グラフィティは「落書き」か「作品」か?
バンクシーが美術界にもたらした“曖昧な領域”

vol.42

ストリートアートのカラクリを暴く なぜバンクシーの“作品”は億超えするのか?

Photographs by Kelly Liu / Rui Ozawa

Text by Yuka Sato

いま、世界中の注目を集めるストリートアーティスト、バンクシー。2018年10月には代表作《風船と少女》がサザビーズのオークションにて約1億5000万円で落札され、表舞台でその存在感が高まる一方、いまもなお覆面アーティストとしてアンダーグラウンドの世界で活動を続けています。ここで浮かぶのがひとつの疑問。なぜバンクシーの作品は非合法にも関わらず億超えの価値がついているのか、そしてその価値を決めるのは誰なのかということ。

ストリート・カルチャーの専門家であり、執筆や展示会のディレクションなども行なってきた、ライター/DJ/京都精華大学非常勤講師の荏開津広さんと、村上隆さんのギャラリーや展示で制作協力も手掛がけるグラフィティライターのsnipe1さん、現代美術とストリート・アートの領域で幅広く活動するSIDE COREの松下徹さんを迎え、バンクシーとは何者で、ストリート・アートはどのような歴史を辿ってきたのか、そして日本におけるグラフィティの現状について語っていただきました。


タジリケイスケ(「H」編集長/以下、タジリ):本日のイベントは、アマナデザインが新たに立ち上げたカルチャーのシンクタンク「オモシロ未来研究所」との共同企画の第2弾です。前回に引き続き、荏開津広さんをメインスピーカーにお迎えし、前半はストリート・アートやバンクシー作品についてお話いただきます。

後半は、グラフィティライターのsnipe1さん、SIDE COREディレクターの松下徹さんを交えてのトークセッションになります。では、荏開津さんお願いします。

荏開津 広(ライター/DJ/東京藝術大学非常勤講師/以下、荏開津):こんにちは。本日はお集まりいただきありがとうございます。はじめに自己紹介をさせてください。私はDJとしてキャリアをスタートし、ストリート・カルチャーに関する執筆や翻訳、展示会のディレクションなどさまざまな仕事をしながら、ストリート・カルチャーの重要性についてずっと考えてきました。

前回のイベント「世界はなぜ“ストリートカルチャー”に熱狂するのか」は主に「ストリートファッション」を取り上げましたが、今回は「ストリートアート」についてお話していきたいと思います。

ライター/DJ/京都精華大学非常勤講師の荏開津広さん
ライター/DJ/京都精華大学非常勤講師の荏開津広さん

ストリートは世界最大の美術館である

荏開津:今回のキーワードは「グラフィティ」と「現代美術」。グラフィティとは、ストリートの壁などに描かれた「落書き」のことです。私のパートの前半では、グラフィティの歴史からお話ししていきたいと思います。

荏開津広さん

荏開津:はじめにご紹介したいのは「ストリートは世界最大の美術館である」という言葉です。2011年のロサンゼルス現代美術館で行われたストリート・アートの展覧会「Art inthe Streets」にてストリート・アートはこう表現されました。

グラフィティの歴史を辿ると、第二次世界大戦中に出現した「Kilroy was here(キルロイ参上)」の落書きまでさかのぼります。これは派兵された各地で兵士たちが残した文字です。みなさんが思い浮かべるようなアルファベットの文字をスプレーで描いたグラフィティは、1970〜80年代のニューヨークから世界に伝播していきます。

グラフィティとはもともとストリートのもの。そもそも違法ですし、つまり美術館やギャラリーの「外側」の文化でした。ところが、現代美術側の要請によってグラフィティはギャラリーや美術館に飾られるようになり、現代美術に寄せていこうという動きが起こりました。

80年代初頭には、既にいくつかのグラフィティの展示会が開催されています。現代美術界からの要請によりグラフィティは「美術館の内側」へ持ち込まれていくのです。そのなかで、キース・ヘリングやジャン=ミッシェル・バスキアなどのスターが登場しました。

荏開津広さん

荏開津:90年代〜2000年代後半には、スプレー缶で文字を描く(書く)グラフィティだけでなく、コンセプチュアル・アートの流れにパフォーマンス性が組み込まれた“絵を描かないグラフィティ”も出てきて、現代美術と表現が重なっていきます。このころから「ストリート・アート」という言葉がよく使われるようになってきました。

