vol.18
レシピの「オープンソース化」でカレーは新たなる領域へ
カレーはコンテンツであり、コミュニケーションツールである——。カレーに食べもの以上のポテンシャルを見いだすとき、新しいコミュニティやビジネスが生まれる。そう話すのは「カレーの人」こと、水野仁輔さんです。
『料理通信』本誌では「真夜中のキッチン」企画で「赤ワインでじっくり煮込む牛肉カレー」を披露。2017年9月には「WEB料理通信」で、パリで活躍する気鋭の料理人、関根拓さんが自身の連載で水野仁輔さんを紹介。水野さんの著書『かんたん、本格! スパイスカレー』を「僕はこの本に出会った時の衝撃を今でもよく覚えている……言い換えれば、カレーを自由にデザインしていくための教科書を手にしたのだった。」と評しています (WEB料理通信「食を旅する 第8回 『カレー、水野仁輔さん。』」より )。
気鋭の料理人にそこまで言わしめるほど、カレーを知り尽くす彼がいま声を大にして呼び掛けるのがレシピの「オープンソース化」。門外不出のスパイス配合、秘伝の味というお約束のもとにカレーのつくり方は常にブラックボックス化されてきたと水野さんは分析します。
これまでひた隠しにされてきたレシピをオープンソース化することで、この先、どんなビジネスの可能性が眠っているのか? 100年先のカレーの未来やいかに? 水野さんを取材してきた『料理通信』副編集長の伊東由美子が改めて問いかけます。好評を博したトークイベントの模様をレポートします
水野仁輔(カレーの人/以下、水野):「カレーのオープンソース化」ということを、2017年くらいから真剣に考え始めました。業界の人からは「意味がわからない」って思われることもしばしばですが、本人は至って真面目です(笑)。つまるところ、このオープンソース化によって業界にたくさんのメリットをもたらせるんじゃないかと思っています。
いまからお話しすることは徹頭徹尾「カレー」の話ですが、おいしいカレーのつくり方とか、そういう話をするつもりはありません。業界のシステムや意識をよりよくしていくための方法論について話すつもりです。カレーの話とはいえ「うちの業界と似ているな」と思われるところもあるでしょうから、他の業界の方にとっても参考になれば幸いです。
水野:今回登壇するに当たり、初めて「カレーの人」という肩書きを使いました。肩書きというのは世間に認知された、「型にはまった」仕事や役職名を使わないと意味がないわけですが、今回を機にこう名乗っていくことにしました(笑)。カレーに関する書籍を執筆したり、出張や移動をしながらカレーをつくって販売したり、スパイスの通信販売なんかをしています。最近、僕のところに数多く寄せられる質問のひとつに「おいしいカレーってどうやってつくれますか?」もしくは「おいしいカレーってどこに行けば食べられますか?」というものがあります。要するに「おいしいカレー」をみんな食べたいわけですね。でも、ここでまず考えないといけないのは「おいしいって何?」ってことです。
そもそもこの質問には答えようがないんです。なぜなら、どんなものをおいしいと感じるかは人それぞれだからです。百人いれば百とおりの「おいしい」がある。正解はないんです。だから僕は、誰かが紹介する「あそこのお店」や「このつくり方」を知ることよりは、「自分にとってのいちばんおいしいカレー」に出会うことの方が大事だと思っています。最近書いた『わたしだけのおいしいカレーを作るために』というエッセイ本で紹介したのは、まさにこの「出会いのためのメソッド」でした。
水野:どうつくれば、どんなカレーができるのか。これを学ぶためにレシピは存在します。この本のなかで僕は次のように書きました。
カレーづくりのテクニックを上達させたかったら、最初の何回かはレシピどおりの分量で、レシピどおりのつくり方に従ってつくるべきだ。それは、レシピの開発者に敬意を払え、ということではない。レシピの開発者があなたよりも確実に上手なのだから、ということでもない。レシピどおりに計量することで自分のなかにモノサシができる。
絶対にやめてほしいことは「分量表に『タマネギ1個』と書かれていたけど、冷蔵庫にタマネギが2個あったから2個入れちゃった」というやつです。これは「おいしくならないから」ということではなく、「タマネギ1個を炒めたらどういう状態になるのか」を知らないままになってしまうからです。要するに、自分のなかに「基準」ができない。だから一度はレシピどおりにつくってみてほしいんです。
