この連載では、世界中のマーケット潮流をリサーチ・レポートするイノベーションアドバイザリー「STYLUS」の日本法人でカントリーマネジャーを務める秋元陸さんに、同社のグローバルレポートに基づき、企業の広報・マーケティング担当者が知っておくべきトレンド情報を解説していただきます。
第11回では、富裕層の価値観の変化について。見た目の豪華さやステータスを誇示するのではなく、どれだけ独自性があり他にはない体験ができるかという、新たなラグジュアリーの形への転換(ピボット)が起こっているというトレンドを紹介します。
近年、富裕層と呼ばれる人々の定義や価値観が変化しており、この大きな流れは「ラグジュアリー・ピボット」と呼ばれています。たとえば、富裕層といっても資産が数千億円から数兆円と幅広く、一概に「お金持ち」とまとめることはできません。しかし、富裕層とされる人々の全体の傾向として、その振る舞いや身だしなみに少しずつ変化が見られます。
新たな流れとして、これまでは富裕層といえばアメリカやヨーロッパの資産家を指していましたが、近年ではアジアの、特に中国に加えてインドが注目されるようになっています。例えば、2023年の秋にディオールはインドでファッションショーを開催したのですが、そこではインドの伝統的な衣装や職人へのオマージュを込めた演出が行われました。このように、ラグジュアリーと呼ばれるフィールドにおいて、アジアではこれまで中国だけが注目を集めていたのですが、インドなど他の国々にもラグジュアリーの価値観がどんどん広がっています。
まず中国から着目すると、2021年の時点で、ラグジュアリーマーケットの消費者の半数近くが1990年代生まれの若い世代でした。彼らは一人っ子政策の中で育ち、親から多大な投資を受けていて海外に行く機会も多く、非常に目が肥えた世代です。そのような人々が、グローバルなラグジュアリー体験を享受しており、アパレルだけでなく旅行や車など多岐にわたって、富裕層のライフスタイルを取り入れているのです。
そして、クレディ・スイスやUBSといった金融機関の調査結果によると、2027年までに中国の超富裕層と呼ばれる人々は約6.8万人に達するとされています。欧州全体の同等の資産を持つ超富裕層が約5.7万人ですから、中国の富裕層の数がヨーロッパを超えるという予測が示されたことになります。
一方でインドでは「超富裕層」と呼ばれる層が過去10年間で11倍に増加しています。その結果、2021年の時点で、資産が億単位にのぼる億万長者の数は、1位アメリカ、2位中国、3位インドとなりました。
インドは人口も増加していますから、そのラグジュアリーマーケットの規模は2030年までに現在の3倍になると予測されています。中国の場合は、1990年代生まれという明確なセグメントの人々が可処分所得を増やし、世界中のお金が中国に集まっていると考えられます。対してインドは、これから大きくなる新興の富裕層マーケットとして非常に注目を浴びているという位置付けなのです。
コロナ禍が明けたこともあり、ここ1~2年で多くのラグジュアリーブランドや企業が次々とインドのマーケットに参入しています。例えば、ムンバイにオープンした「Jio World Plaza(ジオ・ワールド・プラザ)」にも、世界中のラグジュアリーブランドの店舗が軒を連ねています。また、ルイ・ヴィトンはインド市場の今後を見据えて、インドの女優でモデルでもあるディーピカー・パードゥコーンをアンバサダーに起用しました。彼女はカルティエからもアンバサダーの指名を受けており、これらのブランドがインド市場に注力していることがうかがえます。このような形で、インドや中国の著名人やアイコンとなるような人たちが、世界的なブランドの顔になるという時代が、すでに起こっているのです。
ラグジュアリー分野の3つ目の切り口として、α世代への注目があります。例えば、ポロ ラルフローレンが人気オンラインゲームの「フォートナイト」とコラボレーションしたコンテンツが話題になりました。これは、ラグジュアリーブランドが新しい世代に一斉にリーチしようとする表れだと捉えられます。
また、ラグジュアリーブランドが提供する体験価値として、さまざまなオフラインでの取り組みも盛んに行われています。ファッションや宝飾品、トラベルなどを含むラグジュアリー市場は、2026年までに大きく成長すると言われていて、10年前と比較すると市場規模は約3倍になると予想されているのです。
なぜこのような現象が起こるのでしょうか? コンサルティング会社によると、Z世代やα世代の子どもたちは、現在30代以降のミレニアル世代やX世代と呼ばれる人々よりも、3〜5年早くラグジュアリーブランドに触れているというのです。人口構成や市場規模で見ると30代以上のほうが多く、可処分所得も若い世代に比べて高いため、ラグジュアリーマーケットに寄与する力も大きいはずです。しかし、ラグジュアリーブランドにとって、次世代の消費者に備えることや、若い世代から憧れられるブランドであり続けることは非常に重要なテーマ。そのため、より早い段階から若い世代との関係を構築しなければならないと考え、接点構築のタイミングを早める必要があると認識しています。
一方で、Z世代やα世代から見たラグジュアリーブランドへの早期接触の要因としては、SNSの台頭やYouTubeの影響が大きいと考えられます。たとえば、日本でもよく見られますが、若者たちがフォローしているInstagramerやYouTuberなど、より身近な年代のスーパースターたちが「爆買いで100万円使ってみた」といった動画を投稿しているわけですね。
さらに、こうしたインフルエンサーたちは積極的にブランドのレセプションパーティーなどに参加しているため、若い世代が、ハイエンドブランドの名前を早く知るようになりました。この動向に注目しているのはファッションブランドだけでなく、化粧品や自動車などの業界も追随してくるのではないかと言われています。