バンクシーの活動の起こり

荏開津:さて、ここからはストリート・アーティストのなかでも、今日のテーマとなるバンクシーについてご紹介し、考えていきたいと思います。

バンクシーは、90年にイギリスのブリストルで活動を開始しています。次のスライドの左側の絵が、バンクシーの本当に初期のころの作品です。そのころはスプレーを使いフリーハンドで描いていました。

バンクシーといえば痛烈な社会風刺が特徴ですが、実はそうしたアーティストはバンクシー以前にもいて、バンクシーは最初期から高いオリジナリティがあったというわけではないんですね。

2002年には、ロサンゼルスのギャラリーで初の海外ソロ・ショーを開催しています。このころからギャラリーや美術館などでも活動を始めました。

多くの人がバンクシーの名前を知るようになったのは、2004年あたりからでしょうか。テート・ブリテン国立美術館に始まり、ルーヴル美術館や大英博物館などに、自分の絵を勝手に持ち込んで勝手に掛ける。パフォーマンスのような、いたずらのような行為を始めるんですね。これがマスコミに非常にウケて取り上げられたことにより、多くの人の注目を集めるようになりました。

2006年にはハリウッドで大規模な個展『ベアリー・リーガル(ギリギリ合法)』を行いました。本物のゾウにペインティングするなど、それまでのストリートでの活動からすると、あれ?と思うような表現が増えました。バンクシーの転機はこの『ベアリーリーガル』辺りからだと思います。ここで初めてバンクシーの作品を買うセレブが現れました。このころからバンクシーの作品の値段がどんどん上がっていき、いまでは億超えの作品も生まれている。

バンクシーの作品は全て“スペクタクル”である

荏開津:ここでバンクシー作品の特徴について考えたいと思います。よく知られるようになった表現手法としては、型紙を用意しその上からスプレーを吹き付ける「ステンシル」の手法です。当初の作品はフリーハンドのグラフィティですが2000年ころからステンシルに変わっています。

2003年にロンドンで行われた反戦デモでは「これをデモのプラカードに使ってくれ」と、型紙を配りアートワークを無償提供しています。ステンシルで描かれたプラカードには、ヘルメットをかぶった機動隊にスマイルマークが描かれている。これが参加者にとてもウケて、反戦デモではこのようなプラカードが氾濫しました。この辺りからバンクシーの名声がどんどん上がっていき、これが国内の展覧会に、そして先ほどの海外での展覧会へとつながっていくのですが、バンクシーはステンシルだからこそ可能な匿名性とセレブリティ、もしくは政治活動とユーモア、オンラインと現実世界などに同時に契りを結んでいくんです。

バンクシーというアーティストは個人での活動ではないと思います。現代美術の方法論とグラフィティやストリート・アートを重ね合わせて表現していることから、複数人で構成され、現代美術に詳しい人がなかにいると考えています。もっと確かな情報もありますが、答え合わせではなく、バンクシーの手法を読み取っていくのが大切だと思います。

私はいつもバンクシー作品を考えるとき、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが掲げた「WAR IS OVER」を思い出します。1970年のクリスマスに世界中の都市の大型広告ボードに”WAR IS OVER , IF YOU WANT IT “とだけ広告のように文字を書いたものです。

「戦争は終わる、それを望むなら」という意味ですが、“こんなことを書いても現実の戦争は終わらない”と思う人も多いのではないでしょうか? でも、彼らはそんなことは分かっています。そうではなく、オノ・ヨーコがやっていた少数のブルジョワ階級向けのアートを、ビートルズのメンバーとして世界一有名になったジョン・レノンの名声とお金を使って見世物としてやってみたのです。ハイ・アートの大衆化と言ってもいいですが、ビートルズで得た名声と財力を真剣に費やしてのものです。

これはバンクシー作品に通じていると思っていて、つまり、政治的なメッセージの持つ両義性とその後のバンクシー作品の大規模な見世物感も先取りしています。

もちろん、ジョンとヨーコに通じる部分だけでなく、グラフィティやストリート・アーティストたちがやってきたこと、現代美術の領域にはあったことを、バンクシーは全て同時進行します。

