資生堂が考える「企業文化継承」の重要性と「文化支援」の意味

こんにちは。アマナアートフォトプロジェクトを行っている上坂です。

アマナアートフォトプロジェクトは、日本にアートのある生活を提案するプロジェクトで、私たちは、企業が文化について理解を深め、文化支援を行っていけるような環境醸成を行っています。

幸い、近年、美術館の運営や芸術活動の支援事業(メセナ)など、国内外問わず多くの企業が文化事業に取り組んでいますが、「企業」、「文化」といえば、国内ではまず資生堂をイメージする方も多いのではないでしょうか。

今年で創業145年を迎える資生堂は、どのように企業文化を育み、芸術文化を支援してきたのでしょう? 1月13日(金)、私たちは、企業とアートセミナーの第1弾として元・資生堂企業文化部の一橋忠さんをお招きし、お話を伺いました。

“企業の文化”と“企業と文化”

一橋さんは青山学院大学を卒業後、1975年に資生堂に入社。広報室、化粧品事業本部を経て広報部長、宣伝制作部長を歴任し、2007年に企業文化部長に就任されました。

2011年からは資生堂の創業150周年記念の150年史編纂プロジェクト編集長も務め、2016年12月に退社後、現在は学習院女子大学の非常勤講師を務められています。

一橋「今回のテーマの1つである”企業の文化“と”企業と文化“。資生堂の社内でもこの2つの違いを明確に答えられる社員はそれほど多くないかもしれません。

”企業の文化“とは、企業の中で育まれてきた文化や文化資産のこと。商品やパッケージ、広告宣伝ポスターはもちろん、経営システムや販売ノウハウも含まれます。

それに対して”企業と文化“は、美術展の開催や作家のサポートといった企業の外側にある芸術文化の支援活動を指します。

この2つと資生堂の関係は、2007年に開催された『福原信三と美術と資生堂展』からも見ることができました。」

「福原信三と美術と資生堂展」ポスター

「福原信三と美術と資生堂展」は2007年に世田谷美術館で開催された、資生堂の初代社長・福原信三氏と美術の関わりをテーマにした美術展です。動画では福原信三の社長就任、1916年の意匠部創設、さらには川島理一郎、梅原龍三郎といった芸術家との交流など、資生堂の企業文化と芸術文化支援の歴史が紹介されました。

一橋「資生堂の母体は、福原信三の父・有信が1872年に銀座に開業した西洋調剤薬局です。息子である福原信三はコロンビア大学を卒業後、パリの遊学を経て1915年に初代社長に就任。事業を調剤薬局から化粧品へ転換するとともに、企業経営に芸術文化を取り入れていくべきだと考えました。 この考えにもとづいて1916年にはコーポレートアイデンティティを形づくるための意匠部を、さらに1919年には東京・銀座に資生堂ギャラリーを開設します。この時代から『文化資本の経営』を目指していたとも言えます」

資生堂メセナの原点「資生堂ギャラリー」の開設 1919年

資生堂の経営理念に『美しい生活文化を創造します』という一文がありますが、芸術文化も生活文化の1つ。生きていくうえで欠かせないものではありませんが、あった方がより豊かな人生になると思います。そして化粧品もそうしたものの1つです。化粧品に事業転換した時点で、資生堂には芸術文化と接点を持つ必然性があったのだと思います」

経営資産としての企業文化

一橋「もちろん、芸術文化と接点のある企業は資生堂だけではありません。ただ、企業文化を1つの資本、経営資産として明確に捉えているのは資生堂のユニークな点ではないでしょうか。

東京都写真美術館の館長も務めた10代目社長・福原義春は、企業文化をヒト・モノ・カネに次ぐ第4の資本として定義し、それを蓄積・管理するために1990年に企業文化部を創設しました。福原義春は著書のなかで以下のように述べています。

“企業文化部は企業文化が蓄積され、それが経営内部で活用され、再び蓄積される過程を管理し検証する部門であり、また外部の芸術家や文化団体との接点である。そうすることによって、社外の芸術文化活動に流れている新しい価値観が会社のマネジメントの中に組み入れられ、会社全体に新しい感覚を取り入れることができる”(〜福原義春著『ぼくの複線人生』〜)