ラグジュアリーブランドとの接点が早期化する中、これまでとは異なるアンバサダーやパートナーシップの形も増えてきています。例えば、ルイ・ヴィトンは音楽プロデューサーやアーティストとしての経歴も持つファレル・ウィリアムスをメンズのクリエイティブディレクターに起用しました。また、歌手のビヨンセはバルマンのクリエイティブディレクターとコラボレーションし、最新アルバム『ルネッサンス』の衣装を共同制作するなど、さまざまな取り組みが進んでいます。
さらに、日本でも見かけるようになった「Coachtopia(コーチトピア)」。これはCoacg(コーチ)が立ち上げた新しいブランドで、特徴的なのはSlack上に若い世代が意見を交わせるチャットルームを設けている点です。そこに参加する若者は「コーチトピアンズ」と呼ばれています。
こうした若い世代のコミュニティを通じて、新しい製品のコンセプトやブランドメッセージなど、いわゆるコクリエーション(共創)の領域となる部分を取り入れる企業やブランドが、今後、増加すると考えられます。また、「コーチトピアンズ」の理念にサステナビリティが掲げられているのですが、若い世代の新しい倫理観や価値観がプロダクトやブランドメッセージにどのように反映されるのか、参考になる取り組みだという見方もあります。
一方で、アフリカや中東の市場にも注目が集まっています。欧米では少子高齢化が進んでおり若年層の人口が減少していますが、アフリカや中東は若い世代の人口比率が高く、その勢いとエネルギーが注目されているのです。そのため、これらの地域出身のインフルエンサーやアーティスト、クリエイターをブランドのキャンペーンに起用するケースも増えてきました。若者を対象とする際に、欧米の白人系の若者だけでなく、アフリカ系や中東系など多様なバックグラウンドを持つ人々をブランドの顔として起用する動きが少しずつ増加しているのです。
富裕層というセグメントの定義を各ブランドが見直す動きも出てきています。なぜなら、中国やインドで資産順にピラミッド構造を作ると、上位1%の富裕層が持つ資産の割合が増加しているからです。
中国では上位1%が持つ資産の割合が2000年の約21%から2022年には31%に増加しました。インドではこの傾向がより顕著で、同じ期間に上位1%の富裕層が保有する資産の割合が33%から約40%に増えています。つまり、両国とも上位1%の人々の資産が増加し、さらに2026年までに中国とインドの最上位層の資産規模が2016年の3倍になると予測されています。
世界的な傾向としては富裕層の数自体が増えるのではなく、既存の富裕層の資産力がさらに高まると考えられているため、どこをターゲットにするかの見極めが重視されます。なぜなら、新興の富裕層である「ニューリッチ」をターゲットにするのか、もともと資産を持ちラグジュアリーな体験を好む従来の富裕層を対象とするのかによって、アプローチやリーチ方法が変わってくるから。ブランドごとに富裕層の動向を正確に把握し、戦略を練る必要が出てきたということが、非常に重要なポイントとなります。
では、現在、富裕層と呼ばれる人々がどのような場所に行き、何を見ているのかをご紹介しましょう。
サウジアラビアの巨大プロジェクト「SINDALAH」は、海上の人工島に作られたリゾート。ゲストはクルーザーでアクセスし、そのまま部屋にチェックインするという、他では味わえない体験を提供しています。既に資産を持ち、ラグジュアリーな体験を求める富裕層向けのプロジェクトですね。
他には、「Soho House」という会員制クラブが世界中でブームになっています。世界40カ国以上にクラブがあり、プールやレストラン、ジム、サウナ、岩盤浴などを備えた会員制のスパのような施設です。現在、このクラブに入会するためにキャンセル待ちをしている人が世界中で約10万人いて、ニーズが高いことがわかります。
この会員制クラブが、これほど人気になっている理由はいくつかあります。第1に、他では味わえないラグジュアリーな空間で過ごせること。第2に、会員制であるため混雑していないということ。第3には、特に重要視されている「プライバシー」です。入会する人々は、ある程度、身元が明らかな人たち。となると、お互いにプライバシーを尊重するわけで、「クラブに◯◯さんが来ていた」といったことを迂闊にSNSでさらしたりもしません。プライバシーが守られた空間として、会員制クラブに注目が集まるのです。
そのようなトレンドの中で、日本でも麻布台ヒルズの「アマンレジデンス東京」といった、ホテルが手がけるレジデンスが増えてきました。一方、ビバリーヒルズにある物件では、通常の家3軒分に相当するスペースで1戸分というような住居が1,000万ドルからという価格で販売され、居住者専用の共有施設なども完備されているのが人気です。プライバシーが守られたエクスクルーシブな空間が非常に重要視されてきたことから、ローズウッドホテルなどのホテルブランドが、住宅のデザインやコンセプトを手がける事業をスタートさせています。
さらには、ベントレー・モーターズやメルセデス・ベンツもレジデンス事業に参入し、ティファニーが食器を手がけるなど、富裕層向けブランドが新たな多角化戦略を展開。ミッソーニやフェンディは家具やインテリアを、ディオールはシルバー製の食器を提供するなど、その動きは多岐にわたります。
重要なのは、こうしたラグジュアリーな体験の提供対象として、ニューリッチだけでなく、元々、資産を持つ富裕層に移っていることでしょう。それは、彼らがさらに資産を増やしたことで、これまでになかった付加価値を求めるようになっているからです。各ブランドも、より裕福になった富裕層の余剰資産をどのように取り込むかを考え、新しい提供価値を新たな切り口で提案しようとしているのが現状だということです。
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取材・文:大谷和利
編集:大橋智子
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