』『すばる』『キネマ旬報』など、さまざまなジャンルの媒体で活躍。セレブリティへのインタビュー取材も多く、その数は年間200人以上とか。カンヌ国際映画祭やヴェネチア国際映画祭などにも毎年出席し、独自の視点でレポートを発信している。

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