まずどんなことがあっても非合法な活動は止めません。また「ザ・シンプソンズ」のようなアニメのなかに侵入したり、イスラエルとパレスチナの国境問題に介入したり、インスタレーションや映像、パフォーマンスなど、ポピュラーなカルチャー文脈まで何から何まで活用して見世物をつくっていきます。オンラインでの発信とオフラインでの活動をうまく使い分けながら、騒ぎをアート・マーケットの内でも外でも、どんどん大きくしていく。先ほども言ったように政治とユーモアもそうですし、見物人もどんどん巻き込んでいきます。そしてシステム自体へ食い込んでいく。何よりもこの点がバンクシーの作品を億超えにまでさせたのではないかと考えられます。

読める者にしか読めないグラフィティと、プロジェクトピース

荏開津:では私の話はこの辺りにして、ここでグラフィティアーティストのsnipe1さんに登場いただき、これまでのグラフィティ歴史について解説をお願いしたいと思います。

snipe1:よろしくお願いします。もともと僕自身も「グラフィティライター」としてグラフィティを描いており、現在は「グラフィティアーティスト」に転向しようかと考えている最中です。

荏開津:snipe1さんは、村上隆さんが運営するギャラリー「Hidari Zingaro」での個展開催や、世界各国で村上さんの展示の制作協力なども手掛けています。

snipe1さんとMADSAKIさんの作品

バンクーバーで行われたカイカイキキの展示で、村上隆さんのオブジェにグラフィティを描いたsnipe1さんとMADSAKIさんの作品
村上隆さんやMADSAKIさんなど、カイカイキキのアーティストがつくり上げたグラフィティアート

村上隆さんやMADSAKIさんなど、カイカイキキのアーティストがつくり上げたグラフィティアート
snipe1さんの作品

snipe1さんの作品

snipe1グラフィティは伝統的に電車の車体によく描かれます。車体に落書きをするというのは、キャンバス(母体)である電車が自分の描いた絵を載せて、街中を回りながら多くの人に見せてくれるからです。それはゲットーからマンハッタン、別名「from here to fame」とも言われました。

電車の車体にしか描かないグラフィティライターとして有名だったのが、70〜80年代に活躍した「Dondi」です。Dondiはもう亡くなってしまったんですが、ブロック体のスタイルや色・線の使い方など、Dondiのスタイルをまねる人はこの後相当数出てきます。

荏開津:グラフィティの初期である70年代には既に、文字の描き方にスタイルの区別があったんでしょうか。

snipe1そうですね。最初のころは誰も文字を崩さなかったんですが、時間が経つにつれてどんどん崩されて読みにくくなっていきました。別名「ワイルドスタイル」とも呼ばれています。

90年代後半から2000年代に、ニューヨークで流行っていたグラフィティがヨーロッパに伝播していきました。スタイルとしては80年代のニューヨークで始まった「スローアップ」という2色で5分以内に描く手法で、世界的にグラフィティの主流な描き方として定着していきました。

90年代前半から、一方では、壁のオーナーから許可を得て大きい壁にコンセプチュアルな絵を描く「プロジェクトピース」も同時に出現して、スローアップと二極化が相反して進んでいきます。

荏開津:アートプロジェクトとしてやっているグラフィティと、そうでないものに分かれていったんですね。

TENNOZ ART FESTIVAL 2019

荏開津:ちょうどいま、この会場付近ではプロジェクトピース的なイベントとして「TENNOZ ART FESTIVAL 2019」が開催されています(編注:開催コア期間は2019年3月8日〜4月7日。ふれあい橋を除く作品は、2020年春までの展示を予定しております)。

それではTENNOZ ART FESTIVAL 2019の外観について、本日のトークセッションにも協力してくださった寺田倉庫さんから少しご説明いただきましょう。

伊藤悠/森 結紀納(以下、伊藤/森):今回の天王洲アートフェスティバルは、snipe1さんやSIDE COREの皆さんの協力のもとで実現したイベントです。天王洲エリア各所の壁面などに、アーティストが作品を描いています。主催は天王洲総合開発協議会。実現にあたっては景観審議会や広告条例を通過し、東京の観光財団の助成もいただきながら合法的に開催することができました。

寺田倉庫の伊藤悠さん(右)と森結紀納さん

寺田倉庫の伊藤悠さん(右)と森結紀納さん

伊藤/森:実はグラフィティを合法的に描くというのはすごく大変で、広告条例ひとつ取っても、絵が「広告」と見なされてしまうとお金を払わなければいけません。それを、「アート活動」として認めてもらえるよう働きかけました。また色の彩度や種類の制限などもあり、ある程度の制約のなかでそれぞれのアーティストに作品を描いていただきました。

