#26 フランスの最長老格の名指揮者ミシェル・プラッソン、大いに語る

#19 ゲルギエフ指揮PMFオーケストラのショスタコーヴィチ「交響曲第4番」を聴いて

昔を知る人の話に耳を傾けることは、文化の継承を考える上で、とても大切なことである。1933年10月パリ生まれの指揮者ミシェル・プラッソン(今年86歳)は、主に19世紀半ばから20世紀前半にかけての近代フランス音楽全般をレパートリーとし、その真価を伝えることのできるスペシャリストとして、揺るぎない業績を残してきた。新日本フィル定期演奏会終了後、楽屋にマエストロを訪ね、少しの時間、話をうかがった。

去る9月27、28日にすみだトリフォニーホールでおこなわれた新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会へのプラッソンの客演。

まずは、名曲として知られながらもあまり演奏される機会の多くないエマニュエル・シャブリエ(1841-94)の狂詩曲「スペイン」を取り上げ、華やかで洒脱な、幸福感たっぷりの雰囲気を振りまいた。すべてが軽やかで、明るくふんわりとしたタッチで描かれた風景画のようだった。

2曲目は、ブエノスアイレス出身でタンゴの革命児として知られるアストル・ピアソラ(1921-92)のクラシックの作曲家としての志の結実した「バンドネオン協奏曲」。ピアソラ自身の演奏による録音がレジェンドとして語り継がれてはいても、それだけを崇拝しているだけでは始まらない。ソロの小松亮太ともども、魂のこもった情熱的な演奏で、作品の真価を聴衆に確信させる手応えがあった。

後半のエクトル・ベルリオーズ(1803-69)の最も広く愛されている傑作、「幻想交響曲」は、音圧に頼りすぎることなく、繊細さと節度を保っていたおかげで、より色彩感にあふれた音楽を堪能させた。アンコールのビゼー「カルメン」前奏曲で、よりはっきりと感じられたのは、オケの団員たちが、マエストロと音楽できる喜びに目を輝かせていたことである。

終演後に楽屋を訪れると、音楽の興奮に上気した表情で、堰を切ったように語り始めた。


プラッソン:今回、改めて思うのです。新日本フィルは本当に良かった!現代は、いい音楽を作るためには、なかなか条件の難しい時代になってきています。一体私たちはどうすればよいか、迷うことばかりです。日本に来るようになって随分たちますが、いつも出だしはお互い、大変なのです。しかし、いまやお互いよく知るようになったので、随分いろいろなことができるようになりました。日本のオーケストラを前にどうすべきか、私もたくさん学びました。私がどういう人間であるか、彼らも学んでくれました。結局は、人間同士の付き合いなんです。お互いを好きだと思う必要があります。リスペクトが一番大事です。ですから、とても幸せですよ、今日は…。もちろん、毎回これほど幸せではないですよ。この年齢ですから、なかなか大変なこともあるのです。でも喜びは変わることなく大きい。

私にとって日本は神秘です。その神秘は、たとえ本当に理解できなくとも素晴らしいと感じていますし、いとおしくすらあります。これが一番大切な本質です。あなた方はフランス語を話さない。けれど、言葉ではなく音楽によってリスペクトが生まれ、喜びも生まれてきますよね?それは奇跡なのです。そして世界はいま奇跡を必要としているのです――この今という時代にあって…。

――今日は1曲目に素晴らしいシャブリエを演奏してくださいましたね。作曲家シャブリエと画家マネは親友だったと聞いています。いまちょうど「コートールド美術館展」でマネの「フォリー=ベルジェールのバー」も来日していますが、あれもシャブリエの所蔵だったそうですね。

プラッソン:そうです。マネ、モネ、カイユボット、ピサロ、そうそうたるコレクションをシャブリエは自宅に所蔵していました。その頃はまだ値段も上がっていませんでしたからね(笑)。言っておかなければならないのは、とにかくシャブリエは偉大な音楽家だったということです。傑作を書くことのできる本当の天才作曲家だったし、ピアニストとしても見事な人でした。しかも、他の芸術家たちに、シャブリエはあふれんばかりのインスピレーションを与えていた。その一人がドビュッシーです。日本ではシャブリエの曲はよく知られていますか?

――それほど多くはまだ知られていないと思います。せっかくの機会ですので、シャブリエがフランス近代音楽に果たした役割についてお教えいただけますか?

プラッソン:まずは演奏してみることをお勧めしますよ、日本の方たち! フランス音楽は皆さん大好きだと思いますが、ドビュッシーやラヴェルばかりでなく、実際にはもっと、シャブリエ、イベール、ルーセルなど素晴らしい作曲家がたくさんいるのです。そこに目を向けて欲しい。まあ、フランスでも似たような状況ですが。マネやモネのような有名な画家は大切にされているのに、音楽家たちの業績の多くは、忘れ去られてしまっている…。

――シャブリエが多くの画家たちと親交が深かったということは、シャブリエの音楽を理解する上で何かの鍵になるのでしょうか?

