「未来を描くこと」と「その未来を自ら実装すること」には、決定的な違いがあります。
パナソニック ホールディングス株式会社が2021年10月から取り組む「デザイン経営実践プロジェクト」は、まさにこの「構想と実装」をつなぐための仕組みづくりです。「未来起点×人間中心で考えるパナソニックグループ流のデザイン経営として、既存事業の延長線からではなく、未来の社会と事業のあり方を描き、そこへ至る具体的なアクションも含めた解像度の高いビジョンを構想しています。
ただし、それはコンサルタントのように「答え」を提示するアプローチではありません。むしろ「問いを立て続ける」ことにより、グループの事業部が自らの未来を定義し、変化を起こすことを促すのです。
この活動の推進者がパナソニック ホールディングス株式会社 執行役員 デザイン担当の臼井重雄さん、そして実装チームを担うメンバーの一人である北村直美さんと河井康史さんに、これまで進めてきた「デザイン経営実践プロジェクト」の成果について伺いました。
──デザイン経営実践プロジェクトは2021年10月から開始され、今年で4年目になります。発足当時の狙いと、現在の状況には違いがありますか?
臼井重雄さん(以下、臼井。敬称略):立ち上げ当初は「未来の解像度をどこまで上げられるか」に注目していました。業界の先を予測し、10年後に求められる社会像や技術の輪郭を描くことに重きを置いていたのです。特に2020〜2021年はコロナ禍の影響で、多くの企業が先行きへの不安を抱えていた時期でした。その中で、「確かな未来像を掲げよう」という気運が社内にもありました。私たちの部門は、まさにその旗を掲げる役割を期待されていたと思います。
パナソニック ホールディングス株式会社 執行役員 デザイン担当 臼井重雄(うすい・しげお)さん
ですが、プロジェクトを進めるうちに、「未来は常に変わるものだ」という前提に気づきました。高精度に描いた未来像が、半年後にはもう役に立たない。そんな変化の激しさの中では、解像度を上げて未来を描くことは必要ですが、日々変わるからこそ「その未来に向かって、自分たちはどう動くのかを具体的に考えること」が重要だと感じたのです。つまり、未来構想をする上でも、未来に向けた「実装」のあり方に少しずつ重心を移すようになりました。
──その考え方の変化は、実践プロジェクトのプログラム構成に反映されているのでしょうか?
臼井:はい、大きく反映されています。初期は「未来構想」という言葉がタイトルに入っていますが、構想だけではなく実装に向けた支援まで含んでいる、というのが今の状況です。未来は「計画するもの」ではなく「試しながら近づいていくもの」。その姿勢を前提としています。これまでの経営企画や戦略立案のプロセスでは、KGIやロードマップが中心でしたが、私たちが目指しているのはそれとは違います。未来はコントロールできないけれど、「そこに向かう意志」は持てます。その意志を社内に育てていくのが、私たちのデザイン経営です。
デザイン経営実践プロジェクトでは、企業のミッション・ビジョン・バリューやパーパスをより具体的、現実的に実現することを描き、将来の事業としてアプローチする。
──「未来起点」に加え、もうひとつのキーワードである「人間中心」について、あらためて教えてください。
臼井:「人間中心」とは、単に「顧客の声に応える」ことではなく、より広い視点で未来のお客様や社会のあり方を想像しながら考えるということです。一般的に「顧客」と聞くと「今のニーズ」を出発点にし、アンケート結果などに対応する印象を持たれがちです。しかし私たちが重視しているのは、「これからお客様がどのような世界を見つめ、何を希求していくのか」という未来志向の姿勢です。デザイン経営実践プロジェクトでは我々と事業会社がそれぞれ「BTC型チーム」を組成し、共同で推進しています。「B=business」「T=technology」「C=creative」の3つの専門性を指しており、それぞれの視点が交差することで、多面的なアプローチが可能になります。
デザイン経営実践プロジェクトを推進するメンバーは、あくまでも事業会社を支援する形をとる。プロジェクト推進メンバー、事業部チームとも「BTC型」のチーム編成を基本とする。
「Business」「Technology」の視点では実現可能性や効率性が重視されやすい一方で、「Creative」の視点は未来を構想し、社会や人間の本質的な価値を捉える力を担っています。
BTC型チームでは、こうした視点を持つことで、「そもそも誰のために何をつくるのか?」「その未来にどんな意味があるのか?」といった根本的な問いが自然と生まれる土壌が育ちます。
私たちが目指しているのは「今あるニーズに応える」のではなく「これから必要になる価値」や「まだ言語化されていない不安や願い」に目を向け、それを起点に未来の可能性を構想していくアプローチです。その姿勢こそが、結果として事業や組織の本質的な変革につながると考えています。
──実際にプロジェクトから生まれた成果について、印象的なものはありますか?