しかし、一方で「本当に大事なことはレシピに書いていない」ということも知っておいてほしいんですよね。レシピをつくったシェフはその日の食材のコンディションなんかでつくり方を微妙に変えています。もっと言えば、あなたの使っている調理道具もシェフのそれとはまったく違う。すると、火の通り方や水分の飛び方が当然違ってきます。さらに塩や砂糖の種類が違えば「小さじ1」の量も違ってきます。
レシピの素晴らしいところは、誰がつくってもある程度の味のクオリティを保証していることです。しかし、それをつくってもシェフのレベルにはならない。なぜなら本当に大事なこと、つまり「こうすれば、こんな感じの味になる」というシェフの感覚はレシピに書けないからです。だからシェフの味をまねしようにも、レシピを見ただけでは絶対にまねできない。そこにたどり着くには、レシピどおりにつくってみて、そこから自分なりに試行錯誤を繰り返していくほかないんです。
水野:日本にカレーが伝わってからおよそ150年がたちますが、その間ずっとつくり手たちは「おいしくするための方法」を秘密にしてきました。たとえばスパイスの配合ですね。「このお店のカレーは35種類のスパイスをブレンドして……」という宣伝文句はよく耳にしますが、具体的に何と何をどうやって配合しているのかを聞くと「いや、それはちょっと教えられません」となる。そうやってカレーを出すお店は、おいしくするための方法をブラックボックス化してきたわけです。
しかし、僕みたいな天の邪鬼はですね、秘密にされると余計いぶかしがっちゃうんですよね(笑)。「秘密にしていることの先に本当に秘密なことはあるんだろうか?」とか、「それって本当においしくなるポイントなの?」とか。「本当に見せられないことなのかな? 見せればいいのに……」と常々思っていたわけですが、しかしお店側の気持ちもわかります。その秘密がどんなものであれ、お店にとっての財産であることには変わりないわけですから。どこかのお店の秘密を暴いても、それはあまり気持ちよくない。というわけで、自分自身が研究して見つけた「おいしいカレーをつくる方法」をまずは公開していくことにしました。
5年前に書いた『カレーの教科書』には、自分でやった試行錯誤の一部を載せています。カレーをおいしくする方法として、都市伝説のように世の中に広まっているものがあります。そのひとつが「タマネギをあめ色になるまで弱火で長時間炒める」ということです。たしかにタマネギと加熱方法の関係が重要であることは多くのつくり手が知っています。しかし、単にあめ色にしたいのならば「強火で10分」でもできます。ここでポイントになるのが「糖度」ですが、実際に糖度計を使って調べると、弱火で長時間炒めたタマネギの糖度と強火で10分炒めたそれはまったく一緒でした。ここで明らかになったことは、おいしいカレーをつくるために必ずしも「弱火で長時間」タマネギを炒めなくてもよいということでした。
何が言いたいかというと、おいしい(=山の頂上)にたどり着くための道はいくつも存在するということです。逆に言うと、いまのカレー業界は「東側から登頂するルートだけしか道はない」と信じられている状態です。しかし、よくよく突き詰めて考えていけば、より効率的に、よりよい結果を導くこともできるかもしれない。「ライバルにまねされたくない」「家庭で再現されたくない」とつくり方をブラックボックス化したい気持ちもわかります。でも、おいしいカレーについて考えるプレーヤーを増やすし、「カレーの進化」を加速させるためには、あらゆる情報をオープンソース化していく必要があると思っています。
水野:オープンソース化といっても、どこかのお店に「つくり方、公開してくださいよ」と持ちかけても無理な相談だと思います。「お前は失うものがないからそう言ってられるかもしれないけれど、公開して売り上げが落ちたりしたらウチの商売あがったりなんだよ」と怒られるのが関の山です(笑)。だからまずは自分でカレー屋さんを始めることにしました。それが「カレーの車」という移動式の店舗です。この裏テーマがオープンソース化でした。ここで出しているカレーのレシピは、印刷して現地で無料配布したり、インターネット上で公開したりしています。
タジリケイスケ(「H」編集長/以下、タジリ):水野さんのこうした活動に対して、業界からはどんな反応がありましたか?
