vol.24
スモーガスバーグが仕掛ける「食と街」の新しいブランディング
マンハッタンの摩天楼を対岸に臨むかつての倉庫街ブルックリン。その空き地に現れ、いまや世界中から熱い視線を集める食のイベント「スモーガスバーグ」をご存知ですか? 話題の裏には単なるグルメイベントを超越した、食のつくり手と消費者や投資家、メディアとの関係性を生むインキュベーション的機能があります。その仕組みを日本に持ち込み、大きなポテンシャルを秘める日本の食文化を盛り上げようと活動するOffice musubi代表の鈴木裕子さんが今回の登壇者。中央ではなく周縁から食文化を振興する「スモーガスバーグ」の可能性について語っていただきました。
坂西理絵(『料理通信』代表/以下、坂西):今回ご登壇いただく鈴木裕子さんにはこれまで『料理通信』「The Cuisine Press」で取材させていただいてきました(「The Cuisine Press」第1話「日本の食の可能性を広げる」)。鈴木さんの活動のなかでも、特に日本と海外の“食の架け橋”としての役割に、メディアとして非常に注目しています。
鈴木裕子(Office musubi代表/以下、鈴木):大阪を拠点に年4回ほどのペースでニューヨークに足を運んでいます。Office musubiの創業は2007年。以来、食専門の企画マーケティングを手がけています。世の中にはたくさんの企画マーケティング会社が存在しますが、食専門はあまり見受けません。そこにニーズを感じるとともに、そもそも抱いていた「日本の食をもっと元気にしたい」という想いから起業しました。
いいものをつくっていても、その見せ方や伝え方がうまいつくり手はなかなかいません。そこで、つくり手と市場をより最適なかたちでつなぐことを目標に、具体的には農業支援、食品の海外販路開拓、食品会社さんの事業継承をお手伝いし、結果として日本の食を盛り上げることにつながるような仕事をしています。「おmusubi」と呼称されることも多いOffice musubiには、人やモノを結ぶお手伝いをするという意味が込められています。
坂西:起業なされるまでの経緯も教えていただけますか?
鈴木:短大を卒業した後、2年間アメリカへ留学しそのままさらに1年間アメリカのホテルでマーケティングを担当しました。その後、ベンチャー系のマーケティング会社に務め、10人程度の小さな組織でしたが大企業ばかりをクライアントとして持つ非常にユニークな会社で、ここでの経験がいまの私の仕事の基礎となりました。
その後は名古屋に活動拠点を移し、しばらく個人で政府系のプロジェクトの立ち上げに関わったり、民間アドバイザーとしてJETRO(日本貿易振興機構)に勤務したりしました。
それから起業することになりますが、その原動力になったのが、JETROで日本食の輸出や海外企業の日本進出支援を担当した際に感じていたジレンマ。大金を動かして大きな部分に手をかけていても、小さなところにまで手が届いていないがために結果に結び付かないことが多々あったのです。ならば自分で細かなところまで配慮を届かせようというのと同時に、自分の市場価値を試すという意気込みがありました。起業後は、日本の畑からニューヨークまでを活動の舞台としています。
鈴木:Office musubiの事例のひとつ、大阪の老舗昆布屋さんの商品開発をお手伝いした案件をご紹介します。昆布がなかなか売れないことが、お店の抱えていた問題でした。そこで私は、日本では売れないかもしれないけれど、日本食が世界的に人気なのだから、ニューヨークなら売れるだろうと考えました。
昆布屋さんが売っているのは、結局は「旨味」ですよね。しかし、昆布を煮て出汁を取るのは案外難しいもので、外国の食文化にはそう簡単に根付きそうもありません。ならば、はじめから出汁の状態にして、塩も入れて調味料として「旨味」を販売することにしました。英語の分からないヒスパニック系の方が調理場に立つことの多いアメリカのキッチン事情を考慮して、説明不要で使いやすいスプレー式のボトルに入れる配慮もしました。
非日本語圏の人でも発音しやすい「Fumi(風味)」という命名。使用方法のイラストをパッケージに載せて売り出して人気が出ると、今度は日本で三越伊勢丹の新宿店さんがすぐに目をつけてくださり、一気に人気が出ました。いまでも三越伊勢丹さんの人気百選のひとつになっています。
私の仕事は、要は売り手と買い手の視点のズレを解消することです。外部にいるものとして、業界や社内の常識と非常識を見極め、問題を解決するお手伝いをしているんです。
視点を変えて海外でモノを売るには、文化的背景から流通事情まで現地の視点を知っている必要があります。
だからニューヨークで信頼できる仲間を集め、現地に専門家チーム網を整えました。マーケティングライター、食専門店、情報収集担当者、シェフやデザイナーなど案件に合わせて必要なメンバーで組織を構成し、的確な企画提案を可能にするのです。
坂西:それでは、今回の本題「スモーガスバーグ」の話題に移っていきましょう。ニューヨークのブルックリンで2011年に始まったこのイベントですが、それはわれわれがアメリカにおける食の動向に再注目し出した矢先でした。「ベンチャー屋台」と当時は記事のなかで紹介しましたが、簡単に言うと食のクリエイターたちが思い思いの創作フードを屋台で売るイベントです。
出店者はレストランの開店を目指す方から、加工食品の小売流通を目指す方までさまざま。鈴木さんは、この「スモーガスバーグ」にどのようにして出会ったのですか?
