世界水準の「ナショナルパーク」を実現するため、環境省が行っている施策「国立公園満喫プロジェクト」。各国立公園の魅力を国内外へ向けて伝えるため、まず実施したのが官公庁としては珍しいインナーブランディングです。その内容と成果、そしてプロジェクト進行中に発生したコロナ禍での取り組みについて、環境省の尾﨑絵美さんに伺いました。
——まず「国立公園満喫プロジェクト」発足の経緯を教えてください。
尾﨑絵美さん(以下、尾崎。敬称略):現在、全国には自然公園法に基づいて国が指定した国立公園が34あり、指定目的は日本を代表する風景地の「保護」と「利用」です。しかし、これまで「保護」を重視し、「利用」面は十分に取り組めていませんでした。過去には、国立公園を目的地とした団体旅行が盛んだった頃もありましたが、近年は欧米諸国と比べると国立公園の観光地としてのポジションが確立できているとは言えない状態。特にインバウンドに対しては、ポテンシャルを発揮できていない、という課題がありました。
2016年にインバウンド客をさらに呼び込むことを狙った「明日の日本を支える観光ビジョン」が策定され、これにひもづいたプロジェクトの一つとして、訪日外国人の国立公園利用者数を2020年までに年間1000万人にまで増やすことをミッションにした「国立公園満喫プロジェクト」が発足しました。
——具体的な施策はどのような内容でしょうか?
尾﨑:34公園のうち、まずは先行して取り組む8公園((阿寒摩周、十和田八幡平、日光、伊勢志摩、大山隠岐、阿蘇くじゅう、霧島錦江湾、慶良間諸島)を選定し、インバウンド対策として、ソフト・ハード両面を整備してきました。たとえば、案内看板や展示施設の多言語化、自然体験コンテンツの磨き上げ、廃屋の撤去による景観の改善、民間事業者との連携によるアクセスの改善などです。そのうえでメディアやSNSなどを通して、プロモーションを図ってきました。
貴重な自然環境を有する国立公園の魅力を再構築し、国内外から多くの観光客を呼び込むことで、地域に経済効果をもたらし、自然環境の保全に再投資して、保全と利用の好循環を実現。そうして世界水準のナショナルパークにまで引き上げるのが最終目標です。
——外向けのプロモーション施策にも関わらず、国立公園の企画官や現場のレンジャー(※)の方々などを対象にした「インナーブランディング施策」を重視し、実施されました。理由はどこに?
※…国立公に配置された環境省の自然保護官。許認可業務による景観保護や、公園内の自然環境・動植物の保護のための調査や利用状況の調査など業務は多岐にわたる。
尾﨑:まずは国立公園の魅力や価値の共通認識を保つことが重要だと考えたからです。発信側であるレンジャーをはじめとする国立公園関係者が国立公園に対してバラバラのイメージを持っていたら、国立公園の魅力がぼやけてしまい、いわゆる“ブランド”として認知されづらくなります。
国立公園の運営や情報発信については、予算や人のリソースが限られているため、環境省のみならず、地域の方や民間企業など多くの関係者と一緒に実施することが必要。しかし、ともすると発信する情報の内容がバラバラになりがちです。
ステークホルダーが多く、いわば「インナー」が多彩なため、それぞれの国立公園に対するとらえ方も異なります。そこで、まずはインナーブランディングから手掛けることで、打ち出すべき国立公園の魅力や価値について共通認識を持つための施策が重要という考えに至りました。
——共通認識を生み出すためにどのような施策を実施されましたか?
尾﨑:核となったのは、インナー向け啓発ツールの制作です。日本の国立公園のストーリー集として、8つの国立公園ごとに国内外に伝えるべき情報をテキストとビジュアルでA3・40ページの冊子にまとめました。これをもとに各地域の根底に流れる国立公園の価値や、伝えるべき魅力を整理して、関係者に浸透させることを目的としています。
これまでもそうしたツールやコンテンツを作成していましたが、今回はよりわかりやすく、伝わりやすくするため、環境省、各国立公園が持っている知見を、あらためて整理して作成しました。
——ストーリー集制作に先立ち、各国立公園のスタッフや関係者を一同に介したワークショップを実施したそうですね。
尾﨑:はい。2018年度のはじめに8公園のレンジャーを中心に職員に東京へ集まってもらい、国立公園の魅力を導き出すワークショップを行いました。このワークショップでの議論をもとに各国立公園の魅力を浮き彫りにして、啓発ツールの編集の切り口を探るのが大きな狙いでした。公園の数に合わせて8つのチームをつくって議論したのですが、あえて別の国立公園のメンバーをシャッフルしました。
——なぜ他の公園の方を混ぜたのでしょう?