水野:業界からはまだあまり反応がないですね。「水野が勝手にやるぶんにはいいんじゃない?」くらいな感じで、否定も肯定もないのが現状です。今後やっていきたいのは、カレーの車に他店の現役シェフを呼ぶことです。その人がここで提供するカレーについてはつくり方の細部に至るまでレシピを全部公開するというルールで。そうすれば、少なくともここで販売されたカレーの情報はオープンソース化されていくわけですから。
オープンソース化の取り組みとしてもうひとつやっていることが「AIR SPICE(エアスパイス)」という、スパイスセットの通信販売サービスです。使い切りのスパイスセットを販売しているわけですが、それと一緒にスパイスの配合比を書いたレシピも同梱しています。業界的にはこっちの方が反応ありました。「え……スパイスの配合比教えちゃっていいんですか? 誰も2回目買わなくなっちゃいますよ?」って。
タジリ:たしかに。リピーターがいなくなるって、ビジネス的にはアウトですよね。
水野:はい。ですが、これこそオープンソース化の肝なんです。カレー屋さんたちは、まさにこの部分をブラックボックス化してきたわけですから。名店監修のスパイスミックスはこれまでもありましたが、配合比は決して教えなかった。「おいしい!」「でしょ? また食べたかったらウチに来てくださいね」という構造で商売が成り立っていました。しかし「公開=まねされる、お客さんが来なくなる」というリスクを誰かが引き受けないとオープンソース化はできません。
パリにある「Dersou(デルソー)」というフランス料理店のオーナーシェフ・関根拓くんが、僕の活動およびカレーについてWEB料理通信「The Cuisine Press」で次のような言葉を送ってくれました。
僕は100年前のカレーと100年後のカレーを思う。100年前からのたゆみない先人たちの努力のおかげで、今日の日本のカレーがあるのなら、僕は100年後のカレーのために、ファンとして少しでもその進化に貢献できればと思っている。
素敵な言葉ですよね。いま僕たちがやっていることは100年後のカレーづくりに確実に活きてきます。また別の角度から眺めれば、100年前から続いている集団的な試行錯誤があったからこそ今日の僕たちのカレーづくりがある。となると、いまの僕たちもまたみんなで試行錯誤する必要があるわけです。「あそこがわかんない」「ここがうまくいかないんだよね」という悩みを膝付き合わせて議論することは難しくても、その試行錯誤が誰にでも可能になる環境を整えることはできるはず。この言葉に背中を押されつつ、そう思って僕はオープンソース化に取り組んでいます。
水野:ブラックボックス化された部分に光を当てることで試行錯誤のきっかけが生まれ、いままでになかったものができる。すると業界の現在や未来がもっともっとおもしろくなっていくと僕は考えています。先ほど「ブラックボックス化には理由があり、情報公開にはリスクがある」というお話をしました。便宜上そのような表現をしましたが、実のところ、僕自身は本当にリスクがあるとは思っていません。それどころか、むしろ情報公開にはメリットがあるとすら思っています。
たしかに、レシピを公開すると他店がまねをすることは考えられます。でも、インターネットやSNSがこれだけ発達したいまの時代、どこのお店が「元祖」かということはすぐに特定されるでしょう。まねをしたお店のカレーがおいしいと思った人は、じゃあ本家の方にも行ってみようよとなるのが自然だと思うんですよね。だから、まねされたからお店に閑古鳥が鳴くということはないと思います。
もうひとつ家庭で再現されることも考えられますが、これもリスクにはなりません。カレーの車でカレーのレシピを公開してわかったことですが、レシピを試した多くの人がカレーをおいしくつくれた一方で、その次に「このつくり方は本当に正しいのか」という疑問にさいなまれるらしいんです。
これと同じ現象はAIR SPICEでも起きていて、SNSを見ると「水野さん本人がAIR SPICEのキットを使ってつくったカレーを食べたい・見たい」という意見がままあります。冒頭にもお話ししたように、レシピを見るだけで考案者のカレーを完全に再現するのは不可能なんです。つまり、たいていの場合ユーザーは公開した元のお店のカレー(=情報ソース)を確認せざるをえないわけです。
レシピの話のさらに前、僕は「おいしいとは何か」という話をしました。何をおいしいと感じるかはその人次第です。ということは、「私のつくったカレーはおいしい」と「お店のカレーはおいしい」は共存できるんです。「私のつくったカレー=お店のカレー」には絶対にならないので。だからレシピの公開はお店の味の独立性を侵すものではないはずなんです。
水野:オープンソース化の先に何が起きるかというと、まず「プレーヤーが増える」はずなんですよね。プレーヤーが増えればその数だけトライアルがされるので、これまでのいろんなメソッドが検証・分析・更新されていくわけです。あるユーザーが「マーマレードジャムがなかったからブルーベリージャムでつくったけどおいしかった!」と発信したら、レシピの公開元が「え、そんなふうにしてもうまいのか! やってみよう」という感じでフィードバックが起きることも十分考えられます。そうしてまた新しいレシピが生まれていきます。さらにそれが繰り返されることで、いまとはまったく違う「定番」やスター性のあるカレーや人物という「コンテンツ」も誕生するでしょう。そんな循環が起こるといいですよね。
