#11 平成とジャズ:イタリアンジャズ 後編

#11 平成とジャズ:イタリアンジャズ 後編

UKに影響されたイタリアのDJたちがヨーロッパの過去のジャズを発見し、再評価し、そこからの影響を反映した音楽を制作していったストーリーは前編で語りました。ここからはさらに過熱したイタリアンジャズブームの最盛期を解説していきます。

イタリアのジャズを世界に知らしめたニコラ・コンテとジェラルド・フリジーナが運営するレーベルのSchemaはイタリアンジャズだけでなく様々な音楽を取り扱っていたレーベルでもあった。それはニコラ・コンテやジェラルド・フリジーナの作品にもそのまま反映されていた。

ニコラ・コンテは2000年に自身のアルバム『Jet Sounds』をリリースする。アシッドジャズ育ちらしくUnited Future Organization的なジャズの生演奏をサンプリングして作り出したようなジャジーなダンスミュージックで、その中にはクラーク=ボラン・ビッグバンドやサヒブ・シハブの雰囲気を意識しているのがわかりやすく伝わり、Rewardでの過去作の再発と地続きなのも聴こえていた。ジェラルド・フリジーナは2001年に『Ad Lib』を発表。こちらもニコラ・コンテと同じように生音サンプリングによるジャズ風味のダンスミュージックだった。

これらのSchemaの作品にはヨーロッパジャズ以外にもいくつか文脈がある。ひとつはブラジルやキューバのリズム。Schemaはジャズだけでなく、ブラジル音楽にも力を入れていた。その理由を考えると、そのひとつはUKに辿り着く。もともと80年代のジャズで踊るムーブメントではアフロキューバンジャズと呼ばれるキューバのリズムを取り入れたジャズが人気だったし、キューバ音楽を演奏するスノウボーイのようなミュージシャンもアシッドジャズのシーンにはいた。そして、DJたちは踊れるレコードを求めて掘り進めていく中でブラジル音楽を発見し、90年代以降、UKのDJ発信でブラジル音楽が大きなトレンドになった。UKのFar Outレーベルがジョイスやアジムス、マルコス・ヴァ―リなどを再発し、Da Lataのようなブラジル音楽をベースにしたダンスミュージックを作るユニットが出てきたり、ジャイルス・ピーターソンがアシッドジャズの本山レーベルTalkin’loudからリリースしたDJ向けのコンピレーション『Brazilica!』などがそれを象徴している。そして、それらのブラジル音楽はアシッドジャズやクラブジャズへも影響を与え、密接に繋がっていき、DJが再評価したブラジルのレコードがどんどん再発されていく。


イタリアではIRMAレーベルが1995年にアシッドジャズ的な感覚にブラジル音楽の要素を強く反映させたユニットのボッサ・ノストラのデビュー作『Solaria』をリリースしていたり、イタリアのクラブシーンはブラジル音楽へ早くコミットしていた。恐らくそれには理由があり、もともとイタリアにはボサノバやサンバがそれなりに浸透していたからだ。ジョアン・ジルベルトでお馴染みのボサノバの名曲「Estate」はブルーノ・マルティーノ、ミーナ、ミア・マルティーニ、オルネラ・ヴァノーニら超有名歌手が歌いヒットした定番曲だったり、映画音楽でもアルマンド・トロヴァヨーリ、ピエロ・ピッチオーニ、エンニオ・モリコーネ、ピエロ・ウルミアーニといった名作曲家たちがこぞってボサノバ曲を書いている。2010年代でもニコラ・コンテもジェラルド・フリジーナも、さらに言えばIRMAレーベルもイタリアの映画音楽からの影響は公言していて、そういった背景を考えると、ブラジル音楽への傾倒はイタリアのお国柄とも言えるのかもしれない。

Schemaもブラジル要素の入ったダンスミュージックのコンピレーション『Break N’ Bossa』をリリースしたり、ニコラ・コンテが2002年にヴォーカリストのRosalia De Souzaをプロデュースして、打ち込みのビートとボサノヴァを組み合わせたような『Garota Moderna』をリリースしたりで、ボサノバ・テイストのサウンドやボサノバ風のリミックスはジャジーなサウンドと共にニコラ・コンテやSchemaの定番スタイルにもなっていき、ニコラ・コンテは後にブラジル音楽を集めた人気コンピレーションシリーズ『Viagem』を選曲したりもしている。そういう意味では、SchemaはUKのクラブシーンで言えば、UKにブラジル音楽ブームを仕掛けたDa Lataのパトリック・フォージの系譜とも言えるかもしれない。 ここで面白いのが、クラーク=ボラン・ビッグバンドやサヒブ・シハブとの関係だ。クラーク=ボランやサヒブ・シハブにもボサノバやラテンのテイストの曲が数多く存在していて、洗練されたジャズの中にボサノバやサンバのリズムをさらっと取り込んだアレンジは非常に気が利いていて、アメリカのジャズには見られない特徴だった。これはニコラ・コンテらが彼らに心酔した理由のかなり大きな側面ひとつであり、彼らがサンプリングするように自分たちの作品に取り入れた要素でもあった。

