グローバルな見方を育む現代アート。片岡真実さん(森美術館チーフ・キュレーター)

近頃、一般紙や経済メディアで、アートと企業の記事が目立つようになってきました。アマナでは以前からその関係を探ってきており、今回はその一環として「アートと企業のいい関係」と題した連載をスタートします。第1回は、森美術館のチーフ・キュレーター片岡真実さんにお話を伺います。

片岡さんは、15周年を迎える森美術館を開館以来引っぱり、話題の展覧会を数多く企画してきました。そして、アジア出身者として初めて、2018年のシドニー・ビエンナーレの芸術監督を務めていました。ビエンナーレとは、2年に1度行われる国際美術展で、アジア太平洋エリアで最も長い歴史を誇るのが、今年21回目を迎えたシドニー・ビエンナーレです。シドニーから帰ってきて間もない片岡さんに、アマナで現代アートと企業とを結びつけるプロジェクトを推進している吉家千絵子が、インタビューを行いました。

※取材時は2018年5月。

片岡真実さん、イ・ブル《朝の曲》(2007)の前で。イ・ブルは、韓国を代表する作家で、2012年に片岡さんの企画にて個展が開催されました。「MAMコレクション007」(森美術館の所蔵品を展示するシリーズ展)は、2018年9月17日まで展示。

シドニーは予算ゼロからの出発だった

吉家千絵子(以下、吉家):3月に始まったシドニー・ビエンナーレが、6月11日に終わります。今、どのように感じていらっしゃいますか?

片岡真実さん(以下、片岡。敬称略):準備のために3カ月、シドニーに行っており、4月頭に帰国して……今は、燃え尽きた感じですね。

吉家:反応はいかがでしたか?

片岡:自分で言うのは難しいですが、メディアからの評判はよかったです。今回は、35カ国、69名のアーティストで、近年の参加数に比べて少ないのですが、作品の質でカバーしたつもりです。

特に「作品相互、作品と展示会場の繋がりがよくわかる」と言われました。いつもそこを考えていますが、必ずしも伝わらないこともあり、今回は想像以上に伝わったように思えてうれしかったです。

吉家:シドニーでの企業の協賛の形について教えてください。

片岡:シドニー・ビエンナーレの元々の自主財源は、ゼロなんです。全体の4〜5割をオーストラリア政府やニューサウスウェールズ州、シドニー市が出してはくれますが、残りは調達しなければいけません。おまけにシドニー・ビエンナーレは入場料が無料なので、収入が見込めず、資金は大きな問題でした。

吉家:有名なヴェネツィア・ビエンナーレや他の国際展は、結構な入場料ですよね?

片岡:そうなんです。シドニーは英国の多くの事例のように「美術館は無料」の流れを継承しています。10ドルでもいいから入場料がほしいなと思ったりもしましたが(笑)。でも、地元を中心に世界各地の企業、ギャラリー、個人がサポートしてくれました。主要スポンサーのオフィスやメンバーの邸宅では、プレゼンを10回以上やりました。「ここまで準備が進みました」「すごいアーティストが参加します」と話をして、「ぜひ支援したいな」と思ってもらう。そのような会がアート界の社交行事として、生活の一部になっているんです。

Director and CEO, Biennale of Sydney, Jo-Anne Birnie Danzker and Artistic Director, 21st Biennale of Sydney, Mami Kataoka with 21st Biennale of Sydney artists, from left: Oliver Beer, Yasmin Smith, Tuomas Aleksander Laitinen, Koji Ryui, Khaled Sabsabi, Mit Jai Inn and Rayyane Tabet; Ai Weiwei. Courtesy Ai Weiwei Studio

Mit Jai Inn, Planes (Hover, Erupt, Erode), 2018, mixed media installation with paintings. Commissioned by the Biennale of Sydney with generous support from the Neilson Foundation. Installation view of the 21st Biennale of Sydney (2018) at Cockatoo Island. Photograph: Zan Wimberley. Courtesy the artist and SA SA BASSAC, Phnom Penh

吉家:今回のタイトル「SUPERPOSITION(スーパーポジション/均衡とエンゲージメント)」について、片岡さんがいちばん伝えようとしたことを教えてください。

片岡:国際展ではテーマを作るほど、アートへの見方が限定されます。だから、テーマではなく、現代アートを複雑で多様な現代の縮図としてとらえてもらえたら……と思いました。「スーパーポジション」は量子力学用語で、ミクロの世界で電子などの物質が粒であったり波であったりという異なる状態が同時に可能性として重なり合っていることを指します。今回のビエンナーレでは、現代世界の不確実性や不確定性などを象徴する言葉として使っています。

吉家:そのタイトルとシドニーとの関連性は、どのようなところからきましたか?