鈴木:ニューヨークには頻繁に行っていたので、自然と知ることになりました。日本でもよくある食フェスと異なり、毎週末レギュラーで開催されているので行きやすいイベントでしたね。だから、当初はプライベートで遊びに行っていたんです。
坂西:つくり手さんから手渡しで料理をもらう体験って稀有ですよね。その際に、創作にまつわるストーリーやこだわりを聞くこともできて、ライブ感が存分に堪能できることが非常にいい。
鈴木:そうですね。メディア寄りの専門家エリック・デンビーと不動産・金融業界の専門家ジョナサン・バトラーのふたりが共同で立ち上げたので、よくある単発イベントではなく、継続的な事業として成立することができたようです。
食への情熱やアイデアがあっても、いざ出店するとなると高額の費用が必要になります。スモーガスバーグなら、通常よりはるかに低い金銭的ハードルで自分のアイデアや腕を確かめることができる。味やおもしろみといった、食の持つ純粋な魅力で誰もが挑戦できる場なのです。
そんな、「食を通じて新しいことを始めよう」というチャレンジャーたちが登場するステージなので、投資家やメディアも足を運ぶ場にもなっています。これまでにさまざまなサクセスストーリーもできているため、ここへの出店が成功への大きな一歩だと目されるようになっていて、アメリカの食業界ではかなり認知されるように。それだけでなく、「集客コンテンツ」という認知も広がっているので不動産業界などが注目をし、人があまり訪れないところに期間限定で出店のオファーが来るようなキラーコンテンツになってきています。そうして足しげく通っているうちに「スモーガスバーグ」に流れる精神性を日本に持ち帰りたいと考えるようになりました。
鈴木:日本にはスモーガスバーグのように、食のクリエイターたちの活動を継続的に後押しするようなインキュベーターがありません。そこで私は、キッチンなどの設備を貸し出す場所の支援と、事業を継続させるための人的支援を提供する「フードインキュベーター」を日本につくろうと思い立ちました。
日本国内で「食の街」として名高い大阪も、こと海外へのアピールとなると非常に弱い印象です。豊かな食文化に加えて、個性輝く人々がいる土地柄をもっと対外的に発信して行くべきなんです。個人に光を当てることで、日本の食を盛り上げる火種をつくれるのではないかとまずは大阪に目をつけました。運よく「食のチャレンジャーを応援する仕組みを日本につくりたい」という想いを阪急電鉄さんがご理解くださり、「スモーガスバーグ大阪」の実現に向けて動き始めました。
最初、会場の候補として繁華街として華やぐ梅田を提案されました。しかし、「スモーガスバーグ」はもともとブルックリンの倉庫街にある空き地で開催され、人を呼ぶことで街に活気が起き、土地の価値の上昇につながったという一連の動きがありました。このようなフロンティア精神溢れるイベントなので、単発でやって終わりということではなく、長期的スパンでエリアの価値を上げていくことに意味があるという趣旨を阪急電鉄さんもご理解くださいました。
そこで、梅田から徒歩10分ほど離れ、寂れた雰囲気を漂わせる高架下スペースをご紹介いただきました。天井も高く、解放的な雰囲気がブルックリンの倉庫街の空気感と合致し、使わせていただくことにしました。
タジリケイスケ(「H」編集長/以下、タジリ):大阪で開催する「スモーガスバーグ」は、鈴木さんの標榜するフードインキュベーションというよりは、まだ「食フェス」としての意味合いが強いイベントだったんですよね?
鈴木:そうです。私はフードインキュベーションを声高にアピールしたかったのですが……。周囲にはまだ時期尚早だと止められ、まずはスモーガスバーグという存在の認知を広めることに専念したんです。
坂西:イベントの模様を『料理通信』でも取材させていただきました(「ブルックリン発フードマーケットが大阪に初上陸!」)。会場は大盛り上がりで、2000円前後の価格設定の屋台に長蛇の列ができていることに私も驚きました。
鈴木:12店舗のうち2店舗がニューヨークから、10店舗が大阪を中心に関西からの出店でした。国内の出店者の方々にもスモーガスバーグのコンセプトを理解していただき、普段お店で出しているものではなく、チャレンジングなメニューを新しく考案していただきました。イベントだけでしか食べられない特別感やつくり手側のチャレンジ精神が来場者の方々にも伝わり、会場全体の熱気につながったのだと思います。
タジリ:スモーガスバーグはそもそも、大阪での開催以前はアメリカ国外での開催実績がなかったそうですね。初の海外開催に際して、創設者の方々をいかにして説得したのですか?