そんなSchemaは基本的にはジャズやボサノバやラテン要素が入ったサンプリングや打ち込み主体のダンスミュージックを中心にDJ向けのシングルやEPをアナログでリリースして、世界中のDJから支持されながら、時折、Quartetto Logreco『Reflections』、Quartetto Moderno『Ecco!』といったSchema Sextetとも通じる50-60年代スタイルのアコースティックのジャズをリリースしていたが、2003年にジェラルド・フリジーナが生演奏のバンド主体の『Hi Note』をヒットさせたころから一気に状況が変わる。

2004年にはニコラ・コンテが『Other Directions』をリリース。ウエストコーストジャズ経由のイタリアンジャズや、クラーク=ボランやサヒブ・シハブが持っていたジャズやブラジル音楽要素などが織り込まれていて、00年代イタリアンジャズを代表する作品となった。


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(左上から時計回りに)Sahib Shihab『Companionship』、Nicola Conte『Other Directions』、High Five『Five For Fun』

Schema以外のレーベルからはファブリツィオ・ボッソなどニコラ・コンテ作品にかかわるメンバーたちを中心としたHigh Five Quintetが『Jazz Desire』を、ジャンニ・バッソが往年のレジェンドによるバンドをジャズDJのパウロ・スコッティがプロデュースしたIDEA6 が『Metropoli』をリリースしたりと、50-60年代のレコードの中で鳴っていたようなスタイルのハードバップやジャズボッサを演奏するジャズバンドが一気にシーンに出てきて、2000年ごろから引き続きリリースされていたヨーロッパジャズの再発ともシンクロして、イタリアンジャズブームは最盛期を迎える。

どれも生演奏のジャズバンドでありながら、DJを意識してリズムセクションは極力同じリズムパターンを維持していたり、ベースの音がくっきりと大きかったり、ドラムの音が分離されてクリアに鳴っていたり、ベースソロのような踊れなくなる箇所が省かれていたり、クラブを意識したものだったのが特徴だったし、そのほとんどがアナログレコードでリリースされたり、DJ向けのリミックスが作られたのもジャズの中では異例だった。

これらのクラブ向けの生音のジャズは、スウェーデンのKOOP(彼らもクラーク=ボラン・ビッグバンドやサヒブ・シハブの影響を公言している)やドイツのJAZZANOVA、Trueby Trioといったニコラ・コンテやジェラルド・フリジーナと同じようなタイプの(United Future Organizationがやっていたジャズサンプリングの手法をアップデート的な)ジャジーなダンスミュージックを作るプロデューサーや、フィンランドから出てきたクラブ向けの生演奏ジャズバンドのFive Corners Quintetなどと共にヨーロッパのクラブジャズのムーブメントの中でブレイクし、大きなムーブメントになった。ニコラ・コンテ、ハイ・ファイブ・クインテット、そしてトランぺッターのファブリツィオ・ボッソがユニバーサルと契約し、メジャーからのワールドリリースを獲得しているのはその証だろう。

2000年ごろのヨーロッパでは、アシッドジャズなどのUKのクラブシーンからの影響を受けたDJたちと彼らと交流していたジャズミュージシャンにより、ノスタルジックなハードバップやジャズボッサが復権していたというのは(USのジャズシーンと乖離していたことも含めて)面白い現象だったと思う。そして、その中心になったのがイギリスでもフランスでもドイツでもなく、一般的にジャズのイメージが薄いイタリアだったというのもまた興味深い。

そして、なによりも当時「新しいジャズ」と評価されていたものが、ジャズのライブハウスではなく、DJたちが活躍するクラブで生まれていて、DJ用に作られたリミックスが力を発揮し、それらが50-60年代のレコードの再評価と密接に繋がっていたというのは極めてヨーロッパらしい。UKのアシッドジャズ~クラブジャズなども含めて、全てはクラブという場所でDJ主導で生まれていたのだった。

PROFILE

柳樂 光隆

柳樂 光隆

1979年、島根・出雲生まれ。音楽評論家。元レコード屋店長。21世紀以降のジャズをまとめた世界初のジャズ本『Jazz The New Chapter』シリーズ監修者。共著に後藤雅洋、村井康司との鼎談集『100年のジャズを聴く』など。ライナーノーツ多数。若林恵、宮田文久とともに編集者やライター、ジャーナリストを活気づけるための勉強会《音筆の会》を共催。

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