vol.164
Text by 徳尾 厚
毎年1月にニューヨークで開催される「NRF」は、世界中のリテール業界関係者が集まる大規模イベントです。最新のマーケティング手法やテクノロジー、消費者行動の変化を知る貴重な機会であり、2025年のNRFでは、ブランド価値の再構築や消費者参加型のEC、スタッフを活用したマーケティングなど、新たなトレンドが注目を集めました。
今回のウェビナーでは「STYLUS」の秋元陸氏が登壇し、NRF2025を通して見えたリテール業界のトレンドや日本市場での影響について解説しました。
NRF(National Retail Federation)は、毎年1月にアメリカのニューヨークで開催されるリテール業界向けのイベントです。世界中からリテール事業の関係者が集まり、6,000以上のブランドが参加します。近年はシンガポールでもNRFアジア版が開催されるようになるなど、その規模は徐々に拡大しています。
NRFでは、参加ブランドの商品やサービスを紹介する展示ブースに加え、業界のキーパーソンによる基調講演や複数のカンファレンスが開かれます。2025年は、AIによる店舗オペレーションの最適化やライブコマースサステナビリティ、ブランド戦略などの多彩な取り組みが紹介されました。
ウェビナーでは、秋元氏がマーケティングの観点から得られた5つのトレンドについて解説しました。
トレンドのひとつは、すでにブランドを確立している有名メーカーによる、顧客の維持や新規顧客開拓のために、改めてブランドの持つ歴史を発信する動きです。、多くのブランドで、長年積み上げてきたブランドの価値を時代に合わせて再解釈し、表現方法を工夫して新たなユーザーに伝える取り組みが見られました。
2024年7月にバーバリーのCEOに就任したジョシュア・シュルマン氏は、新規顧客の獲得には成功している一方で、長年のファンやブランドのコアアイテムを愛用する顧客との関係維持に課題があったと指摘しています。そのため、ブランドの象徴的なアイテムであるトレンチコートやキルティングジャケット、パファージャケットなどに焦点を当て、過去のクリエイティブを活用したキャンペーンを開始しました。
田園風景やドライブシーンなど自然の中でコアアイテムを着用して過ごす様子を映したショートムービーを制作し、SNSで発信。このショートムービーの特徴は、ブランドの象徴的なアイテムを単に紹介するのではなく、それらが持つ普遍的な魅力を引き出し、時代を超えた価値を伝えることにあります。田園地帯を走る列車、川辺での釣り、風の音だけが響くドライブシーンなど、あえて派手な演出を排し、アイテムが持つクラシックな魅力を際立たせています。
この演出には、現代の消費者が抱えるストレスや疲労感に寄り添い、ブランドの世界観を通じて癒しや安らぎを提供する意図がありました。特に、近年の「クワイエット・ラグジュアリー」トレンドと呼ばれる、シンプルで上質なファッションの潮流とも親和性が高いといえます。
ニューバランスは、ブランドの歴史や地元との結びつきを強調するマーケティング戦略を展開しています。ウェビナーでは、NBAドラフトの一位候補とされるメイン州出身のクーパー・フラッグ選手を起用したテレビCMについて紹介されました。
このCMでは、メイン州の典型的な田舎町の朝の風景を描写し、新聞配達の少年が地元紙を配る中、クーパー選手が庭先でバスケットボールの練習をする様子が映し出されます。そして、その新聞の一面には「賢い選択」と題し、クーパー選手がニューバランスとのパートナーシップ契約を結んだことが報じられています。
政治や経済、社会情勢が目まぐるしく変化する中で、古き良きアメリカの姿や企業と人が結びつくローカル感を前面に打ち出したこのCMは、ニューバランスが積み上げてきた歴史や関係性、地元への愛着を表現しているといえます。
オンラインストアなどを利用して高品質なものをリーズナブルに入手できる世の中になったことでブランド価値への疑問や、ブランドものは豪華だが高価だとネガティブに捉えられることもあります。
これらのブランドの取り組みを通して、秋元氏は、近年のトレンドとして「ブランドとは何か」を問い直す動きが見られることを強調します。「自分たちが積み上げてきたものや注力してきたことに焦点を当て、ブランドの重みや提供価値を自分たちの歴史とともに語っている」と分析しました。
秋元氏はウェビナーで、NRFで見られたECサイトやeコマースの傾向にも触れました。ECサイトはユーザーが時間や場所を選ばずに商品を購入できることが強みでしたが、NRFではユーザーと積極的に関わり、個別対応することでユーザーを固定客に育てていくような施策が登場しています。
例えば、イスラエル発のeコマース向けソリューション「Pretty Dam Quick」は、ユーザーごとに配送オプションや送料を変更できるサービスです。配送コストが上昇する中でブランドが価格を維持しても、最終的な購入判断は「総額の安さ」に左右されるという課題に対応しています。
「Pretty Dam Quick」は、購入頻度が高いが単価が低いユーザーと、年に1度しか購入しないが高額商品を買うユーザーなど、消費行動に応じて送料をカスタマイズ可能です。例えば、頻繁に購入するが総額は中程度のユーザーの送料を無料にする、または年に1度の高額購入者の送料を免除するなど、ブランド側が最適な設定を行えます。
これにより、配送料の割引が購買頻度を上げ、結果的に購入総額の増加につながる可能性があり、ブランドとプラットフォームがデータを活用しながら最適な価格戦略を模索できる点が特徴です。配送コストを単なる負担ではなく、顧客ロイヤルティの向上や購買行動の変化を促す要素として活用する新たなアプローチとして注目されています。「プラットフォームやブランドが試行錯誤できるのが面白いポイント」と、秋元氏は注目しています。
ブランドが作るコミュニティのあり方にも、新たなトレンドが生まれています。
