19世紀の探検家から学ぶ、コンテンツマーケティングの礎

Debraansky

西暦1800年の春、Alexander von Humboldtは自宅から遥かに離れた、南米北部地域を流れるオリノコ川の砂地の岸辺にいました。Humboldtは疲弊し、蚊の襲来にも悩まされ、二度も死線をさまよいました。一度目は植物の標本を探して猛獣ジャガーの生息地に足を踏み入れたとき、二度目はガラス容器に入れて持ち運んでいたアマゾンの矢用の毒を、誤って自分にこぼしてしまったときです。

危険と暑さ、容赦ない蚊の大群に遭遇したにもかかわらず、Humboldtはこのうえない幸せを味わっていました。いま、旅をしているのは未踏の大地です。測定すべき事物、記録すべき観察対象、そして収集すべき植物の標本に毎日、事欠くことはありませんでした。

Humboldtのガイドたちは、自分たちの雇用主をぽかんと見つめることを許されていたことでしょう。何しろ、雇用主の男はカヌーが水浸しになったときに、ワニがうようよといる水の中に半分浸かっているという事実よりも、探検の道具や記録ノートの安全を心配していたからです。

その夜、彼はハンモックに横たわり、ジャングルの騒音に耳を傾けながら、自分の人生やヨーロッパからの長旅について振り返っていました。人生最大の冒険を体験しましたが、帰ってからのことが不安だったからです。たくさんの時間とお金を費やして努力を重ねてきたのに、何の成果もなく帰還して、科学の世界に貢献できない結果を招くことが一番の心配事でした。

しかし、幸運にもHumboldtはそんな懸念を払しょくすることができたのです。彼は探検から帰還したときに、当時のヨーロッパの植物学者には知られていなかった2,000種以上の植物種を持ち帰りました。これらの標本と無数の測定結果、メモ、スケッチ、データポイントによって、自然についての理論を確立するのに必要な資料を揃えることができたのです。彼はジャングルの中で生き抜きました。そんな彼がパリやロンドン、ベルリンの講堂で何を恐れるというのでしょう?

みなさんは、この話がコンテンツマーケティングにどう関係するのか、疑問に思うかもしれません。

ワニやジャガーがいる土地での冒険は、信じられないような物語を作り出します。ここで留意すべき点は何でしょうか? 今日のコンテンツマーケターが、Humboldtや彼の自然に対する熱意から学び取ることができるものは何でしょうか? 私は、Humboldtの魅力的な生涯を書いたAndrea Wulfの『フンボルトの冒険(ザ・インベンション・オブ・ネイチャー)」を読みながら、理解することができました。

 

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Alexander von Humboldt

流通を優先する

パリに戻ったHumboldtは、聞きたい人すべてに南米での体験談を話してあげました。

彼の流通戦略は2つの要素に分かれます。まず、研究結果を短文記事や複数巻のセット、彼とパートナーのAime Bonplandが旅行中に描いたスケッチで構成された高品質(かつ高い費用がかかる)の絵本など、さまざまなフォーマットを通して定期的に公開したことが挙げられます。そのイメージの美しさと高レベルな細部描写により、科学者も芸術家も普通の人々も、Humboldtとパートナーが発表した仕事に驚嘆しました。

Humboldtの2番目の主要流通チャネルは、講義です。その講演はボリュームも内容も素晴らしいものでした。Humboldtはパリにいる間、忙しく活動しました。アマゾンで四つん這いになって懸命に虫や花をかき集めていた代わりに、満席になった講堂を行ったり来たりして、熱心な聴衆に対し、標高が気圧に与える影響からマヤのアルファベット、チリ海岸沖の海流に至るまで、何でも話しました。Humboldtが専門知識を持たないテーマはないように思えました。そして、彼はなんと、ほとんどの講義で入場料を徴収しなかったのです。

夜になると、ディナーパーティーが正式な講義に取って代わりました。そうしたパーティーでも、Humboldtが出席すると講義さながらの質の高い場所に変わりました。なぜなら、Humboldtの話が魅力的で、ほかの出席者たちが自然と彼の周囲に集まってきたからです。彼は情熱的で高い知識を持ち、自分の話に関心がある人たちといつも積極的に交流しました。

マーケターにとっての留意点: Humboldtは、現代のマーケターが持ち合わせている技術的優位性を享受していません。しかし、彼のエネルギー、情熱、そして高品質で魅力あるコンテンツを組み合わせることで、講義の内容を素早くヨーロッパ各国の首都に広めることができたのです。コンテンツ流通に関して言えば、現代のマーケターも「常時接続」のアプローチを実行することにより、Humboldtが享受した成功の一部を実現できるはずです。

擁護者を特定し、称賛する

Humboldtの講義は唯一無二のものでしたが、他の多くの講演者にはない特性、すなわち「女性の存在」によって、一層斬新なものになりました。当時のヨーロッパ諸国では女性が大学に通うことを許されていませんでしたが、Humboldtは継続的に女性を勇気づけ、彼の講義に参加・出席するよう後押ししました。この行動によって、Humboldtは全く新しいオーディエンスの獲得に至ったのです。

議論に参加したいと願うこの新しいオーディエンスは、やがてHumboldtの理論を取り入れ、挑み、発展させていきました。

マーケターにとっての留意点: マーケターは、ブランドの擁護者がターゲットオーディエンスの外側にいるかもしれないことを覚えておきましょう。Humboldtが証明したように、枠の外にいたオーディエンスでも、ひとたび強い関心を抱くと、確立されたオーディエンスに勝るとも劣らないほどに忠実になる可能性があるからです。

