羽生善治の“難局”を乗り越える流儀

vol.68

“個の感性”で切り拓く新時代のヒント|未知なる局面で求められる“直感と感性”とは

Text by Mitsuhiro Wakayama

新型コロナウイルスの収束がいまだ見通せない昨今、私たちの社会は未知の局面を迎えていると言えます。先の見えない現在において、どのように未来を切り拓いていくべきか? 直感・読み・大局観――。数多くの難局を制してきた現代の棋聖・羽生善治さんは、コロナ禍という未曾有の難局をどう捉え、この先の未来をどう読むのか。今回のトークセッションでは「直感と感性」をキーワードに、不確実な時代を生き抜くために必要なマインドセットや美意識の磨き方について、たくさんの興味深いお話を伺いました。


アフターコロナに求められる「想像力」

ファシリテーター:本日のテーマは「未知なる局面で求められる“直感と感性”とは」です。新型コロナウイルスの世界的な蔓延が続く昨今は、まさに「未知の局面」と言えるのではないでしょうか。先の見えない現在において、未来を切り拓いていくものは何か。「直感と感性」をキーワードに、おふたりにお話を伺っていきたいと思います。

本日最初のテーマは「コロナ禍によって変わった人々の意識」です。まず羽生さんにお伺いしたいのですが、将棋界においてはどのような変化がありましたか?

「“個の感性”で切り拓く新時代のヒント」の第1部トークセッション。背景の3D空間は、アマナの次世代型バーチャル・ライブ・ビジュアルソリューション「deepLIVE™」
「“個の感性”で切り拓く新時代のヒント」の第1部トークセッション。背景の3D空間は、アマナの次世代型バーチャル・ライブ・ビジュアルソリューション「deepLIVE™」

羽生善治(将棋棋士/以下、羽生):2020年4月に緊急事態宣言が発令され、その後2カ月間は移動をともなう対局がなくなりました。もちろん、狭い室内に密集して対局が行われることもなくなりましたし、さまざまなイベントや大会も中止になりました。そういう意味では、従来の環境がガラッと変わったと言えるのではないでしょうか。また同時に、夏ぐらいからは少しずつ従来のかたちに戻ろうとする動きもみられました。

ファシリテーター:環境が大きく変わったことで、棋士の皆さんの思考や技術に変化はみられましたか?

羽生:そうですね、少なくとも行動には大きな変化がありました。2カ月のあいだ公式戦が全くない状況が続いたので、自分自身と向き合い、見つめ直す時間は増えました。また、対面でのトレーニングが難しくなったことで、オンラインでトレーニングする機会がかなり増えたのも大きな変化ですね。

将棋棋士の羽生善治さん
将棋棋士の羽生善治さん

ファシリテーター:コミュニケーションのあり方がコロナ禍で大きく変化したわけですが、児玉さんはそうした変化をどのようにご覧になっていますか?

児玉秀明(株式会社アマナ クリエイティブエバンジェリスト/以下、児玉):まさに将棋界でもそうであったように、対面からオンライン/非接触へとコミュニケーションの主な様式が劇的に変化しています。人と人とが直接合わなければ成立しなかったような局面も、極力非接触で済むような配慮がなされるようになった。社会が「対面/接触」を前提に成立していた、そんな「当たり前」だったことが改めて意識化され、同時に新しい前提に応じた変化を求められているのが昨今の状況と言えるでしょうか。

アマナのコーポレートブランディング/クリエイティブディレクター、児玉秀明
アマナのクリエイティブエバンジェリスト、児玉秀明

ファシリテーター:コミュケーション様式の変化は、もはや誰もが実感するところなのではないかなと思います。対面の対局とオンラインのそれでは、どのようなところが違ってきますか?