尾﨑:各国立公園のスタッフは、自身の国立公園の知識に関しては専門家であっても、世界や全国レベルまで標準を上げ、俯瞰して魅力を語れる人は自分含め多くはないと思います。観光客が公園に来訪した際、その公園の魅力をひとつでも持って帰ってもらうために、国内外と比較したときに特徴となる魅力を理解することが必要だと感じました。
他の公園と比べて、どれほどの魅了があるかを冷静に洗い出してもらいたいと思ったので、あえて別の公園の担当者も交えて話してもらいました。
——実際のグループワークはどのように進めましたか?
尾﨑:まずグループごとに「外部から見られたい理想の姿」や「実際はどのように見られているか」などを付箋に書き出して可視化します。そこで出てきたキーワードをもとに、「海外からみてどんな優位性があるか」「他の公園と比べて何が違うのか」といった意見を出し合いました。
——議論をするうえで気をつけたことはありましたか?
尾﨑:「自然の中で何ができるか」といったアクティビティではなく、人の暮らしや文化を背景にした自然の魅力に絞って議論しました。日本の国立公園は、その区域内に神社仏閣や居住区が含まれているのですが、国立公園の中に“人の営み”があるのは、世界でも稀なんです。なので、インバウンドで打ち出すならば、そこははずしたくなかったですし、ストーリー集として各公園の情報をまとめるのであれば、その軸は歴史や人の営みが感じられる日本の自然にこそあると考えました。
ワークショップの場でストーリー集の方針も固めたことで、現場の声もしっかり反映させることがました。写真を効果的に使ったわかりやすさ、現場のみならず他の公園担当者の声も集めた客観性、そして有識者の専門性が1冊に集約され、わかりやすいものになったと思います。
尾﨑:翌年の2019年度は、このストーリー集のさらなるブラッシュアップと内容を浸透させることを目的としたワークショップを実施しました。「ブランディングとは何か」を各国立公園に伝える際、企業の事例などを用いて関係者へ伝え、ストーリー集をもとに各公園のニーズに沿ったワークショップを企画しました。
たとえば十和田八幡平国立公園からは、「アメリカの国立公園の実情をもっと知りたい」というオファーがあったので、実際にアメリカの国立公園に詳しい専門家を招いてお話ししてもらったり、阿寒摩周湖国立公園ならば地質学者の方を招き、地質学的なディープな差別化ポイントを探ってもらったり、といった具合です。
——共通認識となるストーリー集ができたことで、より自分たちが担当している公園の魅力を磨き上げる議論が活発になったということでしょうか。
尾﨑:そのきっかけ作りができたということだと思います。新型コロナウイルスの影響で2019年度のワークショップはリモートでの実施になったところが多かったのですが、収束後は「さらに議論していきたい」「またワークショップを」という声も出ています。
——インナーブランディング施策の実施前後で最も変わったと感じることは何でしょうか?
尾﨑:これまでバラバラに行われていた施策が、各国立公園の魅力・価値を軸に一貫性をもって表現することを意識できるようになったことです。各国立公園のストーリーがすべての施策の基盤となり、コンテンツ制作やプロモーションを行うことを再認識しました。
——コロナの影響で今後は施策内容も変わっていくと思いますが、何か考えていることはありますか?
尾﨑:テレワークが一気に進み、都市での働き方やライフスタイルがガラリと変わったことで豊かな自然環境を有する国立公園の価値は相対的にさらに高まるのではないでしょうか。たとえば国立公園でワーケーションを行うといったことも増えてくるかもしれません。オンタイムは国立公園内でテレワークをして、オフタイムは国立公園内で家族と遊ぶ。そんな新しいワークとライフの提案の可能性もあります。
——ワーケーションにもインナーブランディングの施策は活かされていくでしょうか?
尾﨑:そうですね。ワーケーションと言っても各国立公園の魅力・価値はさまざまですから、インナーブランディングの施策によって得た共通認識が生きてくると考えています。今後も内部の磨き上げを続けながら、国立公園の新しい未来を形作っていければ、と期待しています。
インナーブランディングの意義の一つは、チームが行動指針となるビジョンを共有した結果、一人ひとりが自律的に判断し、行動できるようになることです。インバウンド向け施策として始まった国立公園のインナーブランディングは、自分たちの強みや価値をもって何ができるかを考え、アイデアを生み出せる、強い足腰を育むことにつながっています。
インバウンドそのものは逆風が吹いていますが、今回の地道なインナーブランディング施策は、不測の事態に際しても新たな施策を講じていく下地になるのではないでしょうか。
※本稿で紹介した「国立公園満喫プロジェクト」のインナーブランディング施策は、アマナが業務請負の形で関わりました。
インタビュー・文/箱田高樹
デザイン/下出聖子
編集/徳山夏生(amana)