「デザイン」は、今、かつてないほどの注目を集めています。反面、その本質は見失われ誤解されているのではないかと、佐藤卓さんは考えているそう。「ロッテ キシリトールガム」や「明治おいしい牛乳」のパッケージデザインなどを手がけ、第一線で活躍する佐藤さんが、あらためて問い直すデザインの本質とは?
近著『塑(そ)する思考』(新潮社)の中でも触れられているあらゆる事例を挙げて、その答えを紡ぎ出してくれました。
ビジュアルシフト編集部(以下、編集部):佐藤さんが考える、デザイナーがなすべき仕事とは、どんなものでしょうか。
佐藤卓さん(以下、佐藤。敬称略):デザインのスキルを使って、物や事の本当の価値を人や人の暮らしへと繋ぐこと、物やクライアントと生活者の間に立って、伝えるべきことを適切に翻訳し、正しく伝わるようにお繋ぎすることです。ここで大切なのは、デザインは、何かを「生み出す」ことではなく、「見つけ」「見い出し」「繋ぐ」ものであること。既にあるけれどまだ誰も気が付いていなかった何かをクライアントと一緒に見つけ出す。そうして見つけたものをビジュアライズする。ビジュアルを使ってこのコミュニケーションを成立させるのですが、そこは私達にしかできない領域ですから、本当に真摯に向き合わなくてはいけません。主となるのはクライアントであり、また不特定多数の生活者であるという意識をしっかりと持たなくてはいけないと思います。
編集部:それではクライアントと対立関係になったり、妥協をするといったことはないのでしょうか。
佐藤:ないですね。デザインはクライアントと一緒にあるべき方向を探していく作業ですから、難しい関係になることはほとんどありません。もちろんコミュニケーションを重ねる中で反対意見が出ることもあります。だとしたら、どういった背景があって反対意見が出ているのか、そこを理解するのもデザイナーの仕事です。その結果、「なるほど、そういう考えもありますねえ」と、ときには同調しちゃうことだってあります。
編集部:世間でよく言われる「おもしろくない仕事」というものは、佐藤さんにもあるのですか?
佐藤:デザイナーが、「物」や「こと」と人々の生活の間を繋ぐ立場にあることを正しく理解し、「やるべきこと」に集中していると、やがてその仕事は社会のためになり、人々に喜ばれるようになります。すると、「やるべきこと」が「やりたいこと」へと自然に変換されていくんです。こうなると、もうつまらない仕事なんて1つもない、ものすごく幸せな状態です。反対に、学生時代にこの変換の技術を身につけないまま社会人になりデザイナーになってしまうと、いつまでも自我をコントロールできずに悩み続けることになるんです。
編集部:とはいえ、やはり自分らしさや個性を表現したいと思うデザイナーは多いのではないでしょうか。
佐藤:そういう人がほとんどかもしれませんね。だからこそ、デザインは自己表現が目的ではないということを、今ここではっきりとさせておかなくてはと思うのです。物と人の間に立って“繋ぐ”という、自分の置かれた立場を理解もしないで、「やりたいこと」だけが生まれちゃうのは大きな問題です。何かに夢中になっているときは無意識ですから自我はないんです。ところが、自我というのは厄介なもので、いざ何かを考える状態になると目覚め、自分らしさを出そうと余計なことをし始めます。やりたいことをしたいなら作家になるか、あるいは作家色の強いポジションを見つければいいんです。
編集部:佐藤さんの手がけた商品は息の長い物が多いように感じますが、それはデザインの際に意識しているのですか?
佐藤:できるだけ長くもつ、賞味期限の長いデザインを世に送り出したいという気持ちを常にもっています。ただしそのためには、商品そのものに力がなくてはいけませんから、設計(商品開発)の段階から参加することもあります。そしてクライアントに問いかけます。売れなくなったら変えてしまえばいいと思われますか? それとも定番として世に残していきたいですか? こうしてクライアントが物にどのくらいの思いを込めているか、少なくとも10年生き抜く力をもっているかどうかを確かめながら、一緒にその時代にふさわしいデザインを探し、施していきます。
一方で世の中は移ろうものですから、どんなものも永遠に続くことはあり得ません。たとえばチューインガムを噛むという習慣が100年後にあるかどうか。電車に乗る人々の行動を一度ゆっくり眺めてみてください。みなさん座るやいなやスマホを取り出して、誰もチューインガムを噛んだりしていないでしょ? みんなスマホに集中しているから、ガムを噛む必要がないんです。定番と呼ばれるには少なくとも10年は必要です。しかしその間には、生活習慣も環境も変わる。さらに、10年続けば、受け手の世代も代替わりします。だからこそ、世代が入れ替わっても耐え得る頑丈なデザインを施さなくては。そのためにあらゆるシミュレーションをするのです。
編集部:デザインはおしゃれでカッコいいもの、おもしろいものといったイメージがありますが。
佐藤:最近、デザインをよく「おもしろい、おもしろくない」と評することがありますが、それがデザインの本質だと思われてしまうのはとても危険です。たとえば信号機や横断歩道、地面の内部にも確かにデザインは施されていますが、それらがおもしろい必要はありませんよね。信号機の、赤・緑・黄色の適度な間隔は絶妙に保たれていて、だからこそ、誰もデザインには気をとめません。ところがこの間隔を少しずつ広げていくと、ある地点で、きっと「あれ?なんか変だぞ」とみんなが気付くところがあるはず。でも、これはデザインがうまく機能していることとは別。一般の方は、誰も信号機にデザインの力が働いていることに気付きません。このように、そもそもうまく機能しているデザインというものは、“気付かれない”ものなんです。たとえば椅子は、本来座り心地を提供するものであり、デザインは座るという行為に導くためにあればいい。ところが、多くのデザイナーが“デザインすること”を目的にしていることが多いのも事実です。
