中南米の音楽に魅了されているジャズミュージシャンは数多くいるが、その中でも面白い存在がイスラエル人のヨタム・シルバースタイン。ブラジル音楽にハマり過ぎたかと思っていたら、いつの間にかアルゼンチンのフォルクローレへも手を伸ばしていたり。
イスラエル出身でNYを拠点に活動しているジャズ・ギタリストのヨタム・シルバースタインのライブを観てきた。今やイスラエル人ミュージシャンは世界中のジャズシーンで活躍していて、見かけることは珍しくない。近年のジャズを追っている人だったら、アヴィシャイ・コーエン、シャイ・マエストロ、ニタイ・ハーシュコヴィッツあたりの名前を聞いたことがある人も少なくないだろう。このヨタム・シルバースタインもイスラエル出身だが、彼だけは少し変わった活動をしていることで知られている。
元々は現代的なテクニックとセオリーを駆使した楽曲で知られるギタリストだったが、徐々に南米の音楽に傾倒していく。
2009年の『Next Page』でアントニオ・カルロス・ジョビンをカヴァーしていたが、ジョビンだったらジャズの世界でも定番で特に珍しくはなかった。それが2011年にはその名も『Brasil』を発表。ジョビン、シコ・ブアルキやドリヴァル・カイミ、エドゥ・ロボ、カルロス・リラ、ジャコ―・ド・バンドリン、ホベルト・メネスカルなどを現代ジャズ経由のサウンドで解釈し、そこにトニーニョ・オルタなどをゲストに迎え、ブラジル音楽への強い興味を示した。とはいえ、サンバやボサノヴァ、ショールなどのブラジルの過去の名曲を取り入れるジャズミュージシャンはそれなりにはいて、殊更強調するほどの特殊性はないだろう。
その特殊性は2016年の『The Village』から徐々に現れ始める。アーロン・ゴールドバーグらのブラッド・メルドーやジョシュア・レッドマンなどのコンテンポラリージャズの世代のトップミュージシャンを従えたジャズのサウンドはこれぞNYなもので、その中にジャコー・ド・バンドリンの楽曲が収められていて、引き続きブラジルの古典ショーロへの関心が見られたが、ここでの注目は「Milonga Gris」。これはアルゼンチンのフォルクローレをアップデートした独自なサウンドが日本でも人気を集めたアルゼンチンのピアニスト/ギタリストのカルロス・アギーレのカヴァー。アギーレ本人のソロピアノ・アルバム『Caminos』で演奏されているほか、アルゼンチンの次世代タチアナ・パーハ & アンドレス・ベエウサエルトがデュオでのアルバム『Aqui』でカヴァーしていたりもする。これをジャズの文脈に落とし込んで演奏しているが、NYでこんなところに目をつけるジャズミュージシャンを他に知らない。
この頃からかなり活発に南米を訪れたり、南米のミュージシャンと交流するようになり、Facebookを見ているとカルロス・アギーレなどのアルゼンチンのミュージシャンをはじめ、ブラジルのアンドレ・メマーリなどと演奏している動画や写真がアップされたり、どんどん南米音楽の深みにはまっているのは明白だった。
そんなヨタムが2019年にリリースしたのが『Future Memories』
アメリカの俊英、グレン・ザレツキ、大御所のジョン・パティトゥッティ、イスラエルの名手ダニエル・ドールといったジャズの名手に加え、ブラジル出身でNYで活動している新鋭ヴィトール・ゴンサルヴェス、そしてブラジル最高峰のピアニスト、アンドレ・メマーリを迎え、より深く南米的なサウンドに取り組んだ。楽曲としては現代ブラジル最高のバンドリン奏者で、ヨタムも愛するジャコー・ド・バンドリン解釈の名手でもあるアミルトン・ヂ・オランダの楽曲を2曲、ギタリストでバンドリン奏者でもあったパウリーニョ・ダ・ヴィオラの楽曲を1曲取り上げているが、ほとんどは自作曲。そこにはトニーニョ・オルタ~ミルトン・ナシメントから、彼らを敬愛するアンドレ・メマーリにも通じるブラジルのミナス地方のサウンドもあれば、カルロス・アギーレやアンドレス・ベエウサエルトといったアルゼンチンのフォルクローレ×ジャズ的なサウンドの要素も聴こえてきて、それらがカート・ローゼンウィンケルやマーク・ターナー系譜のNYの現代ジャズサウンドと溶け合っている様子が聴こえた。今回の来日はそんな作品をリリースした後でのライブだった。
