本記事は企業の広告・ブランド担当者に役立つ本から、気になる一節を数回に分けてご紹介する連載です。読みながら、その本の“考え方”に少しずつ触れていただけます。
企業のブランドやコンテンツには、過去の広告表現、コピー、キービジュアル、Webサイトのトーンなど、長年積み上げてきた”資産”が蓄積されています。リブランディングの局面ではそれらを古いものとして切り離したくなりますが、安易に捨てればブランドの記憶や信頼まで手放してしまいかねません。『生きるための表現手引き』は、表現者とは先人から受け取ったものを次の走者へと渡していく”リレーの走者”だと語ります。第2回では、ブランドを”バトン”として捉え直し、継承と更新をどう両立させるかを考えます。
〜本コンテンツは、書籍『生きるための表現手引き』(渡邉康太郎著・ニューズピックス刊)から一部を抜粋・編集したものです(この記事は第2回/全3回)。
No.1:「ゼロからつくる」を疑え——既存資産を「ずらす」リブランディングの実践的視点
No.3:「一人でつくる」を疑え——個ではなく個の「あいだ」がブランドの力を生む (5月15日公開予定)
模倣と類して、先行する作品を下書きや題材にしながらつくられる作品は、西洋美術にとどまりません。戯曲などの物語にも原作をとる作品が多数あり、なかには名作としてよく知られているものもあります。
たとえばシェイクスピアの『ヴェニスの商人』は複数の原話に基づいています。人肉裁判と指輪については、中世イタリアのデカメロン調物語集の、『イル・ペコローネ(愚者)』4日目第1話が下敷きです。箱選びのエピソードは、ラテン語短編集『ゲスタ・ローマーノールム』に見られるもの。原話よりも『ヴェニスの商人』のほうが知名度を得ていることから、知らない人も少なくないのではないかと思います(※1) 。
ほかにも小説や映画において「原作をとる」作品はたくさんあります。ウォルト・ディズニー『白雪姫』はもとはドイツのヘッセン州バート・ヴィルドゥンゲンの民話で、『グリム童話』エーレンベルク稿(1810年手稿)に収録されています。ほかのディズニーによる作品、たとえばシンデレラ、ピノキオ、ライオンキングといったものも、原作をとっています。
20世紀を代表する文学作品に数えられるジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』は、タイトルからして古代ギリシャの詩人、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公「オデュッセウス」(のラテン語形の英語化)です。ジョイスの手になる小説は18章の構成で、これも『オデュッセイア』と対応しています。そのほか、過去のさまざまな作品のパロディ・引用や駄洒落(だじゃれ)などを含んでいます。
このように作品はたびたびなぞられる。ときにそれがリレーのように数珠つなぎに展開していくこともあります。ここで日本の例を見てみましょう。
芥川龍之介の短編「羅生門」は『今昔物語集』に題材をとっています。29巻18話にある「羅城門登上層見死人盗人語」、つまり「羅城門の上層に登りて死人を見る盗人の語」が原典です。題名からだけでも物語の像が浮かびます。羅生門の上の楼で、死人の頭髪を抜き取る老婆を下人が見つけます。
この作品はいろいろの波及効果を生みました。たとえば、黒澤明(くろさわ・あきら)による映画化がそのひとつです。芥川の「羅生門」とまた別の短編「藪(やぶ)の中」――これもやはり今昔物語が原典で、巻29第23話「具妻行丹波国男 於大江山被縛語」、つまり妻を具(ぐ)して丹波国に行く男、大江山において縛らるること、をもとにしています――を組み合わせてつくられたのが、黒澤明の映画『羅生門』でした。平安時代、京の都で殺人が起こり、検非違使(けびいし※2)が関係する人々に事情を尋ねるも、それぞれの人物による語りが食い違い、なかなか真相が見えてこない、という映画の筋は短編「藪の中」によるもの。ただ映画では場所の設定が羅生門となっており、これをタイトルにとっています。現代的にいえばマッシュアップです。
