vol.36
女性ショコラティエに聞く中東イスラエルの「食」の魅力
高級チョコレートというと、フランスやベルギーというイメージがあるのではないでしょうか? しかし中東・イスラエルにも、世界を代表する女性ショコラティエールがいます。彼女の名は、イカ・コーエンさん。「インターナショナル・チョコレート・アワード」でゴールドメダルを獲得、パリの「サロン・デュ・ショコラ」でもアワードを受賞するなど、世界でも注目を集めているショコラティエです。今回、初めて日本のサロン・デュ・ショコラに出店した彼女のチョコレートに反映されているイスラエルならではの感性や食文化、日本ではあまり知られていないイスラエルの食の魅力についてレポートします。
君島佐和子(『料理通信』編集主幹/以下、君島):お寒いなか、今日はようこそお越しくださいました。本日はアマナデザインが立ち上げたアートとカルチャーのシンクタンクを目指す「オモシロ未来研究所」と『料理通信』のコラボ企画です。今日はイスラエルの食の魅力をたっぷり皆さんにお届けしたいと思います。
私の隣にいらっしゃるのが、イスラエルを代表するショコラティエのイカ・コーエンさんです。
イカさんは「インターナショナル・チョコレート・アワード」でゴールドメダルを獲得されたり、昨年パリの「サロン・デュ・ショコラ」でもアワードを受賞されるなど、世界的に非常に注目を集めています。
君島:右側に写っているのが、イカさんがサロン・デュ・ショコラで獲った賞状です。「クラブ・デュ・クロッカーズ・ショコラ」(CCC)というフランスでも格の高いチョコレート愛好家グループから表彰された、ショコラティエ界でとても権威あるアワードです。
向かって左側の次の写真は「Monde」と表示されていますが、何の記事で紹介されたときのものでしょうか?
イカ・コーエン(イスラエル人ショコラティエ/以下、コーエン):こちらの記事は、以前イタリアで行われた国際的なコンペティションでゴールドメダルを取ったときに、フランスの主要紙である『ル・モンド』に記事が載ったものです。この記事をきっかけに、「ギャラリーラファイエット」というフランスの有名なデパートからその年のクリスマスコレクションのギフトボックスをつくるようにオーダーを受け、CCCに私のチョコレートを品評してもらうことにつながりました。いまでも、1998年に買ったCCCの本を見ながらパリの街を歩き、名だたるショコラティエの店を巡ったことが強く印象に残っています。そうした思い出深い団体から誘いを受けたのは自分にとって非常に光栄なことでした。
パリのサロン・デュ・ショコラに出店が決まったとき、他は見ごたえのある素晴らしく大きいスタンドばかりなので、限られた予算でどのように私のチョコレートを見せようかと考えました。それで過去に受賞した5つの特別なプラリネ(主にヘーゼルナッツやアーモンドなど、焙煎したナッツ類)に加熱した砂糖を和えてカラメリゼしたものを特別なスタンドにディスプレイしました。
君島:それではイカさんが、パリのサロン・デュ・ショコラに実際に出店したときの映像をご覧ください。
君島:実は昨日から、三越伊勢丹が主催する日本のサロン・デュ・ショコラがスタートしたのですよね。昨晩が前夜祭で、今日から本格スタートしましたが、わずか2時間で売り切れてしまって大変だったと聞いています。
コーエン:午前中の2時間で今日の販売分が売り切れ、伊勢丹側が追加販売することに決めました。それでも4種類あるパッケージのうちの2つのパッケージは3日分全てが完売、残りの2つも2日目分まで売れてしまって、あとわずかしか残っていません。
日本の方々は、パリのチョコレートに非常に詳しいので、イスラエルの私のチョコレートなんか買ってくれるのだろうかと心配していたのですが、こうした結果になって非常に嬉しく思っています。
君島:今日はチョコレート好きの方がたくさんいらっしゃるかと思いますが、この写真をご覧になればイカさんの技術や洗練の度合いがどれほど素晴らしいか、きっとお分かりになるかと思います。
君島:これは「キャットタング」と言いまして、イカさんの代表的な作品のひとつです。イスラエル特産の良質なオリーブオイルと死海のシーソルトを合わせており、イスラエル人デザイナーによるオリーブ柄がプリントされているのが特徴的な、注目のチョコレートです。
君島:それとこの写真のチョコレートは、丸いくぼみがたくさんあるデザインがかわいらしいですが、緩衝材を使ってらっしゃるんですか?