複雑な情報を伝えるために、視覚的なコンテンツを作成する

Humboldtが自分の理論を幅広いオーディエンスに伝えることができたのは、情報を提示する方法に起因するものです。

当時一般的だったデータチャートや分類表を使用せず、イメージ画像と図形を使って情報を伝えました。わかりやすい非科学的なフォーマットで表現されたHumboldtのインフォグラフィックは、多様なオーディエンスの注意を引きながら、複雑な自然のシステムを説明し、彼の物語をよりわかりやすく伝えました。このグラフィックにより、各自然現象を個別に研究するという一般的なスタイルを採用せずとも、自然界の各要素や領域を容易に比較対照することができたのです。

Humboldtのインフォグラフィックの好例は、「Naturgemalde」(ネイチャーペインティング)です。ここには南米の火山の断面図の上に標高ごとに見つかった異なる植物が、気温、降雨、気圧に関する相関図が、境界部分に沿って記されています。この絵図からは、何百ものデータポイントと測定値を混合して、シンプルで理解しやすい大きな絵図を描くHumboldtの能力を垣間見ながら、自分自身のトレンドやインサイトを描くことができるのです。

 

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Alexander von Humboldtの「Naturgemalde」(ネイチャー・ペインティング)( Geographicalより引用)

 

次のイメージは、地球を横断して走る「等温線」と呼ばれる気温帯の初期の描写のひとつです。Humboldtはパリ在住時、最初の等温線地図を出版した際に、この新語を作りました。

 

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Humboldtの等温線地図(David Rumseyより引用)

 

一方で、彼は大量の情報をシンプルな視覚表現で再構成して多くの人に提供しました。この方法によって、トレンドやパターンを比較研究しながら簡単に理解することができます。

こうした情報をイメージなしの状態で再現しなければならなくなった場合を想像してみてください。世界各地の数百の異なる気温測定値を記載したリストや表は存在するかもしれません。前記の形式で情報を視覚化すれば、さらに興味を引くだけではなく、情報をより簡単に伝えることができるでしょう。

マーケターにとっての留意点: ビジュアルコンテンツの作成は、すべてのマーケターがエンゲージメント戦略の一部として活用すべき戦術です。アテンションスパンがますます短くなる時代においては、複雑な情報を素早く簡単に伝達する能力は非常に価値があります。

立場を明確にする

Humboldtは何よりもまず、自然界の記録と分析に携わる科学者ではありましたが、観察対象を動植物だけに限っていたわけではありませんでした。南北アメリカ大陸への旅行を通じて、彼が遭遇した社会的、政治的、経済的状況についてのメモを日誌に書き残しました。Humboldtがメキシコの銅山を訪れた際には、地質的特徴を集中的に調べて気温や気圧を測定するとともに、坑道の土壌の組成や岩の種類について記録しました。それだけでなく、鉱山労働者の悲惨な労働環境や鉱夫自身にも強い関心を寄せていました。熱心な奴隷廃止論者であり労働者の権利の擁護者でもあった彼は、そうした見聞体験に強く突き動かされました。彼は自らの名声を、大義実現に向けた議論のプラットフォームとして活用したのです。

この分野における彼の最も著名な研究は『新スペイン王国に関する政治的評論』という著書です。その中で彼は、南米の先住民たちがスペイン人から略奪的な扱いを受けていることについて詳細にコメントしています。

Humboldtは反植民地主義、奴隷廃止主義的な見解によって支持者を獲得したかもしれませんが、そのスタンスは最終的に、彼は別の形で犠牲を強いることになりました。イギリス政府は、ヒマラヤでの2度目の現地研究のため植民地であるインドに旅行しようとしたHumboldtに対し、ビザの発給を拒み続けたのです。

マーケターにとっての留意点: ブランドはかつてないほどに、業界から遠く離れた領域で、社会問題に対する立場を明確にする傾向が強まっています。企業は特定の大義に同調する前に、考慮すべき数多くの事柄があります。異を唱える人が出てくるのはしかたありませんが、結果として、より忠実な顧客ベースを作り出し、良好なPR効果をもたらす可能性もあります。

Humboldtは世の中に対し、世界のことについて伝えることがたくさんありました。彼は極めて知的で、無限のエネルギーを秘めており、理論であれ価値観であれ、滅多に妥協しませんでした。ダーウィンからソローに至るまで、また科学アカデミアの知識人から大学の講義への出席を許されていなかった女性に至るまで、Humboldtはさまざまな人々に知的刺激を与えた英雄でした。

ひょっとすると、一時の間、その著書、画像、記事、果てしなく続くスピーチのイベント、私的な講義を通じて、世界で最も偉大なコンテンツマーケターになっていたのかもしれません。情熱と目的意識、そして時間とエネルギーを費やすことで無数で多様なオーディエンスを獲得し、オーディエンスと関わり続けたことを示した実例です。

 

Chet DarrowはNewsCredの法律および事業運営アソシエイトです。

 

元記事「What Content Marketers Can Learn from a 19th Century Explorer」は2017年7月19日にInsights.newscred.comに掲載されました。

 

この記事はNewsCred BlogのChet Darrowが執筆し、NewsCredのパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@newscred.comまでお願いいたします。

 

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