ここで作品の一部をご紹介します。こちらは淺井裕介さんが三信倉庫の壁に描いた作品です。

淺井裕介さんの作品 Photo by Shin hamada/TENNOZ ART FESTIVAL 2019

淺井裕介さんの作品 Photo by Shin hamada/TENNOZ ART FESTIVAL 2019

伊藤/森:この場所は高所作業車が入れないエリアだったため、足場を組んで描きました。彼の場合はグラフィティアーティストというよりは絵描きとしてANOMALYの所属作家さんでもあるため、この大きさにも関わらずそのほとんどをマッキーで描いています。壁にマス目を描き、連日8人掛かりに参加していただいて完成させています。

Photo by Shin hamada/TENNOZ ART FESTIVAL 2019

ビル全体に足場が組まれ、本格的に絵を描き始める前に下書きを施した Photo by Shin hamada/TENNOZ ART FESTIVAL 2019

伊藤/森:こちらはSIDE COREのメンバーDIEGOさんの作品です。

DIEGOさんの作品

DIEGOさんの作品 Photo by Shin hamada/TENNOZ ART FESTIVAL 2019

伊藤/森:これは2週間くらいかけて描かれました。街の風景や街を歩く人の足のような形など、天王洲エリアの空気を感じながら描いていただきました。

次は、snipe1さんやSIDE COREさんにご協力いただきお招きすることができたARYZの作品です。

ARYZさんの作品

ARYZさんの作品 Photo by Shin hamada/TENNOZ ART FESTIVAL 2019

伊藤/森:ARYZは描くのが早くて、1日目には大まかなラインができ上がっていました。東横INNさんの立体駐車場の壁なので相当な大きさですが、下から写真を撮り構図のズレをチェックしながらもあっという間に描き上げたので、ミューラルアーティストの圧倒的な実力を感じました。

高所作業車で作業するARYZさん

高所作業車で作業するARYZさん Photo by Shin hamada/TENNOZ ART FESTIVAL 2019

伊藤/森:これはいまから話してもらう、松下徹さんの作品です。東京モノレールの天王洲アイル駅という場所なので、毎日人が行き交う場所として《Sleeping city(眠る街)》というタイトルになりました。平日は通勤する人が通ることが多いのですが、休日はのどかだったりもします。休日を楽しみにする街の様子が描かれています。

松下徹さんの作品

松下徹さんの作品 Photo by Shin hamada/TENNOZ ART FESTIVAL 2019

伊藤/森:またアマナさんからのご紹介で、小林健太さんという若手の写真家さんの作品もふれあい橋に飾られています。

小林健太さんの作品

小林健太さんの作品 Photo by Jo Takano

グラフィティと現代美術の“綱引き”の狭間で生まれた、ストリート・アート

荏開津:ありがとうございました。ではここからはSIDE COREの松下さんも交えて、グラフィティと現代美術の交差、そしてストリート・アートについて深掘りしていきたいと思います。

松下 徹(SIDE COREディレクター以下、松下):アーティストコレクティブSIDE COREのディレクターをしています、松下徹です。現代美術の視点から、グラフィティやストリート・アートの研究、展覧会開催、アーティストとの企画などを行っています。

SIDE COREディレクターの松下徹さん

SIDE COREディレクターの松下徹さん

松下:荏開津さんからもあったように、グラフィティと現代美術はそもそも全くの別物だったんですよね。グラフィティをやっている人から言わせると、別に現代美術家になりたいわけではなく、アートでいうところの「美術館で最終的に作品が残っていくこと」とは、少し意味が違っています。

snipe1そうですね。前提として、グラフィティは街からは消えてなくならなければならないということです。たとえ何十年もストリートに残り共存したとしても、未来的、将来的には必ず消えて、なくならなければならないものでもあります。

松下:そもそも文字の意味を“外側”にいる人たちは読むことができないため、プレーヤー同士の評価の世界であってお金で買えるものではないんですよね。それが、キースヘリングやバスキアなどによって、現代美術側からグラフィティを綱引きで引っ張るような形になってきた。

グラフィティが日本で初めて美術館で紹介されたのは2005年、水戸芸術館の展覧会『X-COLOR』でした。集まった作品は20〜30代の人たちの作品で、キースヘリングなど誰もが知っているような作品は入っていません。当時グラフィティシーンが盛り上がってきたところで、グラフィティ側では「参加するか、しないか」の議論が盛んになっていました。