血圧や歩数、睡眠時間などのバイタルデータを測定するウェアラブルデバイス「Oura Ring」が展開する「Oura Circle」は、健康スコアを共有できるクローズドなコミュニティ機能です。Oura Ringが算出した自身のスコアに対してコメントし合う仕組みで、ユーザー同士の適度な距離感を保ちながら、孤独感の緩和や健康維持のモチベーション向上を狙っています。
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背景には、アメリカ政府の調査によると成人の約33%が孤独感を抱えていること、そして、これは1日15本の喫煙と同等の健康リスクをもたらすという研究結果も出ていることが挙げられます。そこで、Oura Circleは、「人とつながる場を提供するが、過度に干渉しない」という設計を採用しました。ジムに通うことで運動の継続率が上がるのと同様に、他人の努力が見える環境をつくることで、ユーザーのモチベーションを高める狙いがあります。
近年、海外ブランドでは、企業がユーザー同士を直接マッチングするのではなく、コミュニティの「場」だけを提供し、あとはユーザーに委ねる形が主流になりつつあります。日本企業では、コミュニティ維持のためにコンテンツ提供やイベント企画に力を入れすぎる傾向がありますが、海外では「緩やかに運営されるコミュニティ」がブランドに支持される傾向が強まっています。
この適度な距離感を活かした「エモーショナルブリッジ」の設計が、今後のコミュニティ形成の鍵となるでしょう。秋元氏は「他のユーザーのパフォーマンスが自分の目が届く範囲にあるぐらいの適度な距離感が、今のコミュニティ形成ではすごく重要な要素」だと強調しました。
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リテールに欠かせない実店舗での接客も、NRFで熱量高く議論されていたトレンドのひとつです。中でも目立ったのは、接客力強化のために店舗スタッフを「ヒーロー」にする取り組みでした。スタッフ一人ひとりにスポットライトを当て、個性を輝かせることで、ユーザーを店舗に向かわせる施策です。
シューズをはじめとしたスポーツ用品を取り扱う「FOOT LOCKER」は、店舗スタッフ「ストライパー」に焦点を当てたマーケティングを展開しています。ストライパーとは、黒と白のストライプの制服を着たスタッフの愛称で、彼らがスニーカーの魅力を語るSNS投稿や対談コンテンツを制作。
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TikTokやYouTubeでは、新商品の紹介や自身のスニーカー愛について語る動画を公開し、スニーカー文化への熱意を発信しています。また、著名なクリエイターやスポーツ選手にユニフォームを着せ、対談を行うなど、スタッフの個性と情熱をブランドの魅力として打ち出しています。
ヨガウェアからスタートしたスポーツ衣料メーカーの「LuLuLemon」は、店舗スタッフを単なる販売員ではなく、健康やウェルビーイングの「エデュケーター(Educator/伝道師)」として位置づけています。彼らを、顧客に対して健康に関するアドバイスを届ける存在とし、「信頼できるエキスパート」としての役割を強調。
出典:LuLuLemon
公式サイトでも「エデュケーターに相談できる」ことを打ち出し、店舗を訪れる理由を作るマーケティング戦略を展開しています。
これらのブランドは、ECサイトを持ちながらも実店舗で働くスタッフに焦点を当てることで、実店舗への来店を促す施策を強化しています。スタッフのファンになってもらうことで顧客を維持したり、ユーザーが買いたい商品に合わせて別の商品やサービスを勧めることもできます。
そして、もう一つの重要な目的は「人材定着」です。先進諸国は日本同様に少子高齢化が加速し、若くて優秀な働き手が強く求められています。Z世代やアルファ世代は仕事を選ぶ際にワークライフバランスを重視することもあり、各企業は新規採用や人材定着に頭を悩ませています。
そうした中で、ブランド側が実店舗で働くスタッフに光を当てる取り組みは、スタッフ個人のセルフブランディングに力を貸すことに繋がり、労働意欲の向上や、職場に愛着を持って長く働いてくれるという人材定着の効果が期待できます。
テクノロジーの発達もリテール業界に新たなトレンドを生み出しています。eコマースのシステムなどもテクノロジーによって進化していますが、注目したいのは店頭で活躍し始めた新しいテクノロジーです。
例えば化粧品メーカーの「SEPHORA」は、セフォラは、店頭での肌診断を可能にする「スキンクレディブル」を導入し、AIを活用したカウンセリングを提供。モバイル端末で肌をスキャンし、店頭スタッフが最適なスキンケア商品を提案します。これは、豊富な知識を持ったスタッフが個々のユーザーに合わせた対応をするという実店舗ならではの体験を提供することで、ブランド価値を再定義し、パーソナライズされた顧客体験を実現する狙いです。
出典:SEPHORA
この新技術により、「ユーザーの満足度が高くなるのはもちろん、スタッフも、より詳しい情報を得てユーザーに最適なカウンセリングをできる」と秋元氏。テクノロジーを活用した店舗体験の強化は、リテール業界において今後ますます重要な要素となるでしょう。
デジタルの進化は、マーケティング業界に大きな影響を与えました。伝統を持つ有名企業も、自社のブランド価値を若年世代や新規顧客にリーチするために、情報発信の方法を変化させています。日本でも、若年層にリーチするためには新しいメディアに合わせたブランドの再解釈が必要になるでしょう。
NRF2025では、ブランドとユーザーの対話、ブランドとコミュニティの距離感、ブランドと店舗スタッフの関係性など、ブランドと人との関わり方の変化も目立ちました。社会情勢の変化に伴い人々の生活が大きく変化していく中で、ユーザーの心理を把握した、人を中心にしたマーケティングを展開していくことは、日本のマーケットでも今後主流になっていくかもしれません。
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