BtoB企業も、顧客企業の求めるスペックや価格にこたえていればよかった時代は終わり、その先にいる生活者の視点から逆算するマーケットイン型の開発が求められている今。
100年以上の歴史を持つ素材メーカー・三井化学では、多様なデザイナーやクリエイターとのコラボレーションを重ねながら素材の新たな価値を見出し、生活者とコミュニケーションしていくための取り組みが進んでいます。
三井化学で2015年にスタートしたオープン・ラボラトリー活動、「そざいの魅力ラボ(Mitsui Chemicals Material Oriented Laboratory:MOLp(モル)」。研究者が外部デザイナーと共創して自社開発素材の魅力を活かした身近なプロダクトを制作し、インテリアライフスタイル展やミラノサローネといった見本市へも出展するなど、デザインを通して素材の社会的価値を捉えなおす試みを重ねてきました。
活動開始から5年、社内外にどのように広がりを見せているのでしょうか。
プロジェクトを主導する、三井化学 コーポレートコミュニケーション部の松永有理さんにお話を伺いました。聞き手は、同社のコーポレートムービーなどクリエイティブ制作を担当する、アマナの濱谷俊輔と久保将育です。
松永:「BtoB企業の広報は難しい」とよく言われますが、僕たちが扱っているのは、「つぶつぶ」「液体」「ガス」。機能的な違いがわかりづらかったり、そもそも目に見えないので、社会の中で自分たちの仕事がどう活きているのか、いかに貢献しているのかが、みなさんはもちろんのこと社員にとっても見えづらいんです。
松永:2008年から2013年にかけて、リーマンショックやその後のソブリンリスクも相まって業績が悪化したことを受けて、ポートフォリオの見直しを図りました。我々のようなBtoB素材メーカーも価格やスペックだけでは戦えなくなってきたなかで、広報としてどのように新たな価値の創造に貢献できるか。その仕掛けのひとつとして起こしたのが、MOLpの活動です。
対外的なプルマーケティングとしての機能はもちろん、インターナルの目的も重視しました。研究者のエンゲージメントが低下していた中で、自社が未来に対して可能性を持っていることを社会的なアプローチから熱量を持って体感してもらう必要があった。
でも、我々の素材が注目のプロダクトやサービスに採用されたとしても、業界的な事情で採用リリースを出せないケースが多いので、社会的な文脈からは認識を共有しづらいんですね。だったら、自ら事例をつくって、価値を表現して、自ら語るしかない。「風が吹けば桶屋が儲かる」のように、自ら風を起こしてやろうというのがこの活動のスタートなんです。
濱谷:なるほど。今、MOLpメンバーは何人くらいいらっしゃるんですか?
松永:誰でも参加可能で出入り自由にしていますが、今は20人くらいがアクティブな状態ですね。楽しいと人は能動的になりますし、自然と集まってくる。自主的な活動を通してユニークでチャーミングな組織をつくりたいし、熱量あるコミュニケーションにPRの機能を掛け合わせて拡げていくことで、“リアルオウンドメディア”のようなかたちになっていくことを目指しています。
濱谷:ファッションブランドのアンリアレイジさんとのコラボレーションなどは特に、御社ととても相性がいいんだろうなと思いながら拝見していたんですが、出会いのきっかけは何だったんですか?
松永:2018年3月に東京・青山で期間限定の「MOLp café(モルカフェ)」を開催し、そこで自社開発素材でつくったプロダクトを展示しました。来ていただいた方がたまたまアンリアレイジのデザイナー・森永邦彦さんとお知り合いで、展示していた素材を森永さんに紹介してくださったんです。そこから一気に、半年後のパリコレに向けて話が進んでいきました。
松永:まだあまり知られていないフォトクロミック技術をこのようなかたちで世に出してみたところ、森永さんにつながり、パリへつながり、それをきっかけに他の海外ブランドにまで我々の存在が知れ渡るようになった。こうしてつながっていくのは単純に嬉しいですし、可能性の広がりを研究者が認識するという意味でも意義深かったように思います。
濱谷:コロナ禍の変化もあり、ますます先の見通しづらい時代になっていく中で、どのアクションが何に作用していくかは予測しづらい。そういう意味でも、MOLpの活動は時代に合っているような気がします。
松永:まさに、どこにスイッチがあるかわからない時代ですよね。MOLpの活動の目的はプロダクトをつくることではなく、あくまでもコミュニケーションを生むことに置いているので、多様なアイデアを想起させるためにも、あえて完全体にはしない。多方面に可能性をひらくためにも、余白を残したプロダクトの見せ方を意識しています。
ただ、ベストストーリーは想像しているので、そこへ繋がるようなプロダクトの提示を行うことで、必然的なセレンディピティを生み出せるように練っています。
濱谷:アウトプットが明確に見えていなくても、どこかで可能性がひらけたときにすぐにダッシュできるように、社内にR&D機能(研究開発機能)を持って普段からいろいろ試しておくことはこれから重要になってくる気がします。そのプロセス自体を発信していくことで、対外的にも「三井化学には他にも何か面白い素材が眠っているんじゃないか」という見せ方ができますよね。
久保:活動を5年続けてきて、見えてきた変化はありますか?
松永:さまざまなメディアで取り上げていただいたり、「トレたま年間大賞」(主催:テレビ東京WBS)や「グッドデザイン賞」(主催:日本デザイン振興会)をいただいたりと、外からのポジティブな反応がブーメラン式に社内に返ってきて、少しずつ社員の意識が変わってきているところはあるかもしれません。MOLpでも、SNSアカウントを立ち上げて活動の紹介を始めまして、徐々にですがフォロワーが増えてきました。
久保:面白いですね。実際にどういうプロダクトを出していくかは、研究者の方々に任されているんですか?
