都心への乗り入れにより、新たな利用者層が広がった相鉄線。ですが、都心への乗り入れ前の沿線外をメインとした認知度調査では「相鉄の存在そのものを知らない」という課題が浮き彫りになっていました。安全運行に加え、企業として「どんな価値を提供する鉄道なのか」を伝え直すのか?
相鉄グループ100周年を契機とした「デザインブランドアッププロジェクト」は“安全×安心×エレガント”を共通言語に、駅・車両・制服・サインまで統合する10年以上にわたる取り組みです。その背景を伺いました。
ーー「相鉄デザインブランドアッププロジェクト」が発足した背景を教えてください。
鈴木昭彦さん(以下、鈴木。敬称略):2017年に相鉄グループ創立100周年という節目を迎えました。100周年を迎えるにあたり「今までの100年を振り返り、沿線地域や住民の方々にどう感謝の想いを伝えていくか、そして次の新しい100年をどうつくるか」という議論がありました。さらに2019年・2023年と相次ぐ都心直通プロジェクトが控えており、これは100年に一度のレベルの大事業でした。
相模鉄道株式会社 取締役 経営統括部長 鈴木昭彦(すずき・あきひこ)さん。プロジェクト発足時に担当者として事業を推進。
都心に乗り入れるというのは、沿線に住んでいない方、そもそも「相模鉄道(相鉄線)」を知らない方に出会うことを意味します。東京都内を中心にブランド認知を調査したところ、結果は正直芳しくありませんでした。そこで、「色や形などの狭義のデザイン」ではなく、「相鉄グループが提供する価値を体現するものとしてのデザイン」に本格的に向き合う必要があると感じました。
ーーデザインコンセプトはどのように固まっていったのでしょうか。
洪 恒夫さん(以下、洪。敬称略):相鉄さんからは当初、「アートディレクターを提案してほしい」とご相談いただきました。範囲は車両、駅、制服等の目に見えるもの全般で、これらを総合的にまとめる作業でした。駅のような空間は私の専門でしたが、プロダクト・グラフィック・ファッションまで視野を広く行う必要がありました。そこで共に取り組めるクリエイターとして、以前から注目していた水野学さんに声をかけたのです。ディスカッションを重ねる中で、早い段階で提示したのが「安全×安心×エレガント」というキーワードでした。
株式会社丹青社 エグゼクティブ クリエイティブ ディレクター 洪 恒夫(こう・つねお)さん。プロジェクト発足時から水野学さんとタッグを組み、プロジェクト案を提案した。
安全と安心は鉄道会社として揺るがない大前提です。一方で、100年先を見据えた時に、ただ「安全」なだけでは選ばれ続けない。そこで、「日常の中のちょっとした豊かさ、ホッとするような感覚」を表す言葉としてエレガントを提案しました。最初、相鉄さんの社内で「エレガントって、相鉄のイメージと合うのか?」という戸惑いもあったと思います。
水野 学さん(以下、水野。敬称略):「エレガント」と聞くと、ドレスアップした華やかさをイメージされがちですよね。でも僕らが話していたのは、もっと生活に近い「品の良さ」です。相鉄線が走る横浜市は、派手さではなくて、どこか余白のある街だと思いました。毎日乗る電車や駅にも、少しだけ心がほどけるような豊かさを持たせたい。その感覚をひとことで包めるのが「エレガント」だろう、と。
株式会社グッドデザインカンパニー クリエイティブディレクター 水野 学(みずの・まなぶ)さん。企業ブランディングを目的としたデザインの基本方針策定から具体的なデザイン提案まで手がけた。
鈴木:最初は私も「安全・安心」はすっと入ってきたのですが、「エレガント」と聞いたときは正直、ピンと来ませんでした(笑)。ただ、お二人から「日常の中のちょっとした豊かさなんですよ」と聞いて、ストンと腹落ちしました。社内説明でも「毎日使う中で、ふとした瞬間にホッとできるような駅や車両を目指したい」と伝えると、受け止め方がぐっと変わっていきました。
ーーエレガントという新しい概念を入れるうえで、難しい点はありましたか。
水野:一番考えたのは「何を変えて、何を変えないか」です。鉄道は、人の生活に深く入り込んでいるインフラなので、「変えてはいけない部分」がたくさんあります。
たとえば「相鉄はどこを走る電車」なのか。実は僕自身、最初は「神奈川県の鉄道のひとつ」という漠然としたイメージしかなかったんです。でも路線図を見直すと、横浜市の真ん中を貫いている。「横浜を走る電車」という事実を、きちんとプレゼンテーションし直すことが重要だと気づきました。
変えるべきは「伝わり方」であって、ルーツそのものを否定することではありません。その見極めが、このプロジェクトの大きなテーマでした。