丸の内コットンクラブでのライブでもジャコー・ド・バンドリンの曲をカヴァーしていたが、ライブで聴くとボサノヴァよりもショーロからの影響を強く感じることが多く、ピアノとのデュオで対位法的な2本の旋律で曲を作ったりしてて、それが音源よりもはっきりと感じられた。作曲に関しても、ジャコー・ド・バンドリンやアミルトン・ヂ・オランダ経由でショーロから連なるブラジルの作曲とギターの奏法を取り入れてるのが確認できた。
アメリカのジャズのシーンでもピアニストのフレッド・ハーシュやクラリネット奏者のアナット・コーエンがショーロの中にジャズの起源でもあるラグタイムとの共通点でもある対位法的な要素を見出し、そこを起点にフレッシュな解釈でショーロの曲を演奏している。ヨタムにもそんな部分が多々あるが、彼はショーロ的な奏法をやりつつも、その中で時々ジョアン・ジルベルトがサンバのスルドをギターに置き換えたようなやり方でベースラインを挟んでみたり、トニーニョ・オルタ的なハーモニーを入れたり、もっと広範なブラジル音楽を取り込んでいて、かなりハイブリッドに聴こえた。
この日はヴィトール・ゴンサルヴェスがピアノで、彼はそんなブラジル音楽的な要素が絶妙にサポートしていて、NYのジャズ側に寄せて和音をちょっと積んでみたり、よりブラジル的に対旋律を弾いたりと、ヨタムに合わせるようにジャズとブラジルの間を自在に行き来していて、アコースティックのジャズ・カルテットのフォーマットでここまで現代ジャズなのにどう聴いても現代のブラジル音楽の空気感もあるようなサウンドを作っていて、こういうのはありそうでなかったと感じた。
かと思えば、オリジナル曲ではちょっといなたいアルゼンチンのフォルクローレ的なフレーズを入れたりもしていて、ブラジルに限らない中南米的なサウンドが彼のギターの中には自然に入り込んでいるのも確認できた。その中にはジャズやサンバやフォルクローレだけでなく、『Future Memories』では聴こえてこなかったイスラエルらしい変拍子や旋律も鳴っていたりももした。ライブでは音楽性のその全てが即興演奏の中から浮かび上がってきていた。イスラエル出身で一流のジャズミュージシャンであり、同時に中南米音楽マニアであるヨタム・シルバースタインの魅力が発揮されていたライブだった。
そういえば、イスラエルにはマッティ・カスピというアーティストがいる。彼の音楽は基本的にはロック/ポップスだが、その曲の中にはジャズやクラシック、ソウル、ラテンなどが様々なジャンルが織り込まれていて、イスラエル産AORとも呼べるものでもある。その中でもボサノバやミナスの音楽に通じるようなブラジル音楽のエッセンスは彼のサウンドの個性になっている。そんなマッティ・カスピの音楽に組み込まれた個性的なハーモニーやコード進行などがシャイ・マエストロやギラッド・ヘクセルマンなど、現代のイスラエルのジャズミュージシャンたちに多大な影響を与えている。実はヨタムもその一人。イスラエルのシーンで継承されている独自の音楽性もそのうち掘り下げてみたいと思っている。
柳樂 光隆
1979年、島根・出雲生まれ。音楽評論家。元レコード屋店長。21世紀以降のジャズをまとめた世界初のジャズ本『Jazz The New Chapter』シリーズ監修者。共著に後藤雅洋、村井康司との鼎談集『100年のジャズを聴く』など。ライナーノーツ多数。若林恵、宮田文久とともに編集者やライター、ジャーナリストを活気づけるための勉強会《音筆の会》を共催。
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