79才の大ベテランのビリー・ハートを観に行ってきた。ステージに向かう足取りは普通のじいさんでよぼよぼと歩く。ただ、ひとたびドラムの前に座るとすさまじい演奏をしていた。じいさんのドラミングのあまりの美しさに僕は衝撃を受けて、ただただ感動してしまった。
ジャズドラマーのビリー・ハートのライブを丸の内コットンクラブで見てきた。
テナーサックスは現在のジャズシーンに最も大きな影響を当てている偉大なサックス奏者のマーク・ターナー、ピアノはバッドプラス(現在は脱退)の活動でも知られているイーサン・アイヴァーソン、ベースはNYのコンテンポラリージャズシーンで高い評価を得ているジョー・マーティン。ここにハートのドラムを加えたカルテット編成だ。
マーク、イーサン、ジョーは90-00年代のジャズ史における重要人物たちで、年齢的には40台中盤~50台前半といったところだが、ビリー・ハートは1940年生まれで、ライブの時点で79才という大ベテラン。親子ほどの年の違いがあるミュージシャンたちとバンドを組んでいるわけだ。
ビリーはキャリア初期の活動がオルガンジャズの巨匠ジミー・スミスの60年代録音で、その後も、ファラオ・サンダース『Karma』、ジョー・ザヴィヌル『Zawinul』、マイルス・デイヴィス『On The Corner』、ハービー・ハンコック『Crossing』『Sextant』といった有名盤から、マッコイ・タイナーやウェイン・ショーターなどの作品、さらにはエムトゥーメイ、カルロス・ガーネット、エディー・ヘンダーソン、ノーマン・コナーズなどなどのクラブジャズ系DJにも人気のスピリチュアルジャズ諸作への参加でも知られている。
はっきり言ってレジェンドなわけだが、同時にレコードや本の中の人というイメージでもあり、今でも現役バリバリの人と言う印象を持っていないジャズマニアも少なくないだろう。ただ、ビリー・ハートのキャリアを見てみるとキャリアを通して休むことなく録音に起用され続けている。90年代にもチャールス・ロイドのECM録音だったり、ジョー・ロヴァーノとのブルーノート録音だったり、ドン・バイロンとのノンサッチ録音だったり、名門レーベルにクレジットされ続けているし、クリス・ポッターやトム・ハレル、デイブ・ダグラスなど、その時代の先端を行く名手たちにも起用されていた。60台になった2000年代もそんな調子で、録音を重ねていた。つまりビリー・ハートは50台でも60台でも全く衰えを感じさせることなく、むしろその成熟度により音楽家としての魅力はどんどん増していた。
そんなビリー・ハートが70台になった2010年代、再び最盛期を迎える。Qティップがプロデュースしたエスペランサ・スポルディングの『Radio Music Society』や、新鋭ギタリストのラフィーク・バーティアの『Yes It Will』といったその時期の現代ジャズの最重要盤に起用されたかと思えば、自身はECMと契約。2012年には『All Our Reason』をマーク・ターナー、イーサン・アイヴァーソン、ベン・ストリートとのカルテットで録音し、巨匠のECMリーダーデビュー作として話題になった。その後もECMでは、2014年には『One Is The Other』を同メンバーで、2017年には若手の筆頭ピアニストでもあるアーロン・パークスのピアノトリオのドラマーとして『Find The Way』に参加して、いずれも高い評価を得た。そして、その間にも自分よりもはるかに若いミュージシャンたちから録音のオファーが絶えていない。
なぜ、ビリー・ハートがここまで高い評価を得ていて、仕事が途切れないのか。ライブを見ればわかるが、まずは79才とはとても思えない身体のキレだ。ドラムをたたき始めるとその年齢を完全に忘れさせてしまう。そのうえで、長年磨き上げてきたドラミングの一音一音が実に美しいことが最大の理由だろう。4種類のシンバルを並べたドラムセットでそのそれぞれの音色を叩き分けたりするのだが、一つ一つの打音が美しいだけでなく、その音の大きさから、音色、質感、さらには残響の響き具合や伸び具合までが完ぺきにコントロールされているし、そのうえで、彼に出せない音になっている。シンバルで4ビートを刻むだけで、その音色とリズム感にぐっと引き寄せられてしまうほどに圧倒的な魅力を放ってしまい、僕はこの4ビートのシンバルレガートだけをずっと聴き続けたいと思ったくらいだ。それはシンバルだけでも、ハイハットだけでも、スネアだけでも変わらなかった。叩けるものが一つありさえすれば、ビリー・ハートは美しい音楽を奏でることができる。彼はそんな領域に辿り着いている稀有なドラマーなのだ。
ビリー・ハートのドラムを前に、現代ジャズの名手たちが彼にそっと寄り添うように演奏をするステージは、そのドラムの魅力を最大限に味わえる最高の環境だ。マーク・ターナーの柔らかくスムースな音色のサックスや、ハーモニー感覚に優れたイーサンやジョーの演奏がドラムの美しさをより引き立ててくれる。 ビリー・ハートのようなミュージシャンを見ていると、単純な強さや速さとはまた別の長い時間をかけて鍛錬されたことによる身体のコントロールだからこそ得られる表現の尊さにも気付かされる。僕がジャズという音楽に惹かれる理由の一つはこういった熟練を超えたパフォーマンスに出会えるからかもしれない。
柳樂 光隆
1979年、島根・出雲生まれ。音楽評論家。元レコード屋店長。21世紀以降のジャズをまとめた世界初のジャズ本『Jazz The New Chapter』シリーズ監修者。共著に後藤雅洋、村井康司との鼎談集『100年のジャズを聴く』など。ライナーノーツ多数。若林恵、宮田文久とともに編集者やライター、ジャーナリストを活気づけるための勉強会《音筆の会》を共催。
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