羽生:盤上「以外」のところから得られる情報量の差ですね。当然、対面の方が得られる情報量が圧倒的に多い。これは日常のコミュニケーションでも同様ですよね。私たちは発話内容以外の部分、例えば所作や状況、雰囲気、息遣いといった多くの要素から情報を得て意思疎通を成立させています。

オンラインの場合は、そういった情報源が対面より少ないので、その不足を補うイマジネーションが常に要求されてきます。将棋の場合は、画面上の盤だけを見て「この人はどんな心境なのか」「どんな手を指そうとしているのか」ということを想像する必要が出てきますね。

しかし、「相手の内面を洞察する」ということ自体は何も特別なことではありません。対面対局にせよ、オンライン対局にせよ、また日常生活のなかでさえ、私たちは常に少なからず相手への想像力を働かせています。つまり「相手の考えていることが100パーセントわかるわけではない」という状況は、コロナ以前から変わらないわけです。言い換えれば「100パーセントにどれだけ近づいていけるのか」という問いの核心は変わっていない。コミュニケーションの最適解は状況によって変わるのかもしれませんが、目指すべき部分は変わらないということですね。

ファシリテーター:一方イベントの主催者の立場に立てば、いままでは「お客さんのリアクション」というダイレクトな返戻があったのに、そういったものが極端に感じにくくなってしまいましたよね。

児玉:そうですね。あるいは、画面の向こうにいる人々に「何を、どう伝えればいいのか」がわかりにくい状況になっています。既存のものを、既存の仕方で伝えられないのであれば、そこに工夫の余地が生まれます。特に「どう伝えるか」という部分。いままで対面で意図的/無意図的に行われていた情報伝達を代替できるテクノロジーが、いま求められています。

今回のトークセッションは、弊社の「deepLIVE」というビジュアルソリューションを使用してお送りしています。最新のCGI技術、リアルタイム合成技術を使ったバーチャルライブの多様なニーズに応えるコミュニケーションツールです。コロナ以降、従来の対面コミュニケーションの不全に陥ったなかで、その100パーセント回復は望めなくとも、それにどこまで近づけるのか。弊社も常に漸進しているところです。

ファシリテーター:おふたりのお答えに共通するのは、やはり「想像力」ということですね。相手に対して積極的に想像力を働かせることと同時に、相手の想像力を刺激するような情報伝達のあり方もまた求められている時代に入っているのだと思います。

直感・読み・大局観を鍛えるには?

ファシリテーター:続きまして、ふたつ目のテーマに移ります。次の話題は「今だからこそ直感力」です。この「直感」という言葉、羽生さんはさまざまな場面でお使いになっていますね。

羽生:はい。直感というと何か特別なことのように思われますが、実際は私も皆さんも、普段の生活のなかで直感を発揮しています。私たちは五感を使って膨大な情報を感知しています。しかし、その全てを細かく吟味していたら次の行動に移れません。ですから、その膨大な情報のなかから、次の行動に必要そうな特定の情報群だけをざっくりと選んでいます。その根拠が直感なんです。

要するに「こっちなんじゃないか」「この辺りかな」とアタリをつける、ある種の働きだと言えます。自分の経験値に照らし合わせて、物事を瞬時に推測したり判断したりする。選択肢を限定したり、厳密に正解を出すというよりは、方向性や方針を明らかにするのが直感の役割ですね。

ファシリテーター:クリエイティブの分野でも、「直感」という言葉は使われてきましたよね。

児玉:いま羽生さんがおっしゃられた意味と、おおむね同じなんじゃないでしょうか。直感は、ある種の“ものさし”のようなものだと言える。それをかたちづくるのは、やはり知識や実体験なのでしょう。

羽生:一方で、本当に「何の根拠もない直感」というものもありますよね。それは俗にいう「ひらめき」というものです。これは、なぜそんなものが自分の内に出てきたのか、説明できない。もちろん、実際は潜在意識と呼ばれるものだったり、意識の外側にある何かを基盤にして「ひらめき」が生まれてきているのかもしれない。しかし、私たちが自分で説明できないという点では「無根拠」です。一口に直感といっても、少なくとも私たちの内には二種類の直感がある。

羽生善治さん

児玉:直感を発揮するためのトレーニングってあるのでしょうか?