そこで「安全×安心×エレガント」というコンセプトのほかに、「YOKOHAMA NAVYBLUE(ヨコハマネイビーブルー)」や鉄・ガラス・レンガといったキーとなるマテリアル(素材)を設定しました。これらは「新しい顔」を表現しながら、横浜市や相鉄の歴史にもつながっていく要素です。100年先を考えたときに、「時間とともに味になっていくもの」でなければいけない。その条件に合う要素を、ひとつひとつ丁寧に選んでいきました。
ーー象徴的な色「YOKOHAMA NAVYBLUE」について、具体的な色が決まるまでの背景を教えてください。
水野:横浜の色とは何か――海の深い青なのか、赤レンガ倉庫の赤みなのか。複数の候補を比較しながら、「横浜の品格(エレガント)」を端的に伝える色を探りました。そこで浮上したのが、ネイビーブルーでした。ただし、鉄道に適した青は一般的なネイビーとは違い、汚れ・視認性・光の反射に耐え、かつ「横浜らしさ」を保つ深度が必要でした。
2026年春の営業運転開始を予定している新型車両13000系。
車両1両をまるごと試験塗装し、左右で異なるネイビーを比較検証。朝昼夜や駅照明下での見え方、安全性、視認性を多角的に確かめながら、最終的な色を決定した。色は13000系だけでなく他の車両にも採用されている。
もちろん「安全・安心」のために機能的な観点からも検証しています。車両を塗装する際には朝昼夜を通して視認性に問題がないか、運転席から見て運転しにくさや不都合がないかなど、何度も検証を重ねました。同じネイビーブルーでも、使う箇所で細かく色を調整しています。
鈴木:色はCGでは決めきれず、実際の廃車予定の車両1両に複数のネイビーを塗り、朝昼夜、あらゆる条件で見え方を確認しました。半分ずつ違う色を塗り分けたテスト車両を車両基地に持ち込んで、「どちらの方が相鉄らしいか」「暗く見えすぎないか」を、経営陣から現場の社員まで一緒に見る。試験塗装の塗り直しも行い、決して一発では決まらない、地道な検証の繰り返しでしたね。
相鉄グループ100周年に合わせて作られた資料にもネイビーブルーを採用。その他資料やグッズにもキーカラーを採用。
ーー駅や制服のデザインでも、YOKOHAMA NAVYBLUEの活用や素材選定が重視されています。
洪:駅舎の設計でまず意識したのは、「簡単には掃除できない」という現実です。駅も車両も、鉄粉・埃・油膜といった汚れの質が独特で、日常的にクリーニングできない場所も多い。そこで私たちは現場から汚れを採取し、どの色や素材なら「汚れが目立たない美しさ」が成立するかを検証しました。さらに、色や素材は単体では決まらず、隣り合わせる色や素材感の相性など、「組み合わせの最適解」を見つける必要があったのです。
プロジェクトの一環として、鉄道の歴史が長いヨーロッパの駅舎を視察し、長く愛されている駅が何でできているかを視察したのですが、イギリスやフランス、ドイツの駅を巡る中で、「鉄・ガラス・レンガ」の組み合わせが、経年変化も含めて鉄道にふさわしく、非常に魅力的だと確信しました。経年変化の風合いが“味”になる素材こそ、100年スパンで見たときにこれもまたエレガントであり、このプロジェクトにふさわしいと判断しました。また横浜にはレンガ倉庫がありますし、相性がいい素材だと考えました。
キーマテリアルの「鉄・ガラス・レンガ」。経年変化が「味」になる素材として、相模鉄道の駅舎デザインに段階的に導入されていく予定。
水野:制服のネイビーブルーも同じです。車両とまったく同じ色にすると、素材や光の当たり方によって逆にチグハグに見えることがある。そこで「YOKOHAMA NAVYBLUEの同一性」が保たれる範囲で、生地ごとに最適な色を選びました。ビジュアルのアイデンティティとは、数字で完全一致させるのではなく、「同じグループに見える」ことを担保するものだと考えています。
相模鉄道と相鉄バスの制服を2016年11月にリニューアルした。ネイビーブルーを採用すると同時に、体を動かしやすいストレッチ素材や、帽子の蒸れを低減するメッシュ素材を活用するなど、機能的にもアップデートされている。
ーー照明設計でも、相当細かい検証をされたと聞きました。
洪:駅や車内は同じ空間でありながら一日を通して「時間」が影響します。たとえば通勤・通学の方は朝は気持ちよく送り出し、夜はおかえりなさいと温かく迎える。夜勤の方であれば夜は心を落ち着かせ、朝は清々しく迎える。夜間は安全性と心理的な安心感の両立があるとよいなど、あらゆる利用者に寄り添い、求められる機能と日常のリズムに対して時間を意識しました。光の色でどう効果を持たせ、かつコミュニケーションするかを考えながら進めました。
朝は色温度の高い、少し白っぽい光で背中を押す。夜はやや赤みのある温かい光で、疲れた身体をそっと受け止めたり、心を落ち着かせたり。これもエレガントの一部だと考えています。
車両内の照明を朝(左)と夜(右)で変更。視認性などは事前に検証し、問題ないことを確認。駅舎では安全性を担保し、場所に最適化された照明計画を導入。