コーエン:はい、テンパリングしたチョコレートを緩衝材に流し込んでつくるので簡単にできます。ただしこのチョコレートにはフィリングが入っているので、多少複雑になっています。
君島:そもそもイカさんはなぜショコラティエになられたのですか?
コーエン:私は昔からチョコレート中毒で、朝からチョコレートを食べているような人間なので、とてもチョコレート代がかかるのです(笑)。だからだんだん自分でつくるようになりました。
君島:修業の場としてパリを選ばれた理由は何でしょうか?
コーエン:記憶にある限り、私はパリへの憧れを持っており、常にフランスのチョコレートが一番だと考えていました。「ベルギーだ」「スイスも素晴らしい」と言われても、フランスが一番だと思っていました。
ところがその考えは、私が日本のチョコレートを食べてみるまででした。お世辞ではなく、日本にはフランスのチョコレートよりおいしいものがあります。フランスで修業している日本人の素晴らしいショコラティエも多いです。日本のショコラティエ、日本のチョコレートは世界でも1、2位を争うレベルだと感じています。
君島:次は皆さんのお手元にお配りしているチョコレートを召し上がっていただきながら、説明をしてもらおうと思います。イカさんのチョコレートの特徴のひとつが、イスラエルの食材を取り入れていることです。特にイスラエル特産のオリーブオイルや死海の塩、「ザータル」というミックススパイスを使っているとのことですが、このザータルはどういうものですか?
コーエン:ザータルというのは地中海地方でよく食べられているハーブのミックスに白ごまを合わせたもので、「アゾーブ」と言うのですが、小売り的にザータルと呼んでいます。ドライなものではなく、フレッシュな葉っぱとクリームを混ぜて味付けをしています。子どものころパン屋さんに行くと、いつも私はピタパンにオリーブオイルとザータルを付けてかじっていたという、私の大好きなスパイスです。オレガノの味が強く、ピザやサラダによく使われています。
君島:そうした食材をショコラに取り入れようと思ったきっかけは何でしょうか?
コーエン:おいしいレストランで食事をしていて、ザータルを食べたときに「これはもしかして私のチョコレートに使えるのでは?」と思いつきました。日常生活の全てがチョコレートづくりのインスピレーションになっています。パリでチョコレートづくりの技術を学びましたが、地元に帰って、カルダモンやザータルといったイスラエルならではの食材と合わせてつくることが私の創造の源になっています。
君島:ザータルや塩は甘いものではないので、チョコレートに取り入れる際のバランスが難しいのではないでしょうか?
コーエン:塩に関しては、塩キャラメルがあるように甘いものととても合います。塩はフレーバーを強調する役割がありますからチョコレートとも合います。オリーブオイルにはそうした発想はないですが、塩っけのあるものが全てチョコレートに合うわけではありません。
試行錯誤するのは重要です。例えばブルーチーズは分子学的にもチョコレートと非常に合うことが分かっています。足すものを選ぶときには、土台となるチョコレートの選択も大事です。いろいろな組み合わせを試して、味見してみることです。
君島:イカさんの尊敬するショコラティエはいらっしゃいますか?
コーエン:たくさんいるので一人に絞るのはすごく難しいです。私が師事したジル・マルシャルやパトリック・ロジェといった、フランスの偉大なショコラティエたち、そしてル・ショコラ・ドゥ・アッシュの辻口博啓さんは、ロボットじゃないかと思うくらい完璧な仕事をします。
コーエン:またジル・マルシャルさんは、人としても素晴らしくて偉大なるアーティストだと私は思っています。
君島:最後にプライベートの写真も見せていただきます。イカさんは実は大学では、海洋学を勉強されたとお聞きしました。これはダイビングをされている写真ですが、よくされるのですか?