鈴木:パリやロンドンでの開催のオファーもあったそうですが、ふたりは断っていました。私が最初に話を持ちかけたときも、なんだか無愛想で乗り気ではありませんでしたね。そこでへこたれないのが私です(笑)。逆に「なんとか落としてしまおう」と燃えた私は、「食において世界レベルを誇る日本でやることでスモーガスバーグの価値を上げ、他国で開催するときに必ず展開しやすくなるから」と、しつこくふたりに日本でスモーガスバーグを開催することのメリットをアピールしました。
それから3年がかりで、なんとかエリック・デンビーを大阪に招聘することに成功し、彼らから「ここでやりたい!」という言葉を引き出すことができたんです。
ニューヨークの中心から外れたブルックリンの荒廃地で起こったプロジェクトです。世界中からオファーがあるなか、あえて極東の日本の、しかも東京ではなく大阪で海外初を飾ることの意義をふたりに必死に伝え続けたことが功を奏しました。
坂西:やはり欧米に比べて日本人はアピールが苦手ですので、強気で想いを伝えることのできる鈴木さんの存在は貴重です。
鈴木:阪急不動産さんには頑なに止められていたフードインキュベーションの宣伝も、会場の片隅に一枚の張り紙をすることでちゃっかり実行してしまいました(笑)。やはりこの告知がなければ、来場者の方々にも出店者の方々にもよくあるフードイベントだと思われてしまいますから。
タジリ:その結果はいかがでしたか?
鈴木:3日間のうち1日は晴れましたが、あとは雨と台風でした。にもかかわらず約25,000人のお客様の来場を記録することができました。それぞれの出店者さんが挑戦心を抱いて臨んでいたからこそ、一般的な食フェスなどでは感じることが難しい、つくり手の熱意をお客様に伝えることができていました。これこそがこのイベントの醍醐味であり、成功の要因でしたね。
坂西:この大阪でのスモーガスバーグでは人気店の出店がほとんどでしたが、来場者のなかには今後飲食業界に進出したいと考えている方もいらっしゃいました。「こういう場で挑戦すれば、自分にもチャンスがめぐってくるかもしれない」と期待していただける、食文化発展の下地づくりになったのではないでしょうか。
坂西:そして、鈴木さんの野望は次のステージに進みましたよね。
鈴木:初回の成功をきっかけに、継続的な開催が期待されるようになり、同時にフードインキュベータとして「大阪フードラボ」をオープンしました。
スモーガスバーグ大阪を開催した高架下を現代的なデザインに改装して、キッチンと3つの店舗スペースを設置しています。最長6カ月のトライアルで、独立開業を目指す方や新業態や新メニューを試してみたい既存店さんなどのチャレンジを支援します。こうした施設の支援に加えて、開業資金応援制度、ニューヨークのスモーガスバーグ出店の優先権利などさまざまなサポートを用意しています。
約1年間というスピーディーな展開で、このプロジェクトを進めることができたのは、私の想いをうまく社内に浸透させてくださる理解者が阪急電鉄さんの内部にいらっしゃったことと、高架下の活用に頭を抱えていた国土交通省の後押しがあったからこそですね。
実は、スモーガスバーグの関東圏での開催も決定しています。さいたま新都心駅の近くに更地があります。1400戸入るマンションの建設用地であるこの土地へ購入検討者を呼ぶことが、デベロッパーのクライアントが抱く目的でした。通常のTVCMや中吊り広告では販売数が伸びなくなったために、新しい販促手法を試してみたいという意図があるようです。敷地が広いので、本場の「スモーガスバーグ」にさらに近いイメージで60〜70店舗での開催が可能です。現在試食審査など、準備が進行中です。
こうして振り返ってみると、私の人生は計画型ではなく展開型でした。悪く言えば行き当たりばったりなのですが、チャンスに感じたらとにかく全力でやってみる。そんなことを繰り返してきました。
私の活動は「日本の食を元気にしたい」という思いで畑からスタートし、結果的にいまや都市開発の一端を担うプロジェクトにまで派生しています。「大阪フードラボ」のある大阪市西区とニューヨーク市ブルックリン区を「姉妹区」にして、より密接なコラボレーションをしていく計画も真剣に考えています。思ってもいない展開ばかりですが、何に対してもブレない信念を持ってやってきたので、納得のいく結果に結実させることができているのだと思います。