東京、ベルリンとミュンヘンにオフィスをかまえるグッドパッチは、社員の行動指針となるバリューの浸透に失敗し、離職者を多く出した過去があり、そこから組織を立て直しました。どのように組織を再生し離職率の改善を実現したのか、PR&PXグループマネージャーの高野葉子さんに伺いました。
——まず、グッドパッチはどんなことをしている企業なのか教えてください。
高野葉子さん(以下、高野。敬称略):グッドパッチは企業のUI/UXのデザイン・開発をベースに、新規事業の立ち上げや組織構築支援、製品やサービスなどのUXデザイン、企業の戦略を構築するBX(ブランドエクスペリエンス)デザインを手がけています。
——以前グッドパッチは、離職が多く社内には多くの課題があり、さらに、代表の土屋氏は「企業文化が崩壊していた」とnoteなどでも書かれていますが、高野さんが入社した当時はどのような状況だったのでしょうか?
高野:私が入社したのは2016年の1月ですが、その頃は初期メンバーの離職が相次ぎ、徐々に組織の綻びが見え始めてきた時期でした。面接でも社長の土屋から「うちの会社は今、決していい状態ではありません。自ら組織を変えていこうという意思がありますか?」と聞かれたくらいです。
でも私はこれまでにもスタートアップの会社で働いていたので、“会社は自分で作り上げていくのが当然”だと思っていました。ですから、土屋のこの言葉を聞いてむしろ、やりがいを感じたくらいですね(笑)。
——そうだったのですね。では、“社内の綻び”とはなにが原因だったのでしょうか?
高野:当時は社員数が60人から100人に向けて急増している時期だったのですが、ミドルマネジメント層の人数が追いついていませんでした。またそんな背景から一般社員との意思疎通も十分に行われていない状況に陥っていました。
当時からグッドパッチには社員が共感するビジョンとミッションがありましたが、追って発表されたバリューにはマネジメント層のコミットもないまま社員に十分浸透することなく立ち消えとなってしまったのです。全員が共有する企業文化が希薄になり、メンバー間の共通認識も取れなくなっていきました。
——会社としてどのような打開策を打ったのでしょうか?
高野:浸透しなかったバリューの中身は「偉大なプロダクトは偉大なチームから生まれる」など多くの当社の社員には共感してもらえるものでした。それなのに浸透しなかったのは、バリューではなく本質的には会社に対する不信感の表れではないかと考えました。
そこで、当時バリュー浸透に関わる全ての施策を一時的にストップさせ様子を見ることにしました。ただ、組織がそのような状況でも事業は成長し続けていたこともあり、目の前のできる仕事だけに注力しました。
——社内の状況はすぐに改善されなかったわけですね。
高野:一時は離職率も40%にまで達し、組織改善ツールの「モチベーションクラウド」による企業と個人の相互理解・相思相愛度を測定し、偏差値化した「エンゲージメントスコア」(※1)も最低の「CCC」を記録したこともあります。しばらくは機を伺い、2018年の春から新たなバリュー再構築のために動き出しました。
(※1)組織改善を目的とし、社員のモチベーションを数値化するサービス。測定結果から企業課題などをあぶり出していく株式会社リンクアンドモチベーションのツール。
——新しいバリューはどのような過程で作られていったのでしょうか?
高野:まず、「なんのためにバリューを作るのか?」という意識を全社員に持ってもらいました。グッドパッチの「ハートを揺さぶるデザインで世界を前進させる」というビジョンと、「デザインの力を証明する」というミッションがあります。それを実現させるためには統一されたバリューが必要であるということを社員に伝えました。
それを踏まえて新しいバリューを作るために「維持するべきこと」、「変えるべきこと」、「未来に向けて新しく取り入れるべきこと」という3つの観点で考えてもらったのです。社員にはそれぞれ3案ずつ、計9つのアイデアを出してもらいました。当時は100名ほどの社員がいたので集まったアイデアは900件ほどになります。
新バリュー策定のためのプロジェクトチームがそれらすべてに目を通し、分類して新しい5つのバリューを構築しました。新しいバリューでは、私たちの掲げるビジョンとミッションの実現のためになにをするべきかを明確にしています。
——900のアイデアを分類してまとめるのは、とても大変な作業だったのでは?
高野:作成時に社員から出た案には共通するフレーズがあったので、そこまで大変ではありませんでした。ただ5つの項目のバリューに絞るために、何度も社員の意見を取り入れ丁寧に改善しました。細かなニュアンスについての議論はありましたが、それらも建設的なもので、社員を巻き込んで一緒にプロセスを踏んで行く重要性を感じました。
——新バリュー浸透のためにどのような施策を打ち出したのでしょうか?