この映画の影響により、ひとつの事件について、複数人の見解が矛盾する現象のことを「羅生門効果(Rashomon effect)」と呼び、社会科学の分野で用いられることがあります(※3)。
平安時代に成立したとされる作者不明の説話集『今昔物語集』が、大正時代に芥川龍之介の短編小説として生まれ変わり、またそれが昭和時代に黒澤明の映画としてあたらしい命を得たことになります。さらには、2000〜2010年代にアメリカで放映されたテレビドラマ『CSI:科学捜査班』のシーズン6#21はこの複数の目撃者の証言によって構成されているエピソードで、タイトルは「Rashomon」となっています。
これは原作をとる作品が複数回にわたりリレーされていく象徴的な事例です。そもそも今昔物語自体が説話集ですから、誰かが語ったものが別の人によって語り継がれてきたものだと想像できます。二重三重、おそらくそれ以上に、時代や場所、作者が入れ替わりながら少しずつ作品はかたちを変え、概念をリレーし続けたことになります。
作者の存在はとうぜん重要ですが、ここでは誰が原作なのかということはもはや些末な問題にも思えてきます。ここではないなにかをもとにしながらも、それぞれの人があらたな要素を加え、なんらかをつくり続ける連鎖にも意味が宿ります。
『利己的な遺伝子(※4)』(紀伊國屋書店)さながら、物語という遺伝子が異なる媒体の乗り物を乗り換えながら、遠くの時間と場所を目指す現象のようにも見えてきます。
同様のリレーを見てとれる事例は枚挙に暇(いとま)がありません。もうひとつ、『女のいない男たち』(文春文庫)に収録されている村上春樹の短編「ドライブ・マイ・カー(※5)」をきっかけに考えてみましょう。
このリレーの特徴は、タイトルに見てとれます。じつはヘミングウェイにも『Men Without Women』という本があります(題材は闘牛、ボクシング、離婚、不倫、死など。よって、春樹のこの単行本はまずヘミングウェイへのオマージュといえそうです)。本書にはいくつかの短編が収録されていますが、すべてタイトルのとおり、女性に去られてしまった男や、女性に去られようとしている男の物語です。
この短編集の冒頭に収録されている中心的作品が「ドライブ・マイ・カー」ですが、タイトルはいわずとしれたザ・ビートルズによる楽曲「Drive My Car」から引かれています。単行本も短編も、タイトルをよそからもらってきている。楽曲のクレジットはレノン&マッカートニー作。主に女性の一人称のセリフによる歌詞で、映画スターになることを夢見る若い女性が、男の子(多分)に対して、あなたをドライバーにしてあげても良いわよ、そうしたら好きになってあげる……と語りかけるもので、コーラスの歌詞は”baby you can drive my car”です。
歌詞に「俳優になる」「ドライバーになる」ことが含まれていることから、春樹の短編の主人公の家福(かふく)が俳優であること、つまり「演じること」や「運転すること」が接続していることは明白です。短編では、緑内障により「運転をしてはいけなくなった主人公が、他者に運転してもらう」点において、タイトルどおりの内容でもあります(※6)。
このように、村上春樹の短編は、そのタイトルも内容も、先行するビートルズの楽曲やヘミングウェイの本を一部なぞるかたちで制作されています。ビートルズやヘミングウェイの名前は明確に記されないまでも、音楽や文学を好む読者は自ずと気づく、明らかなシグナルとしてのタイトルが設定されている。
さらには、この作品は映画化されています。上映開始は2021年8月、濱口竜介監督・脚本。カンヌ国際映画祭で脚本賞を含む計3部門の受賞、アカデミー賞での国際長編映画賞の受賞など、国際的にも評価が高い作品です。
もちろん春樹の原作をもとにしていますが、それをさらに膨らませています。正確にいうと、映画版は単行本『女のいない男たち』に収録されているみっつの作品をマッシュアップしたような構成になっています。「ドライブ・マイ・カー」を主軸に、「シェエラザード」と「木野」を取り入れている。短いひとつの短編をそれ単体で映画化するのでは尺が足らず難しいというテクニカルな理由もあったかもしれませんが、複数作品を組み合わせるという考え方は、先の黒澤明監督が「羅生門」と「藪の中」のふたつを使ったことを彷彿(ほうふつ)とさせます。
