2011年3月の震災以降、東北最大級の芸術文化施設のひとつ、「いわきアリオス」には、ときどきではあるが、必ず足を運ぶようにしている。人々の暮らしと音楽とのかかわりについて考える、とても良いきっかけをもらえる場所だからだ。11月10日には、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団のコンサートがあったので、それを機に、ひさしぶりにアリオスを訪ねてみた。
約3年半ぶりになる。なつかしい場所に来た。
いわき芸術文化交流館アリオス(福島県いわき市、2008年オープン、設計: 佐藤尚巳 )は、自分にとっては、いつの間にか故郷のように思えるホールになっている。
開演前。少し周囲を歩き回ってみて、やはり居心地のいいホールだなと強く感じた。
何もかもが、四角四面になっておらず、開放的で落ち着く、市民の憩いの場所になっている。それは、よそからやってきた旅行者にとっても同様だ。
ホールのなかに至る所の空きスペースに、たとえば通常なら一般人は入れない楽屋口の脇のような場所にまで、誰もが自分の時間を過ごせるように、椅子や机が提供され、たとえば高校生たちが勉強している姿が見られる。
市の中心部にある平中央公園とひとつながりになった「いわきアリオス」は、公園にやってきた人が、自然と入りやすい仕組みになっている。
誰でもここを自由に使っていいんだよ――ホール全体の設計と雰囲気が、そう語っていた。
90歳を超えてもなお、指揮台上では椅子も使わずに矍鑠とした指揮ぶりをみせるマエストロ、ヘルベルト・ブロムシュテット。この日の曲目は前半がベートーヴェン「交響曲第3番《英雄》」、後半がリヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容」、ワーグナー「タンホイザー」序曲という内容。
前半に大曲を持ってくる構成は珍しいが、耳も心も新鮮なうちに最初に大曲を聴くのは、理にかなっているかもしれない。とても集中して聴くことができた。
ふと気が付いたのは、《英雄》の第2楽章に葬送行進曲があり、シュトラウスも死がテーマになっている。人生と死について、思いを巡らせるにはとてもいいプログラミングだ。このあたり、ブロムシュテットの意図もあるのだろう。
ブロムシュテットの指揮は、背中から見ていると、ほとんど最小限の動きしかない。きびきびとして意志的ではあるが、抑制的で、小さな鋭いサインをピッ、ピッ、と出していくような感じだ。
N響は、敬愛するマエストロのどんな微細な意図も見逃さないように掬い取って、一糸乱れずついていく。それは執念すら感じさせるほどだった。
そこで実現される音楽は、決して情に流されない、潔い、揺るぎないものだった。
《英雄》の第2楽章である葬送行進曲を聴きながら、震災の犠牲者たちのことを思わずにはいられなかった。
思えば、この曲においてベートーヴェンは、人間の死と尊厳について、絶望のどん底と最悪の悲劇について、それまでの作曲家たちがなしえなかったほどに、直接的に語ったのではなかったか。
それを直視することなしには、前に進むことはできない。忘れてはならない。
いわきで演奏された《英雄》は、それを雄弁に物語っていた。
第3楽章のトリオ(中間部)に出てくるホルンの響きは、あたかも巨大な山脈の頂の白い雪のように輝いて見えた。第2楽章の絶望があるからこそ、山の高みがまぶしい。
《英雄》の編成にはトロンボーンはない。しかし「タンホイザー」序曲で、ここ一番のところで力を発揮する主役はトロンボーンである。N響のトロンボーンの、何と豊かに、力づけてくれるように響いたことだろう。
「タンホイザー」の最後の輝かしさは、死んだと思われていた木から、奇跡のように命が芽吹いたことを示す音楽である。それが、陽の光のような暖かさをこめたトロンボーンによって、いわきに響いたのである。
死と再生が、このコンサート全体のテーマだと感じられた瞬間であった。
コンサートの翌日は、N響のメンバー4人が残り、「おでかけアリオス」というアウトリーチ・プログラムで、二つの小学校を訪れて弦楽四重奏を演奏する様子を見学させていただいた。
いわき市は広大である。東京23区をはるかに上回る面積を有するゆえ、市の文化施設であるアリオスは、ホールの中だけで完結しているのではなく、市内各所の隅々に出かけて行く必然性を持っている。「おでかけアリオス」は、アリオスが最も力を入れている企画のひとつで、さまざまな演奏家たちが、学校や公民館などを回り、良質な音楽を届け、音楽によって人々のつながりを作る上での重要な役割を果たしてきた。
N響もアリオスでの公演は9回目になるが、この「おでかけアリオス」には積極的に参加してきたし、N響自体も、「NHKこども音楽クラブ」という形で、子どもたちに音楽を届ける出張授業には力を入れてきた。
今回小学校での「おでかけアリオス」で感じたのは、日常生活の中で、あるいは学校生活の中で、適切な状況と場を作り出して、そこで生の音楽が演奏されたときの音楽の力の素晴らしさである。おりしも、台風被害で洪水の被害の爪痕の残る地域での演奏となったが、子どもたちのみならず、先生方にとってもこうした音楽は、私たちが想像するよりもはるかに精神的な光のような効果があったと感じられた。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番第3楽章で、静かに感謝のメロディを奏でる本物の弦楽四重奏。それが学校で響くとき、どれほど宝物のように素晴らしい瞬間が実現されるか――。
地方で、人々の暮らしのそばに、最高の音楽があるということの大切さについて、改めて考えさせられる機会だった。
いわきアリオスの運営の方向は、単なる入れ物というだけにはとどまらない。
「拡大されたコミュニティセンターとして、利用者が自分なりにかなえたい夢を実現できるよう、助けを求められれば、コンサルタントくらいの水準で、できる限り対応したい」(音楽プロデューサー:足立優司さん)
「主催共催関係なく応援していくことが、文化の豊かさにつながっていく。そして、どのホールも災害とそれに伴う格差は、日常のこととして考えるべき」(広報チーフ:長野隆人さん)
ハード面だけでなく、ソフト面における、確かな意志をもったホールの取り組みは、傍から見ていても、とても面白い。文化施設のあり方にご興味のある向きは、一度、旅行がてら、いわきアリオスを訪ねてみてはいかがだろう。
林田 直樹
林田 直樹
音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。
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