片岡:オーストラリアは、日本とは比較にならないほど複雑で多様性に富んでいます。たとえば、「そもそもオーストラリアは誰の土地か」という先住民と入植者による土地の権利の解釈、英国からの囚人で始まった近代国家成立の経緯、1970年代以降のアジアを中心とする移民の歴史など、さまざまな解釈が重なり合っている場所なので、「スーパーポジション」の考え方を適用するのにふさわしいと思いました。

吉家:その考え方で、作品が選ばれているのですか?

片岡:展示では、多くのアーティストの多層的な表現を見せています。いちばん話題になったアイ・ウェイウェイの作品を例に挙げれば、まず目に入るのは60mの巨大な難民ボートですが、その台座周囲には論語や聖書、ギリシャ哲学、ハンナ・アレントなどからの多くの引用が散りばめられています。

Ai Weiwei, Law of the Journey, 2017, reinforced PVC with aluminium frame, 60 x 6 x 3 m. Presentation at the 21st Biennale of Sydney was made possible with generous support from the Sherman Foundation. Installation view of the 21st Biennale of Sydney (2018) at Cockatoo Island. Photograph: Zan Wimberley. Courtesy the artist and neugerriemschneider, Berlin

吉家:「アジア出身として初の芸術監督」としては、いかがでしたか?

片岡:メディアからは、よく「アジアのビエンナーレになるのか?」と聞かれましたが、私自身はそれは意識しませんでした。でも、シドニーのアジア出身の人々は喜んでくれ、サポートしてくれました。

企業がアートを支援する理由

吉家:企業とアートの関係性についてお伺いします。森ビルは、美術館を核に15年間、積極的にアートを支援してきました。日本に現代アートを浸透させるために、力を入れてきた点はどこでしょうか?

片岡:六本木ヒルズというわかりやすい場所ですから、「現代アートの幅広い観客を醸成する」ことには力を入れてきました。そして、一定の貢献をしてきたとも思っています。

吉家:逆に、苦労している点を教えてください。

片岡:この15年間で現代アートはグローバルに拡大し、複雑になっていることです。それまでは現代アートは西欧を軸に展開されていたので、それと日本だけを見ていればよかったのですが、そこから中国、インド、東南アジアと注目される地域が拡大し、一つの価値観では語れなくなってきました。

吉家:つまり、現代アートは難しくなっていると?

片岡:「現代アートは難しいか?」と聞かれたら、「その通り」だと思います。世界が抱えている多様な価値観とその衝突、たとえば移民や格差の問題等が映し出されるので、複雑さを増しています。複雑化するコンテンツに対して、ミュージアムが目指す「幅広い観客」の距離が、どんどん広がっている点はなかなか難しいところです。

吉家:企業について、海外では日本よりアートに対する協賛が盛んに思えますが。

片岡:海外では、企業も個人も節税のためにアートを支援する動きが大きいです。それは明らかなことで、日本とは違います。シドニーで多くの個人が支えてくれたのも、そんな背景がありました。

吉家:なるほど。では企業がアートを支える理由は何かありますか?