松永:研究者以外のメンバーもいますし、それぞれの得意分野を持ち寄りながら、チェーンのように知恵をつないでアイデアとプロダクトをつくっていくイメージです。
新しい素材ができただけでは価値は生まれなくて、必ず、素材・人の創造力・加工技術の3つが揃ったところに、何らかの「開放」が生まれる。それはこれまでの歴史も証明するところです。例えば石は、紀元前6万年に石器の技術が生まれて農耕文明が芽生えたことで「食の開放」につながりましたし、鉄で人が交易を始めたことによって貨幣が流通し、それが「産業の開放」につながりました。
ICT技術により全てがつながり合っていくようなこれからの時代においては、「新しい豊かさ」という概念が開放されていく時代になっていくでしょう。変化の時代だからこそ、素材は人に寄り添って人の創造力を刺激する存在であり続けたいし、素材・創造力・技術の律速のリミッターを解除するような存在で在りたい。そんな思いを持って進めています。
久保:最近の取組みの中で気になったのが、福岡県大牟田市の炭鉱電車の記憶を残すというプロジェクトです。これはどういった経緯で始められたのでしょうか。
松永:大牟田の三池炭鉱は日本で初めて石炭が発見された場所なのですが、1997年の閉山後も弊社大牟田工場の原料輸送で炭鉱電車を活用してきました。それが輸送ルートの見直しに伴って2020年5月に廃線になり、100年以上の歴史に幕を下ろすことになって。ただやめるのではなく、地域に長年関わってきた以上、何かかたちとして残したいという思いで始めたのが、「ありがとう 炭鉱電車プロジェクト」です。
松永:どう残そうかと考えたときに、綺麗な映像として記録したいという思いももちろんあったのですが、もう少し、ここを知る人の肌感に近いかたちで残せないかなと思ったんですね。というのも、大牟田の歴史自体、炭鉱まちとして栄えた事実もある一方で、労働争議があったり、閉山後は急激な人口減少に見舞われるなど、明るい歴史もあればマイナスの歴史も包含している。三井グループに対するまちの方々の思いも複雑なところがあります。
ポジティブな感情もネガティブな感情も含めて、多面的なまま炭鉱の記憶を残すことで、未来へのレガシーにしていくことができないか。そうした意図のもとに、映像に加えて音に残すという試みにチャレンジしました。
久保:僕たちの普段の仕事でも、やはり表面上は“美しく綺麗な映像に表現する”といったケースが多いのですが、物事にはいろんな側面があるし、複雑さを抱えたまま多面的に表現するというのは面白い試みですよね。
松永:音は映像と違って、パーソナルなスイッチを押してくれる感覚があると思います。映像以上に、個人的な記憶に紐づいた感情が湧きやすい。それでいいし、そういう残し方をすることで、まちの人たちにとって未来へのレガシーにしていけるのではないかという思いがありました。
久保:アマナでも、コロナ禍でリモートワークになってから社内メディアでラジオをはじめました。今までずっとビジュアルをコミュニケーションの軸に据えてきた会社で、音を軸としたコミュニケーションの良さを考えてみるという新たなトライをしています。
松永:ラジオ局の方々からは、コロナ禍でラジオリスナーが増えたという話も聞きますよね。
「ありがとう 炭鉱電車プロジェクト」では、こうした音で残す試みのほか、映画監督の瀬木直貴さんとともに映像を製作したり、詩人の道山れいんさんと言葉に記したりと、複合的に記憶を残す取り組みを進めています。
久保:今後のMOLpの活動としては、どのように描かれていますか?
松永:あまり数字を追い求めすぎると、自由度や柔軟性も失われてしまい本末転倒になる可能性もありますし、明確に組織化されていないことのメリットも少なくないと思います。
継続して企業文化として育みながら、その先にMOLpというプロジェクトがなくなっても、組織横断的なつながりの中で多様なアイデアが自然に湧出し、内外関係なくコラボレーションが生まれている。そんな企業になっていくといいなと思います。
あらゆる産業と関係を築ける素材メーカーだからこその、面白い未来があるんじゃないかと思っています。
モノやサービスが溢れ、機能性や技術力だけでは生き残れない。そんな時代に生活者にいかに選ぶ「意味」を見出してもらえるかは、BtoCのみならず、BtoB企業にとっても避けては通れない課題と言えるでしょう。
自社の生み出す「価値」は、どのように人を、そして社会を豊かにしているのか。それらを捉えなおしていくうえで、デザインやクリエイティブとの掛け合わせは、少なからず新たな視点を提供してくれます。
※この記事は、2021年1月14日にVISUAL SHIFTに掲載された記事を再掲載したものです。
撮影[top]:広光(UN)
レタッチ[top]:カワノミオ(amana)
AD[top]:片柳 満(amana)
撮影[interview]:Kelly Liu(amana photography)
文・編集:高橋 沙織(amana)
宙を舞う、煌めくアクリル文字を真俯瞰から撮影した今回のビジュアル。
文字も、ある意味では人がコミュニケーションすることに最適化されたデザインであり、良いデザインとは、文字や言葉のように無意識に私たちの日常に溶け込むものなのかもしれません。だからこそ、文字をあえて立体で表現し、光をあてて角度を変えて見てみることで、“デザインされたもの”であることに意識的になってみたい。そんな思いを込めています。
amana visual | 広光