編集部:佐藤さんはときどき「デザインが消える」という表現を使うことがありますが、それはどういうことでしょう。
佐藤:「明治おいしい牛乳」という商品がありますが、パッケージの仕上げ段階で、0.1mm単位で文字の配置を調整していると、ある時点で“デザインが消える場所”が見つかることがあるんです。その瞬間は、まさに「きたーっ!」という感じですね。デザインの奥にある物の真価を人に繋ぐことができる場所、そこにデザインの存在は必要ありません。
あるとき、バーで知り合った初対面の方に自分の仕事を説明することになりまして、その「明治おいしい牛乳」のパッケージデザインを例に挙げたんです。するとその方が、「あれのどこがデザインなんですか?」とおっしゃったんですよ。そんな風に言われたら腹を立てるデザイナーもいるかもしれませんが、僕にとっては、これ以上うれしい言葉はなかった。ああ、あのパッケージは、牛乳という商品の中へこの方をお連れすることができたんだ、お繋ぎできたんだって。今でも忘れられない出来事ですね。
編集部:日本では、デザインはアートの一分野と捉えることが多いようですが、それもデザインが誤解されている一つの要因でしょうか。
佐藤:アートとデザイン、これらは本来並ぶべきものではありません。ところが日本の図書館で使われている図書分類法「日本十進分類法」によると、デザインは、哲学、歴史、社会科学、自然科学、技術、産業、芸術、言語、文学などとある中の、芸術の下に分類されてしまっているんです。その名残りなのか、本屋さんでもデザイン書は芸術の棚の端にあるでしょう? そもそもデザインはカテゴリーではないんです。医療、政治、福祉、教育、どんな分野も、また文字(書体)も数式もテクノロジーも、すべてはデザインのフィルターを通すことで使えるものになる。こうして考えると、デザインというのは、唯一分類できないものなんじゃないかとすら思えてきます。
編集部:では、デザインマインドがないために、失敗してしまった例などはありますか。
佐藤:たとえば物事は放っておくと拡散しバラバラになるという「エントロピー増大の法則」というのがあるのですが、街になんの規制も設けずにいるといずれカオス状態になり、心地よい生活が営めなくなってしまいます。これをまとめるのがデザインの力なのです。実際、縄文時代だってトイレやゴミ捨て場所は決まっていたのですから、その頃から既に生活デザインは行われていたんです。では今の日本はどうか? 震災被害を受けた街の復興はまさにデザインそのものですが、手がける政治家にデザインの概念がない。その弊害はあらゆるところに出ています。
編集部:佐藤さんは、子ども番組のプロデュースも手がけていらっしゃいますが、子ども向けの番組にデザインの要素を取り入れる理由はなんですか?
佐藤:たとえば、歩道に大きな石が落ちていたら拾って脇に寄せておけば、多くの人がつまずくことなくスムーズに歩けますよね。デザインというのは、先々を考えて物事を適切に施すことですから、デザインマインドはつまり「気遣う心」とも言えるでしょう。しかし、置かれた状況下で神経を配ることが習慣になっていない人にとっては、こういう気遣いって案外疲れるもの。大人になってから学ぶのでは遅いんですね。だから僕は、学校の教科を、「国語、算数、理科、社会、体育、デザイン」としたらどうだろう、と提案しているんです。デザイン=気遣いですから、道徳も学べちゃいますしね。
『デザインあ』(NHK Eテレ)がスタートしたのは、2011年。番組スタート時の私の挨拶は、「この子達の30年後のために番組を始めましょう」という内容でした。当時見始めた子どもが5歳くらいとして、今11歳。この先、政治家や経営者、行政の立場になることもあるでしょう。世の中で実際にデザインを決定するのは、実はデザイナーではなくこういう人々である場合が多い。だからこそ、デザインってどうやら大切なもののようだぞ、あちこちに潜んでいるみたいだぞ、と刷り込まれた子ども達がいつか仕事を任される年齢になったとき、いったいどんな対応をしてくれるのか楽しみなんです。
プロフィール
グラフィックデザイナー
1979年東京藝術大学デザイン科卒業、1981年同大学院修了。株式会社電通を経て、1984年佐藤卓デザイン事務所設立。「ニッカ・ピュアモルト」の商品開発から始まり、「ロッテ キシリトールガム」、「明治おいしい牛乳」、「S&B スパイス&ハーブ」の商品デザイン、「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」のグラフィックデザイン、「金沢21世紀美術館」、「国立科学博物館」のシンボルマークを手掛ける。
また、NHK Eテレ「にほんごであそぼ」アートディレクター、「デザインあ」総合指導、21_21 DESIGN SIGHTディレクターおよび館長を務めるなど多岐に渡って活動。著書に『クジラは潮を吹いていた。』(DNPアートコミュニケーションズ)、『塑する思考』(新潮社)など。
amana BRANDING
amana BRANDING
共感や信頼を通して顧客にとっての価値を高めていく「企業ブランディング」、時代に合わせてブランドを見直していく「リブランディング」、組織力をあげるための「インナーブランディング」、ブランドの魅力をショップや展示会で演出する「空間ブランディング」、地域の魅力を引き出し継続的に成長をサポートする「地域ブランディング」など、幅広いブランディングに対応しています。