羽生:これはトレーニングというより、習慣化に近いのかもしれませんが、リラックスしておくことは大事だと思います。心的な状況を落ち着かせることが、直感を働かせるには重要ですね。逆に、極端に追い詰められるとか、エクストリームな状況になったときに発揮されることもあります(笑)。

児玉:なるほど(笑)。

羽生:いずれにせよ普通じゃない状況といいますか、平静か過激か、どちらかの心理状態になったときに直感が働きやすい気はしますね。

児玉:ニュートンやアルキメデスが散歩や入浴の途中に歴史的発見をしたという話が、よく直感とリラックスの関係の例として使われます。

羽生:ぼーっとしている時間であっても、何もしていないわけではなく、自分の内側では何かが起こっているということなんでしょうね。自分では「休んでいる」と思っている時間でも、アイデアの分類整理のようなことは行われているんじゃないかと。

児玉:しかし、対局中にリラックスした状態をつくり出すというのは難しいんじゃないでしょうか?

羽生:ものすごく困難かと言われれば、そうでもありません。対局中でも、常に集中して先読みをしているというわけではないのです。先のことは考えず、状況を俯瞰的に眺めている時間もある。視点を変えながら、時間を過ごしているということですね。視点が変われば、発想も変わりますし、考え方が変わったりします。また、そういうことすらせず、ただ単純に休んでいるときもあります。まあ、棋士のいいところは、何も考えずにぼーっとしていても「考えいてるふう」に見えるところですね(笑)。

羽生善治さんと児玉秀明さん

ファシリテーター:(笑)。羽生さんは直感とともに「大局観」という言葉をよく使ってらっしゃいます。直感、先読み、大局観。この三つの違いや関係性について教えていただきたいのですが。

羽生:直感は「だいたいの方向性を定める」というもので、読みは「直感的判断の精度を上げていく」「より大きな“確からしさ”を得ていく」という作業です。このふたつが現在から未来を見据えているのに対して、大局観は「過去から現在までを要約・総括する」という意味合いが強いですね。それによって物事の優先順位や、目下の対策が明らかになる場合もあります。

児玉:なるほど。コロナ禍のような先の見えない状況においては、直感と同じく大局観も必要ということですね。

羽生:そうですね。あまり先のことを考えても、不確定要素が多すぎて予測が立てられないというのが昨今だと思います。具体的な要素が出そろっていない、漠然とした状況においては、十手先二十手先を読むことよりも、方向性だけ誤らないということの方が重要になってきます。

「十手先は読めても“現実の十手先”は読めない」と、あるプロ棋士と話したことがあります。十手先に起こり得ることは、いくらでも予測できます。でも、実際の十手先ではたいてい予想外のことが起きる。身も蓋もない言い方ですが、どうせ外れるんですよね、予想は(笑)。でも、局面の大きな流れさえ読み違えなければ、十手先読みの当たり外れはさほど問題ではありません。

羽生善治さん

「いまAを選ぶべきか、Bを選ぶべきか」という課題があったとして、ただちに緻密な先読みが必要かといえば、必ずしもそうではない。「AでもBでも、どっちでもいい」ということも当然あり得ます。「どっちを選んでも結果に有意な違いは現れないだろう。だから二択に拘泥しなくてもいい」という判断も可能だということです。しかし、この二択を間違えれば、状況が悪い方向に動き出すこともあります。ターニングポイントにおける選択は、間違えるわけにはいかない。そういうときは厳密な先読みが必要です。

要するに「考えるべきときに、ちゃんと考えることができるか」ということが大事になってくるわけですね。勝負所の見極めに必要なのは、やはり直感だろうなと思います。まぁ、もっとも、勝負所が“後になってわかる”ということも多々あるのですが……(笑)。

ファシリテーター:直感、読み、大局観はそれぞれどのように鍛えていったらいいものでしょうか?

羽生:直感はやはり場数を踏むことでしょうか。経験がモノを言うところでもあるので。読みは精密さ、緻密さが求められる作業ですので、ひとつのことにこだわっていくという姿勢が大事なんじゃないでしょうか。集中力といってもいいのかもしれません。大局観はというと、これは漠然とした把握なので、ある種の「いいかげんさ」というか、リラックスした状態での俯瞰をさまざまな場面で経験していくということがトレーニングになるのではないかと思いますね。

AIの創造性

ファシリテーター:不確実性がいっそう顕著になってきたコロナ以降ですが、他方、コロナ以前からシンギュラリティによって世の中の状況は大きく変わるだろうということが言われてきました。そこで続いてのテーマは「AIは人間をどう変えるのか」というものです。テクノロジーの進化は将棋界にも大いに関係があることだと思いますが、羽生さんはどのようにご覧になっていますか?