松下:いまは中間領域がぐーんと伸びてきて、すごく広い世界になった。TENNOZ ART FESTIVAL 2019にはグラフィティの人も現代美術の人も参加していますよね。

アートの値段を決めるのは、私たち自身

松下:そんななかで、バンクシーは現代美術とグラフィティの間の“ビッグバン”みたいなものではないかなと思います。

荏開津:グラフィティのような違法行為がアートになったのは、みんなでアートにしたからなったのだということなのです。アートマーケットの仕組みなどはまた別として、「アートの値段を決めるのは、それを見る私たち自身」だということです。

荏開津:バンクシー自身は見る側とのバランスをうまくとりながら市場価値を上げていっています。snipe1さんはどう考えますか?

snipe1そうですね、グラフィティライターの目線から見ても彼はすごいと思うところが多々あります。アイデアもすごいですし、並行して非合法なことも続けているし、「他のグラフティライターができないことをやってくれている」と思っています。それが、ライター視点からもバンクシーの魅力なんじゃないかなと推測します。ただ嫉妬や妬み、ひがみで嫌いな人は多数います。

荏開津:松下さんは、なぜバンクシーの作品はヒットしたと考えますか?

松下:分かりやすい社会批判性にあると思います。政治批判を風刺画として街に描くみたいな。

snipe1世間や社会的弱者を味方につけるような形ですよね。

松下:いまは、バンクシー以外でも、グラフィティ作品、ストリート・アート作品の意義の幅が広がってきている。snipe1さんの作品や僕らの作品も、絵画として見ておもしろいんですよね。それを見た人が、いろいろなことを語れるというか。そういう時代になってきているなと思います。

例としてSIDE COREが市原湖畔美術館で企画した『そとのあそび展』、この展示に参加したとあるグラフィティライターを挙げさせてください。彼は「探検」をテーマに、東京から市原湖畔美術館に来る間にグラフィティを描きながらやってきました。ダムとか水路のなかに勝手に入っていき作品をつくる。テントを立てて一晩過ごして録音した音とか、描いた絵のスケッチを展示したりしました。

SIDE COREディレクターの松下徹さん

タジリ:ありがとうございます。それでは最後に、いくつか質問を受け付けたいと思います。

質問者1:グラフィティが「落書き」か「アート」かを決めるのは観客だという点にすごく納得させられましたが、それは見る側の力もすごく大事だと思いました。一般的に日本は海外のように美術作品を買う人は少ないです。日本でグラフィティや現代アートを盛り上げるために、観客が持つべき視点や感性はどのようなものだと思われますか?

snipe1作品をただ見て良し悪しをつけるのも良いと思いますが、アーティストのバックヤードを見ることで作品もまた新しい形に見えてくると思います。自分なりにこのアーティストは本物かどうかという感性が養われると思います。

松下:グラフィティを掘り下げる一番の近道は、街に出てグラフィティを探すことです。まず気になるタグやグラフィティをひとつ見つけてみる。それから、同じグラフィティを探してみると、意外といろいろなところに落ちています。このストリートに出て探すという行為がすごく大事で、探していたら何かが見えてくるはずです。

質問者2:トークにグラフィティはプレーヤー同士のコミュニケーションとしては成立するけれども、グラフィティを知らない人には何の文字が描かれているのか分からないというお話がありました。このある種の排他的な側面についてはどう思われますか。

snipe1野球でもルールを知らなければ、見ていても何もおもしろくないじゃないですか。それと同じです。だから、観客がグラフィティのルールを知ったら絶対におもしろく見えてきます。そこが排他的ではあるんですが、ルールを学ぼうとしてもらえたらもっとおもしろくストリートやグラフィティを見ることができると思います。すべての物事と同じように、グラフィティも結局、社会の縮図的なものが透けて見えてきます。

松下:現代美術においてグラフィティが信頼できると思えるのは、まさに排他性にあります。グラフィティ・シーンにおいては本当にストリートで活躍した人しか認めないという側面が強くあって、アーティストの人気度もそれに大きく左右されます。そのため、現代美術のアーティストより評価が分かりやすく、信頼度が高いと感じています。

タジリ:日本でストリート・カルチャーが文脈的に語られることって、いままであまり多くなかったように思います。しかし今日のトークをお聞きし、これからストリート・カルチャー、ストリート・アートがさらに盛り上がりを見せるのではないかなと感じました。本日はありがとうございました。

*snipe1さんの意向により、ご本人の写真は非掲載となります。

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