プラッソン:画家に対してはわかりませんが、作曲家に与えた影響はたくさんあったと思います。ただフランスだけにとどまっていた。そして、不幸にしてワーグナーの影響を受けてしまった。たとえば彼のオペラ「クヴァンドリーヌ」。ワーグナーの影響をあまりにも受けてしまって、あれを書いた。ワーグナーの影響とは、ある種の毒です。たしかに幸せをもたらすのだが…ただその辺が難しい。ドビュッシーはワーグナーの影響を強く受けましたが、それをサッと取り除けることができた。シャブリエはオペラ「クヴァンドリーヌ」でワーグナーの影響をあれほど受けてしまった。ただ、オーケストラ作品は実に見事なものを残しているのです。イベールは日本ではよく演奏されますか?彼の代表作「寄港地」は? ルーセルはどうですか?ショーソンは?

――もちろん少しずつは演奏されています。でもそれほどしょっちゅうではないですね。やはりドイツ・オーストリアものが日本では人気があり、次にロシアものです。フランスものはさらにその次といったところではないでしょうか。少しずつ開拓はされていますが。

プラッソン:いくらでもフランス音楽の作曲家は取り上げるべきです。

――マエストロは、フランスのオペラに関しても素晴らしいお仕事をなさっておられます。4月には東京二期会でマスネのオペラ「エロディアード」を演奏してくださいました。文豪フローベールの原作で、サロメの伝説に全く別な視点を与えてくれるもので、マスネの音楽の美しさに多くの人が心打たれました。まだまだもっと演奏されるべき人ですよね。ちなみにプーランクは「フランス人はみな心の中にマスネを持っている」と書いていますが?

プラッソン:(笑)でもマスネのことをドビュッシーは全然尊敬していなかったそうですがね。フランスのオペラでは、ビゼー、マスネ、グノー、サン=サーンスの作品も忘れてはなりません。

――グノー、マスネ、サン=サーンスは、マエストロのおっしゃる「ワーグナーの毒」は受けたのですか。

プラッソン:違うと思います。マスネはまったくワーグナーの影響は受けていない。マスネからの影響は、フランク、マニャール、ダンディへと受け継がれています。

――マエストロの近代フランス音楽への造詣はあまりにも幅広く、どこからうかがっていいか迷ってしまうほどです。日本のオーケストラに、フランス音楽を演奏する上でのアドヴァイスをいただくとしたら、どういうことになりますか?

プラッソン:こうやって、お互いに触れあって理解をすること。それも、すぐに効果が上がるとは限りませんね。言葉で伝えるものではないので。お互いを知り合うこと、そこから始めないといけません。素晴らしいレベルに皆さんは達しています。しかしドイツ音楽とフランス音楽は全く違う。それらを同じように演奏してはいけない。その中にいろいろな複雑な関係性が出てきたりすることもありますが。フランス音楽とは、演奏の仕方です。日本のオーケストラも、最初は苦労すると思います。時間をかけて説明して、お願いして、結果を得なければいけない。指揮者にとって一番難しいのは、彼らが何をできるのかを、ちゃんと認めてあげることです。

――マエストロのお若かったころと、現代のパリでは、どんな音楽状況の違いがあったのでしょうか?

プラッソン:(落胆したように)何もかもが変わってしまいました。世界は変わってしまった…。すべてがインターナショナルとなり、文化は混じり合いすぎた。パーソナリティを保つことができないのであれば、本当に大変なことになってしまう。それを抜きにしては、何もかもがフラットに、すべてが同じになってしまう――それは何も価値を持たない社会になってしまうことです。それがユニフォームゼイションとでもいうのでしょうか。宝をちゃんと守っていかなければいけない。フランスという国はそれをあまり意識しないし、心配しない。日本の方がそういうことを意識していらっしゃるのではないですか。

フランス音楽には世界最高のクオリティのものもあると思うのですが、それが今や国際化してしまった。たとえばヴァイオリンの演奏でも、アメリカのようになり、ドイツのようになり、ロシアの影響を受け、フランスの作りというものがあったのに、みんな同じような演奏になってしまっている。(語気を強めて)フランスのオーケストラというものは、果たして今は残っているのでしょうか? 本物のフランスのオーケストラというものは! かつて偉大な指揮者シャルル・ミュンシュがやっていたような、決して強く弾き過ぎず、明るい音で表現できるような、フレンチ・オーケストラ・エレガンスのスタイルがあった時代は失われてしまった。それは、私の懺悔でもあるのですが。

――やはり失われてしまっているのですね。 今日はピアソラの曲を演奏なさいましたが、それはピアソラも師事した、20世紀音楽の生みの親ともいえるあの偉大な音楽教師ナディア・ブーランジェ(1887-1978)とのつながりからですか。

プラッソン:アメリカに音楽というものを教えたのは彼女なのです。そしてナディアの妹リリーは、素晴らしい作曲家でもあったことも忘れてはなりません。ナディアは教えるのは素晴らしかったが、作曲家としてはリリーが素晴らしかった…。音楽の現状については、申し上げたいことがたくさんあります。そして、実はそれは政治の話に直結してくるのですが…。

マエストロは、着替えもせず、ステージ衣装のまま質問に長く答え続けてくれた。マチネのコンサートだったので、洒脱な白いジャケットに、黒いポケットチーフを粋につけた姿だったが、そのいでたちは、フランスのエレガンスを身をもって体現しようとしているかのように思えた。

本物のフランスのオーケストラのエレガンスについての思いを語る、その情熱的な語り口は特に印象的だった。86歳と高齢ながらお元気なマエストロ、一回一回のステージはますます貴重である。

PROFILE

林田 直樹

林田 直樹

音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。

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