羽生:ここ10年くらいのAIの進化は、目覚しいものがあると思います。とりわけ「足し算的思考」とともに「引き算的思考」ができるようになってきたことは大きな変化でした。前者は、より演算能力の高いハードを開発して、それにビッグデータを解析させるというような「強化」でした。しかし後者は、まさに先ほどお話しした直感や大局観といった人間的な発想を可能にする「強化」です。大まかな方向性や流れをつかむということは、裏を返せば不要な情報をある程度切り捨てるということです。そういうことがAIにも可能になってきました。

人間がいままで見たことのない手を指してくることもあるし、数百年前の古典的な手を指してくることもあります。AIは過去から現在までの膨大なセオリーを等価に処理しながら、なおかつ創造性に富んだ戦い方をしてきます。

羽生善治さんと児玉秀明さん

ファシリテーター:将棋界ではすでにAIを使った研究が盛んに行われていると思うのですが、棋士の皆さんにとってAIはどのような存在ですか?

羽生:実は、まだあまりよくわからないんです。たしかに非常に優れた「知能」「ツール」ですし、多くの知見を提供してくれるものではあります。しかし、AIが提示する答えが100パーセント正しいかというと、必ずしもそうでない。AIが出した答えは、最終的に人間が判断して評価する必要があります。どういう場面でAIを使うのが有効で、またどういう場面で使わないほうがいいのか。そういった知見はまだ乏しいので、AIをどう処遇すべきかという点においては、まだはっきりとした回答ができないという段階です。しかし、いずれ「AIネイティブ」と呼べるような世代が現れるでしょうから、そうすればAIが自分たちにとっていかなる存在かということは、自ずと明らかになると思いますね。

ファシリテーター:なるほど。将棋界でもAIとの付き合い方は試行錯誤の最中だということですね。一方、クリエイティブの世界ではどうでしょうか?

児玉:クリエイティブはAIがもっとも到達しにくい地点だと言われていましたが、現状、全くそんなことはないようですね。AIの「クリエイティブディレクター」もすでに登場しています。たしかに現段階では、過去の膨大なデータを解析して最適解を導き出すという思考にとどまっています。しかし近い将来、AIが教師データなしで自発的に考えるようになったとき、状況は劇的に変わるでしょう。個人的には「恐ろしい」というより「一緒に仕事をしてみたいな」という気持ちの方が強いですね(笑)。

棋聖の「美意識」

ファシリテーター:将棋は勝負の世界ですが、そこにも勝ち方/負け方、美しい流れ/ぎこちない流れというような、美意識による判断があると思います。AIにも、そうした「美意識」というものはあると思われますか?

羽生:まず美意識について個人的な見解を述べますと、美意識は「時間軸」に大きく関わるものだと思うんですね。まさにおっしゃったように「流れ」や「時機」に合致するか否か。人間の美意識はそういうところに起因するものだと思います。AIが人間の時間意識を理解できたとしたら、美意識を持つこともまた可能なのではないかなと。

児玉:たしかに。いわゆる「最適解」と「一連の流れのなかで綺麗に見える解」が一致するとは限りませんからね。

児玉秀明さん

羽生:最近では時間軸を要素として取り入れたAIの研究も進んでいると聞いています。局所、最適が必ずしも美しいわけではありません。そうでなくとも時間の流れを俯瞰して見たとき、一連の流れと調和した解もまた「美しい」と言えます。例えば音楽における旋律やリズムの場合、個々の音がある一貫性のなかにあって、全体の流れを活かしている状態を「美しい」と考えますよね。

ファシリテーター:守破離や起承転結なんかも、そういった「流れ」に属するものでしょうか?