課題もあります。これは自戒を込めて言いますが、レシピの再現性をもっと高める努力は必要でしょう。オープンソース化はただすればいいというものではなく、「やってみたくなる仕組み」でなければいけません。再現性が高いということは「思ったとおりにできる確率が高い」ということで、それは当然ユーザーにとっては楽しい体験なわけですよね。逆に再現性が低いとうまくいかなくて楽しくない。プレーヤーが増えないわけです。オープンソースを設計する側としては、レシピの再現性を高めて「もっとやってみたい」と思わせる仕組みを整えていきたいと考えています。
話は少し変わりますが、スパイス業界の先人たちは「日本でどうやったらスパイスの需要が増えるか」ということを真剣に考えてきました。しかし現在に至るまで、それほどスパイスの需要は増えていません。思うに、ここには「ソフト」が足りていない。スーパーのスパイスコーナーに行けば、さまざまなスパイスがずらっと棚に並んでいますよね。でも、積極的に使う気になれないですよね? どんな料理ができるのか、どんな効果があるのか、一から勉強しないと使えなさそうな気がする。そう思われてしまうのは「スパイスが使いたくなるようなコンテンツ」が足りないからなんです。スパイスを使ってみたいと思わせるエッセンスをもっと発信していかないと、プレーヤーの数は増えない。
いまスパイスを使って料理を楽しんでいる人は、どこかのタイミングで、うまくスパイスを使えた成功体験をしているはずです。そういう喜びをもっと多くの人に伝える回路があるといいですよね。また、彼らの体験をオープンにしていくことで、楽しそうだから私もやってみたいと思う人は増えると思います。
タジリ:プレーヤーが増えることでマーケットが拡大して、カレーにまつわるビジネスも盛んになると思いますが、水野さん自身は取り組んでいることはありますか? たとえばメーカーと組んで商品開発をしたり、ベンチャーと組んで新しいコンテンツを開発したりするとか。
水野:僕自身はビジネスについてはほとんど考えていないですね(笑)。というか興味があまりないんです。たしかに、企業と組めば影響力は格段にアップするでしょうが、それは僕がやらないといけないことではない。僕がやりたいのはあくまで「業界が楽しくなるヒントを投げ掛けること」です。それを受けてビジネスをやりたい人がいたらぜひ展開してほしいですが、僕がそれに一生懸命になったらヒントを出す人が足りなくなってしまうかもしれない。たとえるなら、僕の役割は「池に石を投げること」です。その波紋をどう利用するかは別の人の役割です。波紋が次々と広がっていくのを横目に、僕は次の石を池に投げ入れていたい。そんなふうに分業して、業界が盛り上がっていけるのが理想的ですよね。
AIR SPICEに興味を持ってくれた友人が「俺が関わったら3年で20倍くらいの規模に拡大できるよ」と持ちかけてくれたことがあります。でもその申し出にはあまり魅力を感じない。そういうことは事業拡大に興味のある人がやるべきだと思います。僕はアイデアを提供する存在であり続けたいんですね。いまも寝かせてあるアイデアはいくつもありますし、今後もそういうものは出てくると思います。得意な人が目をつければビジネスの可能性も眠っていると思います。
タジリ:つまり1のコンテンツを10に広げるビジネスよりも、0から1を生み出したいということですね。そこまでカレーに魅力を感じてしまったのはなぜなのでしょうか?
水野:モチーフとしてのおもしろさですかね。不思議に聞こえるかもしれませんが、「カレーが好きですか」と聞かれたら僕はおそらく曖昧な返事をします。というのも、別においしいカレーをつくりたいとか食べたいとかいう欲望はそんなに強くはないんです。それよりも「カレーがおもしろいから」という理由でカレーに関わっている節があります。「カレーのおもしろがり方のバリエーション」を誰よりもたくさん知っていたいという情熱は、人一倍強いと思いますね。
僕が講師をしている「カレーの学校」という講座があります。そこでよく話しますが、「おいしいカレーをつくりたい/食べたい」という想いが世の中のカレーに対するモチベーションのほとんどです。僕が伝えたいのは、おいしいカレーをつくったり食べたりすることは目的ではなく、手段にしてほしい、ということです。簡単に言い直すと「おいしいカレーをつくれるようになったら、その先にどうしたいの?」ってことです。
単においしいカレーをつくりたい/食べたいのであれば、それに対しての返答は「いいレシピやいいお店に出会えるといいですね」に尽きます。いいレシピやいいお店に出会うことでカレーのポテンシャルは組み尽くされてしまうんでしょうか? 僕はそうは思いません。おいしいカレーをつくれるようになったら、たとえば人を呼んでイベントをすることができます。
おいしいカレーが手段になることで、人のつながりをつくることもできる。そんなふうにおいしいカレーを別のことに利用していくマインドが、もっとたくさんの人に宿るといいなと思っています。たとえば、伝えたいことや知りたいことを具体的に持っている人の方が英語は上達すると聞いたことがあります。カレーについても語学なんかと同様に、目的ではなく手段になることで、別の価値ある何かを生み出すツールとしての可能性が拓けると思うんです。
タジリ:一般的にカレーは「食べもの」であって、それ以上でもそれ以下でもないと考える人が大多数のなかで、水野さんはカレーを「コミュニケーションツール」としても考えているということですね。
水野:「カレーはコミュニケーションツール」ってよく言ったんですけど、ほとんど理解してもらえず昔はよく悩みましたね(笑)。今後の活動を通じて、そういう認識が広まっていくと嬉しいです。