コーエン:私は海が大好きでダイビングもよくやります。海洋学を学びましたが、オーストラリアの大学院で修士課程に進むのを取りやめて、旅を続けて、結局イスラエルに戻ってショコラティエになる道を選びました。
君島:いろいろと興味深いお話をありがとうございました。これで第1部は終了です。第2部はより深くイスラエルの食文化を紹介したいと思います。
アリエ・ロゼン(以下、ロゼン):皆さんこんばんは。私はイスラエル大使館の文化担当官のアリエ・ロゼンです。これからイカさんのチョコレートづくりの原点であるイスラエルについて、手短にご説明します。
ロゼン:まずイスラエルについて1分くらいの短いビデオをご覧ください。
ロゼン:ビデオでイスラエルの“味見”をしてもらいましたが、皆さん、そもそもイスラエルがどこにあるかご存知ですか? イスラエルと日本は、およそ9000キロメートル離れています。とても遠いところにあるので、イカさんは日本まで20時間かけて辿り着いています。
イスラエルは中東の端っこに位置していて、地中海に面しています。国土の南の大半が砂漠で小さい国です。だから夜に空から地上を見ると北部にしか人がいないことが分かります。
ロゼン:イスラエルは本当に小さい国で北海道と比べても4分の1ほどの大きさしかありません。
ロゼン:小さい国土ですが高低差が非常に大きいです。世界で一番低いのが死海付近で、海抜マイナス427メートルある一方で、ヘルモン山は2814メートルと、雪が降るほど高いです。また、最近は気候変動・地球温暖化の影響でアフリカがどんどん暑くなり、5億羽くらいの渡り鳥が冬になるとイスラエルに飛来しています。
ロゼン:建国は1948年で、日本に比べて非常に若い国です。人口も大阪府程度の800万人しかいません。
一方で世界の三大一神教である、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が生まれた場所でもあります。北部にはイエスが生まれた地・ベツレへムがあり、埋葬された地であるエルサレムがあります。イエスが水面を歩いたとされるガリラヤ湖は、泳ぐこともできます。宗教は日本に比べて社会で非常に特別な地位を占め、大部分はユダヤ人ですが、イスラム教徒やキリスト教徒、ドルーズ派もいるというユニークな構成です。
ロゼン:75パーセントの人口を占めるユダヤ人は、離散の歴史から70年前に世界各国から帰還しました。アメリカやロシアなど世界中の地域から集まったユダヤ人で構成されています。
ロゼン:だからヘブライ語、ロシア語、英語、アムハラ語、アラビア語などが使われ、手話もそれらの言語ごとにあります。だから小さな国土でこれほど多様な人たちが共存しなければいけないのです。
ロゼン:多様性をお見せするため、イスラエルの主要なふたつの都市をご紹介します。こちらはエルサレム。非常に古い歴史があって宗教的に重々しく、美しい街です。そしてエルサレムには世界でも最も規模の大きいイスラエル博物館があり、日本の彫刻家のイサム・ノグチがデザインした庭があります。入り口に日本のものではなく地中海の植物があしらわれている特別な庭です。
ロゼン:一方で、エルサレムから60キロメートル離れたところにあるテルアビブ。
ビーチが生活の中心で音楽パーティが多く、世界でも有名なゲイパレードが開催される地でもあります。
ロゼン:日本の方々は、「そんな宗教的な土地になぜ?」と言いますね。テルアビブでは夜になるとパーティが盛んですが、日中は勤勉に働いている人が多いです。なかでもイスラエルは人口あたりのエンジニアや科学者の比率が世界でも一番高く、ITや科学技術で有名です。いまでは、日本でも技術力の高さを知る人が増えています。そしてたくさんのスタートアップの若い会社が生まれていて、若い人が新しい技術や新しい成功を手に入れるために、切磋琢磨している環境です。
ロゼン:イスラエルにはさまざまな分野のアートやカルチャーがありますが、食べ物についてお話ししましょう。日本料理には長い歴史があって一言で説明しやすいですが、実はイスラエル料理を定義するというのも非常に難しいです。短い期間に、80カ国にもおよぶ国の料理・文化を背負った人たちが集ってつくった国だからです。
ロゼン:これらの料理全てをつなげる要素は、イスラエルに自生する植物を使った料理です。イスラエルは社会主義的な理想を元にした国として新しく建国され、社会主義的のロシア(当時はソビエト連邦)の伝統が持ち込まれました。建国初期は貧しかったため、ロシアの伝統に倣って食材は配給制を取り入れました。そのことも料理の文化に影響を与えました。
ロゼン:国が成長するにつれて文化も成長し、最初の料理本が出版され、人々は料理を生きるための食糧以上のものとして捉えられるようになりました。いまは次のステージに移り、料理をレストランに食べに行くだけではなく、文化的なイベントやアートの一部として捉えるという段階に入っています。
今日では「ハイ・ダイニング」と言われる世界に通用するシェフや洗練された料理が生まれています。その次の段階として、イスラエルのキッチンの国際化があります。いま、ロンドンで人気のあるヨタム・オトレンギというシェフのレストランがそのひとつです。彼のレストランを通して、ヨーロッパの人のイスラエル料理を見る目が変わりました。
ニューヨークのユニオンスクエアにもイスラエルのベーカリーができ、世界中でさまざまなイスラエルの料理が革新的でおいしいという認識されるようになってきています。残念ながら日本ではそこまで浸透していませんが。
君島:日本人にとってイスラエル料理はなかなかイメージしにくいと思います。イメージしやすいように、イカさんがいつも食べているイスラエルフードについて教えてください。
コーエン:チョコレートですね(笑)。朝昼晩のチョコレートは欠かしませんが、イスラエル料理ではファラフェルというひよこ豆を使ったコロッケや、羊肉のバーベキュー、もちろんパスタなんかも食べます。私はあまりこだわりなくおいしいものを食べていますね。
君島:イスラエルの食材で、世界的に評価の高い食材は何でしょうか?
