#22 半世紀のトリロジーで明らかになる福島と原発の関係――『福島三部作』

#42 舞台芸術の理想型――音楽・美術・演劇・映像・身体表現が融合 したオペラ

原発の危険について、見て見ぬ振りをしてきた日本国民のひとりとして、この谷賢一渾身の『福島三部作』を見逃すわけにはいきませんでした。

未曾有の事故や事件、というのは古今東西さまざまあるわけだけど、自分の生涯でもっとも重大かつ深刻なのは、残された寿命を考慮に入れても、東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の放射能漏れ事故に違いない。

と、つね日ごろ思っているせいか、谷賢一作・演出のDULL-COLORED POP『福島三部作』は、ひとつひとつのせりふが重く響くと同時に、そこからさまざまな事実や記憶が芋づる式に想起されてしまい、非常にタフな観劇体験だった。といっても多彩かつテンポのいい演出なので、1作品約2時間×3は、まったく長く感じなかった。

第一部は1961年、福島の双葉町が原発誘致を決定するまでの数日間を、東大で物理学を専攻する学生で、卒業後も故郷に戻らぬ決意を告げに帰郷した穂積孝(内田倭史)の青春とともに描く『1961年:夜に昇る太陽』。第二部は1985-6年、孝の弟・忠(岸田研二)が、原発反対派リーダーなのに突然「賛成派」として町長選に出馬させられ当選。その数か月後にチェルノブイリ原発事故が発生してもなお「日本の原発は安全」と言い続けざるを得ない矛盾を、飼い犬モモの視線で見つめる『1986年:メビウスの輪』。第三部は2011年、震災と原発事故が起きた年の暮れ。孝・忠の弟で、地元放送局の報道局長である真(井上裕朗)が、東京のキー局の露悪的な要求と闘いながら、震災後の福島の人々の真実の声をどう伝えるべきかに苦慮する『2011年:語られたがる言葉たち』。

第一部『1961年:夜に昇る太陽』穂積家の長男・孝(左端後方・内田倭史)は、福島県の双葉町へ帰郷する電車の中で、後に東京電力の研究員とわかる佐伯(右から2人目・阿岐之将一)と部下の三上(右端・大内彩加)に出会う。中央の3人は乗り合わせた人々(左から宮地洸成、大原研二、倉橋愛実)。撮影:bozzo

なぜ、原爆を投下された記憶も新しく、原子力の恐ろしさを身をもって知るはずの日本が、原子力発電を推進し、東京の電力供給のため福島がそのターゲットにされたのか。なぜ、チェルノブイリ原発事故で原発の脅威が明らかになったのにもかかわらず、日本の原発は稼働を続けたのか。そして、震災と事故の後、福島の人たちはどんな状況にさらされ、個々の想いを抱えて生きているのか。綿密な取材に基づいて、客観的かつ真情溢れる真摯さで核心に肉薄し、疑問の差し挟みようがない説得力で、当事者の判断と胸の内を解き明かしていく。

たとえば、第一部では正義感溢れる青年団部長で、みなが原発に希望を託し始めても、疑念を抱き続ける19歳の次男・忠(宮地洸成)は、25年後の第二部(岸田研二に代わる)でも原発反対運動の志を持ち続けているのに、運命のいたずらで「原発の危険を訴える原発賛成派」という奇っ怪な立場の市長になってしまい、精神の均衡を失っていく。第三部では、病院のベッドで震災時の妄想だけに生きているように見える老人(山本亘)が、25年後の忠の姿であることが、次第にわかっていく。第一部では3歳、第三部では53歳になっている三男の真(井上裕朗)は、そんな次兄を見舞ったり、防護服にマスク姿で実家に一時帰宅し、亡き長兄が、東京から未来と希望を込めて送ってきたジャズのレコードを見つけ出したりする。実在する人物をモデルに、三兄弟の50年間の軌跡をたどる構成が秀逸だ。

『1986年:メビウスの輪』精神の均衡を失った市長の忠の記者会見は「日本の原発は安全です!」とシャウトするミュージカルに。前列左から忠の息子・久(宮地洸成)、忠の妻になった美弥(木下祐子)。後列左から記者(藤川修二)、白塗りメイクの忠(岸田研二)、記者(古河耕史)、記者(椎名一浩)。左端には愛犬モモ(百花亜希)の姿も。撮影:白土亮次

また、第一部では子どもたちのやり取りを人形劇仕立てにしたり、童謡や当時の流行歌を多用して’60年代の無垢な明るさとノスタルジーを横溢させ、第二部では飼い犬がナレーターを担ったり(ソーントン・ワイルダーの『わが町』で進行役/舞台監督が語り部になる構造に倣ったとのこと)、崩壊して白塗りメイクとなった忠が、記者会見でマイクを握り「日本の原発は安全です」と歌い出すバブリーなミュージカルになったり(ネクタイを頭に巻いて病鉢巻みたいにしたら、さらに狂気感とカブキ度が増すと思った)と、時代を反映した多様な演出で、深刻さをエンタメ化している。

こうして過去は距離をもって戯画化できるけれど、震災後の生々しい現在を描く第三部では、そうはいかないのが必然。亡くなった人たちへの鎮魂と、残された人たちの真情の吐露に対峙し、これからどうすればいいのかを、ともに考える時間になっていた。

『2011年:語られたがる言葉たち』。大地震が起きた瞬間、舞台にも客席にも振動が伝わり、あの日が甦った。左後方、瓦礫の中のベッドに忠(山本亘)の姿。撮影:bozzo

作・演出の谷は、自身も福島出身で、約二年半にわたって福島で数百人に取材し、この三部作をものした。取材にあたって、震災と原発事故については自分からは触れないことをルールとしたが、ほぼ全員が、自分からそのことを語り出したという。が、観劇後のトークセッションで、観客から「(元原発の技師で長男・孝のモデルでもある)谷さんのお父様はどう語っているのか」という質問に、谷が「実は父は一切語ろうとしない」のだと答えていたのが、とどめの衝撃だった。三部作は完となっても、現実に起きた取り返しのつかない人災はおよそ終結などせず、はかり知れないまま続くのだ。

東日本大震災と福島第一原発の事故が起きた時、前年に没した東北出身の井上ひさしが生きていたら……と思ったものだけど、今は谷賢一がいてくれることを、真底心強く思う。残すは福島公演のみで、劇団として再演は難しいとのこと。ならば福島でつくられた電気を使ってきた東京の劇場が、この作品をレパートリーに採用し、上演を続けてほしいと思う。

公演情報

 

福島公演 第三部『2011 年:語られたがる言葉たち』
会場:いわき芸術文化交流館アリオス 小劇場
日程:9月7日(土)18時30分、8日(日)14時00分
問い合わせ アリオスチケットセンター(火曜定休)0246-22-5800
DULL-COLORED POP『福島三部作』公演サイト:http://www.dcpop.org/vol20/

PROFILE

伊達なつめ

伊達なつめ

Natsume Date 演劇ジャーナリスト。演劇、ダンス、ミュージカル、古典芸能など、国内外のあらゆるパフォーミングアーツを取材し、『InRed』『CREA』などの一般誌や、『TJAPAN』などのwebメディアに寄稿。東京芸術劇場企画運営委員、文化庁芸術祭審査委員(2017、2018)など歴任。“The Japan Times”に英訳掲載された寄稿記事の日本語オリジナル原稿はこちら

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