羽生:と、言えるかもしれませんね。そうした時間意識をAIが持つということは、AIが人間に寄り添うと言い換えられます。ただ、逆もまた然りです。つまり、人間がAIに寄り添っていくということも考えられる。技術の進歩にも時間がかかり、人間の方が可塑性があることを考えると、それも十分あり得るでしょう。私たちの「美意識」もまた、AIの進化とともに変わるのかもしれません。

ファシリテーター:おふたりは、ご自身の感性や美意識を磨くために大切にしてきたことはありますか?

児玉:やはり、自分で物事の価値を判断していくということでしょうか。好き嫌い、快不快、美醜、そういったものを判断する回数を意識的に増やしてきたように思います。そうしているうちに、自分のなかに審美的な判断をする“ものさし”ができ上がってくるのだと思いますね。

羽生善治さんと児玉秀明さん

羽生:自分自身がそれまで経験したことがない状況や、慣れていない状況に身を置くことだと思います。自分の常識が通用しないからこそ、まだ磨かれていない部分を最大限使うことになる。そうすることで自分が変わっていく。そういうプロセスが、感性や美意識を磨くうえでは必要なんじゃないでしょうか。

若いうちは経験すること全てが新しく、未知に対して柔軟に自分を変えていけます。でも歳をとってくると、先入観や凝り固まった価値観が邪魔をして、可塑性が失われがちです。すると、いつものルーティンに陥ってしまう。そういう価値観の膠着化に対抗して、好奇心を持ち続けたり、新しいものを受け入れていく努力をすることは大事なのかもしれません。

ファシリテーター:最近では藤井聡太棋士を筆頭に、新世代の躍進が目覚しいですね。

羽生:そうですね。若い世代の発想や考え方から学んでいきたいと思っています。将棋の世界は特にそうですが、20歳前後の若い棋士のアイデアから次のトレンドが生まれることが非常に多いです。肩書きや実績にとらわれず、「おもしろい将棋を指しているか」という視点で、他の方々の将棋に注目していきたいなと思いますね。

大切なことは「消極的に、前向きに、自然体で」

ファシリテーター:昨今は「未知なる局面」のただなかにあるわけですが、将棋にも「泥試合」という言葉があります。中盤から終盤にかけて、一手先二手先にどうなっているかわからないという場面のことです。これまで何千何万と対局されてきた羽生さんに、先行きが不透明な局面において必要なマインドセットというものを、今回のトークの最後に伺ってみたいと思います。

羽生:「何がいちばん正しいのか」を考える前に「この局面でプラスになる手はいくつあるか」ということを考えるようにしています。将棋の場合、次の手の選択肢は80~100手くらいあります。通常だと、10手くらいはプラスになる手が見つかるんですね。しかし泥試合の場合は、100ある選択肢の内プラスになるのは1~2手ほどしかない。ゼロという場合もある。プラスになる手が極端に少ない、あるいはないとわかったら、次は極力マイナスにならないような手を選びます。ちょっと消極的かもしれませんが(笑)。

児玉:しかし、そんななかでも羽生さんは「羽生マジック」と呼ばれるような起死回生の妙手で、難局を制してこられましたよね。

児玉秀明さん

羽生:そういう妙手が決まったときというのは、相手が返せない手を狙って指したときですね。先ほどお話しした通り、プロ同士の対局だとお互いに100通りくらいの「返す刀」を持っている。そのどれをもってしても返せない手を指すことがあります。それは必然的に常識からは外れてくるので、奇手・妙手の類になります。泥試合のなかで、期せずしてそういう手にたどり着くことはありますね。

先が見えずなおかつミスが許されない状況は、ある意味で楽しくもありますが、苦しくもあります。常に楽しんでいたいとは思いますが、緊張やプレッシャーが襲ってくるときもありますから、そういうマインドセットを維持するのもなかなか難しい。しかしそれに逆らって、無理をして楽しもうと思っても仕方がないですよね。いちばんはよいのは、やはり「自然体」で状況と向き合うということではないでしょうか。それと同時に、好奇心や柔軟さを忘れず、変わることを恐れないということも大切な姿勢だと思います。

羽生善治さん

ファシリテーター:本日は、非常に心に響くお言葉をおふたりから頂戴することができました。これからの生き方やクリエイティブ、ビジネスのヒントになったのではないでしょうか。羽生さん、児玉さん、本日はありがとうございました。

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