コーエン:オリーブオイルです。イスラエルは世界で最初にオリーブオイルを使ったと言われており、北部の方にある樹齢2000~2500年の木からいまでもオリーブが取れています。そのため、オリーブオイルは地中海全般で使われていて、日々の料理に登場します。他にも「バンバ」という揚げたコーンにピーナツバターがコーティングされたスナック菓子が国民を代表するお菓子なので、是非イスラエルに来たときには食べてみてください。
君島:アリエさんに伺いたいのですが、イカさんのチョコレートの、イスラエル国内での位置付けはどうでしょうか?
ロゼン:イカさんのチョコレートはイスラエルで唯一無二の地位がある、ブティックチョコレートです。世界で名だたる賞を受賞しているので、ローカルマーケットを飛び越えた存在だと思います。
コーエン:ある日、テルアビブの観光案内所から電話があり、インドのテレビクルーが取材をしたいと申し入れがありました。イスラエルではそこまで知られていないと思いますよ。
君島:むしろ海外の方に知られているのですか?
コーエン:イスラエルではチョコレート市場が日本や欧米ほどまだ発展していないので、サロン・デュ・ショコラのようなプラットフォームもなく、日本で見られるようにチョコレートを買うために長蛇の列をなすような文化はまだありません。フムスというひよこ豆をペースト状にしたディップは大好きなのですが(笑)。
ロゼン:数週間前にある記事が出て、イスラエルはすごくマッチョな社会、男性的な社会だとありました。そのマッチョな社会のシンボルがフムス、お皿をぬぐうほど行儀悪く食べる料理です。一方で実はフムスは、離乳食やビーガンの菜食主義者にも人気を集めています。
タジリケイスケ(「H」編集長):僕からも質問です。アメリカやヨーロッパではイスラエルの食が浸透しつつあるということですが、なぜ日本には根付かないのでしょうか。またどうやったらイスラエルのおいしい食事が日本に広まると思われますか?
ロゼン:良いご質問ですね。すでに変化が始まっていると考えています。イスラエルについては地理的にも遠いこともあって、まだあまり知られていないですが、世界ではイスラエル料理がブームになっているので、その流れが日本にも遠からず入ってくるでしょう。本当においしい料理がたくさんあるので、日本の方が好きになってくれるのは時間の問題ではないでしょうか。
イスラエル料理は元々アラブの料理文化を元に発展してきています。また日本でもシリアやレバノンのレストランも見受けられます。そこにイスラエル料理の革新が加わることで、イスラエル料理も受け入れられる日が近いのかなと思います。
君島:料理通信でも東京の広尾にある「タイーム」というイスラエル料理のお店を取材して紹介しています。
君島:イスラエル料理は植物性の食材が多く、スパイスを使っていて非常にヘルシーです。ビーガン志向が世界中に広まっていますが、植物性の食材でかつおいしいという意味で、イスラエル料理にはさまざまなメリットがあります。これからの時代に合った料理ではないかと思います。
最後にひとつだけイカさんに質問です。イカさんの名前は私たち日本人には一度聞いたら絶対に忘れないくらい覚えやすい名前ですよね。イスラエルで「イカ」とはどういう意味ですか?
コーエン:今日も日本のお客さんから同じ質問を聞かれたのですが、私の本名はセラといいます。家族は私のことを小さいという意味を込めて、「スリーカ」と呼び、いつの間にか小さい弟が、発音ができなくて「イカ」と呼ぶようになったのです。
ロゼン:初めてイカさんのチョコレートを大使館に持ってきてもらったときに、「イカチョコレートをどうぞ」「世界で有名なイカチョコレートなんですよ」と説明すると、日本人のスタッフが笑うんですよ。それで初めて、「イカ」が「海の烏賊」を意味すると分かりました(笑)。
君島:本日は素晴らしいお話をありがとうございました。
M.C.BOO(アマナデザイン「オモシロ未来研究所」):イカさん、アリエさん、ありがとうございました。お話を聞いてるなかで、イスラエルの方たちは非常にクレバーで、それがイカさんのチョコレートの魅力につながっていると感じました。本日はありがとうございました。
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