臼井:私たちの役割は、事業部の主体性を損なうことなく、対話と問いかけを通じて変革の土壌を耕すことにあります。事業部が主役となり進めることが前提なのですが、ある技術系の部門では「技術をどう使うか」という目線から、「技術でどんな社会を実現したいか」という目線に転換しました。結果的に、研究開発のテーマ設定が変わり、新たな方向に舵を切ることができました。また、組織体制にまで踏み込んで、ビジョンを軸にしたチーム再編が起きた事業部もあります。
私たちが最初に関わるのは10回のワークショップだけですが、その後に「実装に入りたい」「検討を深めたい」と追加相談が来ることもあります。そこではすでに、自分たちで考える力が芽生えていて、やらされていたプロジェクトが、「やりたい」「やってみたい」に変わっているのです。
ワークショップの風景。事業部ごとにメンバーは組成されるがリーダー(事業責任者)の参加は必須。普段接することが少ないメンバー同士で日常業務とは別の視点で考え、ありたい姿を深めていく。
──支援チーム側の体制や人材育成についても教えてください。
臼井:私たちの支援チームは、マネージャー1名とコアとなるメンバー3名が基本体制です。ただしプロジェクトごとに社内のネットワークからメンバーを組み替えて対応しています。先ほど触れましたが、「B=business」「T=technology」「C=creative」のそれぞれの専門性をもった人材でチームを構成することを重視しています。
特徴的なのは、人材がローテーションしていることです。支援チームを経験した人が元いた部署に戻ったり、新たな部署で活動を広げたりする。また、事業部側にとってもこの活動は育成機会になります。世代や役職に関わらず事業に携わる誰もが未来を描き、リーダーがその姿勢を認める。そうした場が、次世代の自走型人材を生み出していると感じます。
──ワークショップについて、担当されている北村さん、河井さんに伺います。具体的にワークショップはどのような構成になっているのでしょうか?
パナソニック ホールディングス株式会社 経営戦略部門 デザイン経営実践プロジェクト PMOマネージャー 北村直美(きたむら・なおみ)さん
北村直美さん(以下、北村。敬称略):基本は4時間×10回のセッションで、期間としてはおおよそ半年間かけて進めています。最初に必ず実施するのが、事業部トップとの「ポジティブマインドセットインタビュー」です。これは、現場で日々判断を繰り返しているリーダーが、一歩引いて「10年先の未来」を想像する視点を持つためのマインドセットを整える機会です。私たちの立場から見ると、ここが未来構想の出発点とも言える重要なステップです。
デザイン経営実践プロジェクトは1回4時間×10回実施する。これから取り組むプログラムに対するマインドセットから丁寧に入る。
インタビューを経てから、本格的なワークショップに入ります。前半は、未来社会がどう変化するかを仮説ベースで捉える「未来変化セッション」から始まり、その後「私たちはどんな社会を実現したいか」「その中で自分たちの事業はどんな意味を持つのか」といった、未来の存在意義を言語化していくプロセスへと進みます。後半では、ビジョンをもとに実装方法を考えるステップに入り、「私たちはどう変わるべきか」「どのように動き出すか」を具体化します。
10回を通じて扱うテーマは多岐にわたりますが、進行の中心にあるのは常に「参加者自身の言葉で語ること」です。私たちがレールを敷くのではなく、未来を思考し、意味を定義する力を養っていく。それが支援の本質だと考えています。
──プログラム全体像を拝見すると、事業部の日常業務とはかけ離れた内容に見えます。違和感なくプログラムを開始できるのでしょうか?