片岡:そういった企業に共通するのは、「利益を還元して、社会をよりよいものにしたい」という強い思いですね。そうした意識は、日本の私立美術館の歴史を見ても脈々と受け継がれています。1930年に大原美術館、1952 年のブリヂストン美術館、その後、1975年セゾン美術館、1979年に原美術館ができ、1992 年のベネッセハウスミュージアム、そして2003年の森美術館開館へとつながっています。意志のある個人が評価の定まっていない現代作品を買い支え、あるいは現代美術館を創設したことは、本当にかけがえのない素晴らしいことだと思います。

森美術館 センターアトリウム
Photo courtesy: Mori Art Museum, Tokyo
http://www.mori.art.museum/jp/

吉家:今、日本の企業が、アートへの支援を考えるとしたら……。

片岡:先達の存在は、現代の経営者の刺激になるはずです。また、現代アートを収集したり、美術館を計画しているアジアの新興富裕層にも、「自分の国をどうにかしたい」という志を感じます。

吉家:さすがに美術館を作るのはハードルが高いですが、何かアートと関係したい企業は、どのような形で始めればよいでしょうか?

片岡:コレクション収集から始めるのもよいと思います。オフィスに現代アートをかけるだけでも変わります。日本はアートマーケット、特に現代アート市場は弱いと言われているので、購入することだけでも支えになります。できる範囲の支援でも、そういう企業や個人が大勢になっていけば、それが大きな変化につながるはずです。

現代アートはグローバルな見方を育む

吉家:アートの購入に対して、日本人は消極的ですよね。美術館に行くことにはお金を惜しまないのですが。

片岡:個人では、家の広さの問題が大きいかもしれませんね。作品がかけたくなるような「真っ白な壁」が少ないでしょう。また、幼い頃から現代アートに親しんでいるか、も大切です。

吉家:ファッションや建築などに比べると、世界的なプレーヤーが少ないですよね。たとえば、大谷選手みたいなスターがアート業界で出てくるとか。

片岡:それは、私が20代の頃から言われていたことです。今では草間彌生さんは世界の大スターです。杉本博司さんや村上隆さんも世界的に知られています。ただそうした作家は大勢ではありません。

そこには、義務教育の問題もあると思います。最近の美術の教科書では、会田誠なども取り上げていますが、美術を歴史として実際に教えられる先生が恐らく極めて少ない。印象派、ピカソで終わってしまっています。デュシャン以降の100年間が抜け落ちています。美術を「作る」授業ではなく、「歴史を学んで、鑑賞することを学ぶ」授業にしてくれれば、スターも生まれるかもしれませんし、ブランド品を買うようにアートを購入する人が増えるのでは、と思っています。

吉家:そんな状況で、どうしたらアートマーケットを活性化できるでしょうか?

片岡:日本では昔から骨董など「物を愛する」文化があり、ベースはあると思います。デパートの展示会で、現代アートが予想外に売れた話も聞きます。富裕層と現代アートを結びつける回路がうまくつながれば、と思います。

吉家:現代アートと日本の企業がより結びついたら、どんなことが起こると思いますか?

片岡:私は現代アートを通じて、世界の地理、政治経済史、人類学、宗教史なども学んできたと感じています。作品の解釈にそうした文脈は不可欠ですから。

企業の真のグローバル化は、英語だけでは難しいです。それはより幅広い知識や意識の問題ですから。森美術館の展覧会をご覧になっていただいても、作品を視覚的に楽しんでいただいた後、その作品がいつどこで、なぜ生まれたか、など深く考えてみていただきたい。現代アートに触れることは、グローバルな人材育成に適していると思います。

吉家:真のグローバル化にアートは大切なんですね?

片岡:現代アートはそれぞれの人生経験とも呼応します。たとえば、中東に勤務した経験のある人だからこそわかる作品があるかもしれない。経験の浅い若者より、日本の成長を支えてきた中高年層の方が、理解できるところもあるかもしれない。退職後の人生にも現代アートをおすすめしたいです。

 

テキスト:吉家千絵子
インタビュー撮影:川合穂波(acube)

 

プロフィール

片岡真実

森美術館チーフ・キュレーター

1965年愛知県生まれ。2003年より森美術館勤務。2007〜09年はヘイワード・ギャラリー(ロンドン)国際キュレーターを兼務。森美術館では「アイ・ウェイウェイ展:何に因って?」(2009年) 、「会田誠展:天才でごめんなさい」(2012年)、「リー・ミンウェイとその関係展」(2014年)「N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅」(2017年)、「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」(2017年)など、多数の展覧会を企画。

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