鈴木:一方で、社内からは「色温度を下げると暗くなり、本などが読みにくくなるのでは」という懸念も出ました。そこで照明メーカーのショールームをお借りして、色温度を変えながら実際に本を読む検証を行いました。結果、低めの色温度でも十分読みやすく、むしろ落ち着いて読めるという結果も共有できました。思い込みをひとつずつ外しながら、機能とデザインをすり合わせていったプロセスでした。
ーー車両内部のデザインでは、どのようなこだわりがありましたか。
水野:よく「機能かデザインか」の二択のように語られますが、僕らは「どちらも最大限にしたい」と思っていました。たとえば、座席横のガラスパネル。壁にするとプライバシーは守られるけれど、ドア付近で何かトラブルが起きても見えにくくなる。一方で全面ガラスにすると、事故の際の強度が懸念されます。
そこで、車両メーカーや安全担当と徹底的に議論し、安全基準上は問題ないと確認が取れたことで、視認性と安心感を両立できるガラスの形状・厚みを実現できました。
車両内はグレーの柔らかなトーンに仕上げられている。ドア脇のパネルに安全性を確認したガラスを採用し、死角を作らないことでトラブルや事故防止にも寄与している。
先入観を持たず、ひとつずつ利用者の乗車体験を見直した。つり革の形状を楕円にすることで、長時間の使用でも痛くなりにくい仕様とした(2016年度グッドデザイン賞受賞)。
つり革はただ握れたらいい、ではありません。揺れた時の手首の角度や握る強さ、素材の固さや触感などにより、快適性は大きく左右します。丸型は掴みにくく、三角形は手が当たって痛い。
欠点を補うためにプロダクトデザイナーと何度も試作を重ねました。手の感触や揺れたときの安定感、視覚的な印象までひとつひとつ検証し、楕円形状を数パターンつくって最終形にたどり着きました。結果として、このつり革単体でもグッドデザイン賞をいただきましたが、それは「乗る人の体験を徹底的に想像した証拠」だと感じています。
座席の張地に採用したグレーのパターンも、検証した一部です。座席の汚れには濃い色と薄い色の2パターンがあります。清掃で全てをリセットできるわけではないからこそ、「汚れが目立たない柄」をデザインとして取り込み、機能面とエレガントさを両立させる観点と合わせて決めました。
ーー駅や車両以外にも、沿線の街づくりの計画はあるのでしょうか。
林 浩之さん:直通運転の開始や駅舎リニューアルと並行して、沿線の商業施設や街自体も少しずつ変わってきました。この10年ほどを振り返ると、インフラやハード面の整備が進んだフェーズだったと言えます。これからは、その価値をいかに地域の皆さまへ還元し、日常の暮らしの豊かさにつなげていくかが重要だと考えています。
相鉄ホールディングス株式会社 経営戦略室 第三統括担当 課長 林 浩之(はやし・ひろゆき)さん。2025年7月よりプロジェクト推進を担当。
その一例が、公園を舞台にした「Yokohama Nature Week」です。“くらしを遊ぶ。しぜんと育つ。”をコンセプトに「選ばれる沿線の創造」実現のため継続的に開催しています。相鉄グループのブランドメッセージ「ときめきとやすらぎをつなぐ」の理念のもと、「乗りたい・住みたい・働きたい」と感じてもらえる沿線価値をつくることが、今後の大きなテーマだと考えています。
2026年春には、新型車両13000系がデビューします。この車両は、安全×安心×エレガントに「未来」のデザインコンセプトを加え、デザインブランドアッププロジェクトも第2フェーズに入ります。今後は、鉄道だけではなく、不動産や商業施設も含めたグループとして、今回のプロジェクトを車両や駅構内にとどめず「暮らし全体」にまで広げ、選ばれる沿線の創造の実現を目指しています。その中で、デザインやクリエイティブが果たせる役割はますます大きくなっていると感じています。
「デザインブランドアッププロジェクト」は、100周年の記念施策として一度きりで終わるものではありません。次の100年を見据え、少しずつ駅舎が更新され、新しい車両が導入され、制服が着替えられ、街のイベントが生まれていく。その積み重ねを通じて、相模鉄道というブランドは日々アップデートされていくことでしょう。
「安全×安心×エレガント」という共通言語は相鉄のデザイン判断に落とし込まれ、①安全性 ②経年耐性 ③横浜らしさの3つの基準で一貫しています。デザインブランドアッププロジェクトにより強固な軸をもつことで、企業価値とサービスの質を同時に高めていくための「経営のツール」へと変わりつつあります。
取材・文:桑原勲
取材撮影(ポートレート):大久保歩(アマナ)
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