北村:プログラムを始める前に、一カ月程度の準備期間を設けています。事業部の担当者と、事前にコミュニケーションを重ねて認識を事前にすり合わせます。プログラムを行う目的や、どんなメンバーに参加してもらうか、事務局として認識を揃える期間であり、キーマンに確実に参加してもらうためにスケジュールを調整する期間でもあります。もちろん、我々も事業部について事前に理解を深める必要がありますので、事業環境や事業の課題についてインプットしてもらいます。
プログラムはStep1から4のステップで進められる。事前に概念やアプローチ、進め方をすり合わせ、スムーズに進行できるように準備する。
──セッションの途中で振り返りやアウトプットをまとめるのでしょうか。全体を通して、どのようなステップで進められるのでしょう。
北村:最終的なアウトプットは「未来構想ロジックツリー」「未来構想ナラティブ」「未来構想ビジュアル」の3点セットになりますが、何よりも適切な解像度で「言語化すること」を目指し、セッションはそれに向けてステップを踏んで進めます。具体的には、「ポジティブマインドセットインタビュー」に続き、我々が事前にまとめた、「兆しカード」と呼んでいる、現時点ですでに発現している社会変化を可視化した資料を使います。これは俯瞰して社会を見ることで、将来の事業に対する視野を広げることを目的にしています。
ここまでの導入プロセスを経て、Step1として未来に起こるであろう変化の仮説立案、Step2として自分たちの事業が果たすべき価値や役割の再定義、Step3として再定義した未来に向けて具体的なアクション、プランニングという流れになります。それを踏まえ、最初に触れた3点セット(「未来構想ロジックツリー」「未来構想ナラティブ」「未来構想ビジュアル」)を完成させます。
最終的なアウトプットとして「未来構想ロジックツリー」「未来構想ナラティブ」「未来構想ビジュアル」3点の完成を目指す。
──全10回を通して、どういった変化がチーム内に生まれるのでしょうか?
河井康史さん(以下、河井。敬称略):最初は多くの方が、「そんなに先のことなんて考えられない」と言います。目の前の事業で精一杯、というのが本音でしょう。でも、回を重ねるごとに表情や発言が変わってきます。きっかけになるのは、未来の兆しや社会の変化に関するインプットや、社内ではなかなか得られない「問い」に触れた時です。「10年後もこの顧客は存在しているのか?」「この技術はどんな価値になっているのか?」といった問いは、自分たちの前提を揺さぶります。
パナソニック ホールディングス株式会社 経営戦略部門 デザイン経営実践プロジェクト エキスパート 河井康史(かわい・やすふみ)さん
最終的なアウトプットのひとつ、「未来構想ロジックツリー」。思考を繰り返し、何度も考え直しながら最終的に言語化する。
その中で出てくる「未来構想ロジックツリー」は、単なる図ではなく、チームが繰り返し思考を往復した結果を一つの言語体系に落とし込んだ「意思の結晶」のようなものです。構想の深さや言葉の納得感が、最終的なアクションの質を左右すると私たちは感じています。
──繰り返し思考を往復するというのは、最初のセッションで議論した内容が途中で変化することを前提にしている、という意味でしょうか。
河井:もちろん、変わることはあります。むしろセッションが進むにつれて振り返り、考え直すフローが重要になります。事業部ごとに進め方や進捗は異なるので、毎回のセッションごとに精緻なフレームを固定するのではなく、柔軟に対応することに留意しています。私たちの役割は、考えるプロセスを提供することもありますが、常に「問い」を投げ掛けて考える行為を深めることにあると考えています。
これまでの実践例のひとつ、技術部門における資料より。これまでは事業部内で明確にされていなかった「実現したい未来」が言語化されている。
もうひとつ印象的なのは、メンバー間の関係性の変化です。普段の業務では出会わない人たちが、この場では未来を一緒に語る仲間になります。若手・ベテランに関係なく、自分が考えていることを素直に仮説として出し、対等な立場で対話が続いていく。階層も部門も越えて対話が進むこの場が、組織を変える種になっていると感じます。
北村:繰り返しになりますが、支援チームとして大切にしているのは、場を作り、問いを投げかけ、思考を深める手助けをすることです。その結果として、参加者から「自分たちでここまで考えたから、やりきりたい」という言葉が出てきたとき、このプログラムは機能していると実感します。
未来構想プログラムの成果として、事業部における変化などをまとめた資料。活動は確実に広がっている。
「デザイン経営」というワードに注目しがちですが、本取材を通して印象的だったのは、支援チームが「問いを投げかけること」に徹し、決して事業部の主体性を奪わない姿勢です。正解を押し付けず、各事業部が自ら意思を持って未来を構想し、実装する──そのプロセスが、変化の時代を生き抜く「デザイン経営」のコアであると感じました。自走するチームが社内に増えていくことで、パナソニックの「つくる未来」は、私たちの生活を豊かにするものづくりに重なる姿をイメージできました。
取材・文:桑原勲
取材撮影(ポートレート):大久保歩(アマナ)
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