高野:バリューを浸透させるためには、社員とバリューのタッチポイントを増やすことが大切だと考えています。
具体的には、企業文化醸成のために行っている社内イベントや全社総会、社長が行う新入社員研修といった社員向けの会議・研修を充実させました。さらに社員を社歴や職種、役割など社内の属性に分類し社員をターゲティングし、ポスターやTシャツ、ステッカー、サイコロ、スラックスタンプなど作成。社内に掲示・配置したり、社員に配るなどしました。
これらのポスターを含めたグッズのデザインは、実は社員たちがデザインを担当しているんです。これは、100人ものデザイナーを抱えるデザイン会社ならだと思います。しかも、デザイナー自身がバリューを深く理解しなければ、社員が共感し、バリューを浸透させるグッズはできません。つまりデザインをしていくことで、社員たちがバリューを体現していくことができるのです。社員が思いを込めて作ったプロダクトだからこそ、全社員にバリューが浸透していったのではと感じています。
高野:以前のバリューはマネジメント層のコミットが得られず浸透しなかったという側面もあったので、代表の土屋は『マネージャーがバリューで掲げた言葉を普段から使わないと、メンバーが使ってくれない』と策定当初から一貫して言い続けていました。
そこで、マネージャーには専用のワークシートを作成して「マネージャー=バリューの行動者として、自分がどのくらいのレベルにあると自覚しているのか?」を具体的なエピソードを交えながら答えてもらい、マネジメントメンバーとシェアしたり、自分たちのチームメンバーをバリューに基づいて紹介するなど、マネジメント層がバリューを使いこなせるように務めました。
——過去を踏まえての施策ですね。
高野:はい。マネジメント層との連携・浸透には特に力を入れました。マネージャーは現場の写し鏡です。マネジメント層がバリューを日常的に意識し使っていなければ、メンバーたちも使わないのは当然です。
バリューで掲げていることはグッドパッチ で仕事をする上で当たり前に持っていてほしい意識です。それを意識だけではなくバリューとして掲げ、共通言語として持つことで、社員同士が承認する場ができてきます。特に、マネジメント層は部下の行動に対して褒めたくても、部下と同じ共通言語を持っていなければ、上手に褒め、承認することは難しいこともあります。そんな時に、バリューをベースにした共通言語が活きてきてくるのです。
——実際どのように活かされているのでしょうか?
高野:社内のコミュニケーションはスラックというツールで行われているのですが、グッドパッチには5つのバリューをベースにしたオリジナルのスラックスタンプがあり、メンバー同士がコミュニケーションをとる上で、気軽にバリューを共通言語として使えるようにしています。スラックは社内のあらゆる言葉が集約される場です。そこでのやりとりに対し、気軽に“承認”し合えるよう「こだわり」や「遊びゴコロ」などバリューを端的に言語化したスタンプは、社員同士のコミュニケーションに活かされていますね。
——バリューが浸透することで社内にはどのような変化がありましたか?
高野:バリューの浸透以外にもインナーブランディング施策は、関連部署と行った成果もあり、大きく変わったのは離職率です。以前は40%だった離職率が現在では5%にまで低下。また、モチベーションクラウドのスコアも「CCC」から「AAA」まで回復、2020年にはエンゲージメント調査を実施した全1568社の企業の中から、最もエンゲージメントスコアの高い企業ベスト8に選出されました。
また、毎月末に「ピザパッチ」という社内イベントがあるのですが、その参加率が組織崩壊当時は30%でしたが、現在は80~90%にアップしました。毎月末が楽しみという社員や友人を呼びたいと言っている社員もいるんです。
——社員からも積極的に「会社が行うイベントに参加したい」と言われるまでになったのですね。ちなみに、バリューの浸透率はどのように調査しているのでしょうか?
高野:新しいバリューを“認知していない”、“認知している”、“”理解している”、“行動している”という理解別の4項目に分けて3ヶ月に一度、全社員の調査をしています。
調査は目的ではなくあくまで現状把握です。浸透度をとること自体が浸透施策にもなりますし、浸透プロジェクトでやっていることを毎月全社会で発表すること自体も浸透施策で、継続することが重要だと考えています。
策定当初の2018年8月には8%ほどでしたが、2019年6月 には90.4%という高い数値記録し、以降90%を維持するようになりました。
——最後に、バリューがほぼ全社員に浸透しているグッドパッチですが、そこまでバリューを重視する理由を教えてください。
高野:社内で成果を出す社員は2タイプいると思います。タスクベースで成果を出す人と組織人格(バリューを体現する)を持った上で成果を出す人。
後者の人材が、企業にとってはとても価値があり企業文化醸成に大きく影響します。ビジョンとミッションを共有するためのバリューを社員が体現することは、企業としての価値判断を個々の社員が身につけるのはもちろん、そのような人材は会社にとっていい影響を与えてくれると考えています。
——バリューが9割の社員に浸透しましたが、今後はどのようなインナーブランディング予定していますか?
高野:2018年の後半には、グッドパッチに関わるすべての人の体験をデザインするPX(ピープルエクスペリエンス)チームを立ち上げました。「人に向き合う」という基本を忘れずに、社員だけでなくグッドパッチのファンや求職者、クライアント、プロダクトを使ってくれるユーザーなど、私どもを取り囲むすべての人の体験をより良くすることを目的に日々活動しています。
こうした私たちの社内での取り組みは企業のビジョン・ミッションの策定、採用活動のためのナレッジ共有、ティーチング・コーチングなどの企業支援にも繋がっています。
高野:これからの不確実な時代において、企業の思想とビジネスが繋がっていることがとても重要だと考えています。過去の経験を活かして、ユーザー視点のUXと企業視点のBXの両輪を一貫性を持って循環させ、企業価値を最大化することができるようになりました。
組織崩壊という失敗から学び、全社で「人に向き合う会社である」ということを実感しています。失敗と向き合ってそこから学ぶこと、何度でも挑戦すること、やり遂げるまで逃げないというデザインマインドは、今や企業文化になりつつあります。ビジョン・ミッションを実現するために人は集まり、バリューはそれを支えるためにあるツールにしかすぎず、企業活動すべての中心にいるのは人です。今後も人に投資する会社として、360度すべての人と向き合い続けていきたいですね。
グッドパッチは企業文化の崩壊という経験から、時間をかけて行動指針としてのバリューを全社員に共有させて会社のリブランディングに成功しました。バリューを単なる題目とせず、口に出してコミュニケーションに用いたり、オリジナルのポスターやサイコロ、スラックのスタンプというデザイン会社らしい遊び心あふれる施策を打ったり、随所に浸透のための工夫が光ります。グラフィックから企業の思想までデザインする同社の強みを活かしたインナーブランディングといえるでしょう。
インタビュー・文/舩山貴之
デザイン/下出聖子(amana design studios)