物語の設定はほぼ同様ですが、短編小説にはない要素が多分に含まれていて、さまざまな違いがあります。たとえば、主人公の家福の妻(音・おと)が生きており、一緒に暮らしている時代の描写から始まること。家福はそこで妻がほかの男(高槻・たかつき)と関係を持っているところを見てしまう、しかし彼はそれを妻にいわず普段どおりに接し、振る舞うこと。家福が瀬戸内で演劇のワークショップを主催し、そこに手話話者を含むさまざまな言語話者が登場すること。この演劇=劇中劇を演出するプロセスを通じて、物語が進行し、チェーホフ作品の引用が、劇中劇でも映画でも大事なモチーフとして扱われること、などです。
このように、原作の筋を尊重しながらも、映画には多くのあらたな挑戦が見てとれます。前日譚として別の時間軸を描いたり、別のキャラクターの心情を深掘りしたり、劇中劇というテクニカルで象徴的な要素によって物語を推進させたり、またコミュニケーションの不可能性を模索する多言語という別のモチーフを導入したり……。
ここでも、脈々と受け継がれる引用・参照の長いリレーが生じています。また、ひとつの作品が生まれるにあたって複数の参照元があることも特徴です。村上春樹はビートルズやヘミングウェイをなぞり、そして濱口竜介は村上春樹(の複数作品)やチェーホフなどをなぞる、といったように。
作品とはしばしば複数の参照元が編み上げられてかたちをなします。この組み合わせの時点で、すでに独自性が生じている可能性があります。さらにそこに新旧の要素、つまり過去作品からのオマージュと、それに付け加えるあらたな要素が組み合わさることになります。ひとつの作品も、過去や異ジャンルと結びつく、複雑な撚り糸(よりいと)、織物(おりもの)のように構成されているのです。
※1:なおシェイクスピアが既存の物語に基づいた創作をしたのは、体制批判のかどで検閲を受けた場合に備えて、「あくまで過去作品をもとにしたものにすぎない」という口実づくりの側面もあるとされています。
※2:平安初期に京都の警察業務を担当し、治安維持の役割を担いました。のち訴訟・裁判も扱っています。
※3:本来であれば「藪の中効果」と呼ぶのが正しいですが、より国際的な知名度を得たタイトルが用いられることになりました。
※4:リチャード・ドーキンス著。遺伝子は自らのコピーを増やすために、生物(生存機械)を巧みに操作し、有利な働きをする遺伝子が生き残り次世代へ伝わっていく。生物の進化を遺伝子の視点から解き明かした、世界的なベストセラー。
※5:初出は文藝春秋本誌で掲載された2013年。翌年『女のいない男たち』として単行本化されました。
※6:この作品についてのわたしなりの論考をポッドキャストで公開しました(J-WAVE TAKRAM RADIO「vol.116 村上春樹『ドライブ・マイ・カー』から考える、演じること・声に出すこと」。
(この記事は第2回/全3回)
No.1:「ゼロからつくる」を疑え——既存資産を「ずらす」リブランディングの実践的視点
No.3:「一人でつくる」を疑え——個ではなく個の「あいだ」がブランドの力を生む (5月15日公開予定)
▼書籍紹介
Takramのコンテクスト・デザイナーとして活動する渡邉康太郎氏が、「表現は一部の専門家だけのものではない」という視点から、つくることの意味を問い直す一冊です。芸術史やデザイン、文学、コミュニティ実践など幅広い題材を横断しながら、表現を“生き方の技法”として捉え直し、いまの時代に創造性をどう取り戻すかを考えます。
▼書籍情報
書名:生きるための表現手引き
著者:渡邉康太郎
出版社:ニューズピックス
発売日:2025年11月28日
リンク:https://www.amazon.co.jp/dp/4910063420
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