映画界の巨匠イングマール・ベルイマンには、舞台演出家の顔もあったことは有名な話。『リハーサルのあとで』は、そんな演劇人としてのベルイマンの姿を描いた名作で、彼が自作映像の舞台化を許可した、数少ない例でもあるとか。ベルイマンに心酔する栗山民也による念願の舞台化は、想像以上に刺激的な、演劇愛に溢れたバックステージ物でした。
イングマール・ベルイマン(1918ー2007)は、映画監督として名高いだけでなく、舞台演出家としても、ヨーロッパ演劇界にその名を轟かせる存在だった。母国スウェーデンの名門、ストックホルムの王立ドラマ劇場などを中心に、「生涯に演出した舞台は一七〇以上」(毛利三彌「ベルイマンの舞台演出のことあれこれ」/『リハーサルのあとで』公演プログラムより)。日本でも、1988年にスウェーデン王立ドラマ劇場の来日公演で、その演出作品『令嬢ジュリー』と『ハムレット』が上演されている(残念ながら未見)。
『ベルイマン自伝』(木原武一訳)にも、演劇や劇場、舞台俳優、自身と同郷の劇作家ストリンドベリ(1849ー1912)の作品についてなど、舞台関係の記述が豊富で、読んでいてワクワクする。事実を回想しているのか、空想を書き連ねているのか判然としない部分も多々あって、まさしくベルイマンの世界だ。
たとえば、ストリンドベリ作品が好きでよく上演するが、そのたびに祟りのように多くのアクシデントに見舞われ、ストリンドベリに邪魔だてされているように感じる、という記述。ある夜、ストリンドベリ本人から電話がかかってきて、実際会うことになり、胸高鳴らせつつ会ってみたら、愛想のいい人だった――とか、思わず焦って両者の生没年を確認してしまったじゃないか!
『リハーサルのあとで』は、ベルイマンがそれほど愛してやまないストリンドベリ作『夢の劇』の稽古の後のひとときを舞台にしたドラマで、まずテレビ放映用に映像作品がつくられ、その後、舞台化されたもの。今回の上演は、ベルイマンを師と仰ぐ演出家・栗山民也が所蔵していたフランス語版台本(岩切正一郎訳)によっている。
演出家ヴォーグレル(榎木孝明)は、新人女優アンナ(森川由樹)に、その母でかつてヴォーグレルと関係のあった女優ラケル(一路真輝)の面影を重ね、演出家として、豊富な経験と教養に裏打ちされた的確な指導を行いながら、彼女の気を引こうとする。アンナが母ラケルのことを話し出すと、そこに5年前に死んだラケルが、ヴォーグレルだけに見える存在として現れ、彼を誘い、やがて痛烈に批判し始める――。
老獪な演出家が、若い女優を手練手管でマウントしてゆこうとするさまと、彼に惹かれながらも、容易にはなびかない新人。演劇を介在とした、緻密な会話の駆け引きが非常にスリリング。一方、すでに人生と俳優業に挫折した過去の人ラケルには、演出家の知見や権威は、まったく通用しない。彼女の口から吐き出される真実に満ちた暴言を、甘受するしかないヴォーグレルには、ベルイマンの自虐が透けて見える。
ヴォーグレルのモデルは、疑問の余地無くベルイマン自身だし、アンナとラケルも、ベルイマンの半端ない女性遍歴に基づくキャラクターに違いない。1人の男と母娘2人の女という構図も効果的だけど、なんといっても、キャスティングから初日前までの、一舞台作品を巡るバックステージ物としてのリアリティが、群を抜いて刺激的だ。
「俳優は舞台でスポットライトを浴びる、ところが演出家は観客の影に隠れていられる、その事実を最大限に利用することもある。俳優を笑いものにすることもある。あるいは、考えろと言いながら、考えるなと言い、自然体でいけ、と言いながら、技巧的にいけ、と言う。まあそんな感じだ。演出家は俳優を殺すことができる――しかもそういうことは良くある――だけど、俳優のほうも演出家を殺せる」といったせりふがザクザク出てくるし、
「ばかね。演劇なんてクソ、汚物、発情期、ばか騒ぎ、大混乱、厄介事よ。あなたのその潔癖な理論、そんなものわたし信じない。嘘っぽくてあやしい。いかにもあなたらしいわ」
といった返しも多々あって、<演劇あるある>が網羅されている。
あくまでも冷静かつ淡々と、ベルイマンらしい静寂さの中でストイックにふるまう榎木孝明、美しさと奔放さを振りまきながら、心身を病む女優の傷ましさとはかなさを体現する一路真輝、みずみずしさと芯の強さを併せ持ち、有望な新人俳優らしい森川由樹。いずれも素晴らしく、ベルイマンの偽らざる独白であると同時に、演出家・栗山民也の物語であることが、強力に伝わってきた。
9月1日から10日まで、東京だけでサラッと上演されて終わってしまったのが残念。ぜひまた近いうちに、再演してほしい佳品だ。
公演情報
リハーサルのあとで
作:イングマール・ベルイマン
翻訳:岩切正一郎
演出:栗山民也
出演:一路真輝、森川由樹、榎木孝明
http://www.chijinkaishinsya.com/newproduction.html
伊達なつめ
伊達なつめ
Natsume Date 演劇ジャーナリスト。演劇、ダンス、ミュージカル、古典芸能など、国内外のあらゆるパフォーミングアーツを取材し、『InRed』『CREA』などの一般誌や、『TJAPAN』などのwebメディアに寄稿。東京芸術劇場企画運営委員、文化庁芸術祭審査委員(2017、2018)など歴任。“The Japan Times”に英訳掲載された寄稿記事の日本語オリジナル原稿はこちら
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