左:資生堂ギャラリー(東京銀座資生堂ビルB1)右:戦後初の資生堂ギャラリー主催展 第一次「椿会展」

一橋「“企業の文化”と“企業と文化”の関係を上手く活用すると会社の発展に大きく貢献できます。前者は企業内部の文化をマネジメントすること。後者は企業と社会にある芸術文化の窓口になること。この2つはいわばスパイラル。互いに関係し合いながら発展していくのが理想です」

芸術家との絆

1990年に創設された資生堂の企業文化部は、美術展の開催やアーティストの創作支援を続けています。一橋さんはそうしたなかで生まれた芸術家との接点についても語ってくれました。

一橋「1994年に資生堂ギャラリーで『亜細亜散歩』というアジアの現代美術を紹介するグループ展を開催しました。当時、アジアの現代アート作家への注目度はそれほど高くありませんでしたが、中国から蔡國強氏が参加し、生きている亀を展示に取り入れた作品で注目されました。この作品は中国の政治状況が大きく変化するなかで、経済最優先で突き進む社会に対するアンチテーゼだったのかもしれません。

アジア美術展開催「亜細亜散歩」 1994年

企画文化部ではその後も蔡國強氏の創作支援を続け、2007年の『時光-蔡國強と資生堂展』では、火薬を使って四季を表現した作品を公開制作しています。この美術展は朝日新聞に取り上げられ、“企業の文化支援は、費用対効果を重視する投資とは違うけれど、これほどの成果があがれば、やりがいもあるだろう”と言った記事内容で大きく紹介されました。主催者にとってこれほど励みになった記事はありません。

「時光-蔡國強と資生堂展」 2007年6月

今では蔡國強氏は世界的な現代アート作家になり、2008年の北京オリンピックでは映画監督・張芸謀氏の総指揮のもと、火薬を使ったアートで開会式の視覚演出を手掛けています」

北京オリンピック開会式 2008年8月

文化が企業にもたらすもの

資生堂で長年企業文化のマネジメントに携わってきた一橋さんは、企業文化や芸術文化の支援が企業に与える影響について、どのように考えていらっしゃるのでしょうか。


一橋「企業が文化と接点を持ったり、アーティストを支援したりすることについては、何か見返りを求めても即効性はありません。経営に何をもたらしているかという観点では、エビデンスを示すのも難しいものです。

しかし、企業が自社内に蓄積され、培養された文化をマネジメントし社内に伝承させていくことで、社員1人ひとりに精神的な機軸が生まれます。単に“儲かればいい”ではなく、“うちの会社らしいか”、”やる意味があるのか“という価値判断の支えになります。

また外部の芸術文化と関わることで経済性だけではなく社会性や人間性と言った価値観を会社の中に取り込むことができ、モラル低下や不祥事を防ぐことにもつながるでしょう。”企業の文化“、”企業と文化”の関係を上手くマネジメントすることによって、より魅力的な会社になっていくはずです」

文化を継承していくということ

講演の最後に質疑応答が行われました。

なかでも多かったのは、やはり「文化や歴史へのリスペクトを生むためにどういった仕組みが必要か?」、「文化に対する社員の意識を高めるためにはどうすればよいか?」といった質問。それに対して一橋さんが強調したのが、継承していくことの大切さです。

一橋「まずは、自社の企業理念や歴史・文化をきちんと社史等に編んでいるか、継承しているかということ。新人研修で創業の理念や会社の歴史・文化を説明したり、ギャラリーのレセプションに参加してもらったり、やり方はいろいろあります。

さらにマネジメントも重要です。資生堂は静岡県の掛川に企業資料館があって、商品や宣伝制作物、様々な会議資料等を保管しています。いつ役立つか分からないものだからこそ、いつでも役立つように管理しておくことが大切なんですね」


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<イベント概要>
ビジネスパーソンのための「企業とアートセミナー」第一弾
講師:学習院女子大学講師/元・資生堂企業文化部長 一橋忠氏

日程:2017年1月13日(金)
会場:IMA CONCEPT STORE(東京都)
時間:19:30〜21:30
料金:無料
*このイベントは終了しています
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企業文化は”経営資産”である。そう理解していたとしても、経営の中心に「文化」を据え続けることはたやすいことではありません。
資生堂が、”文化とともにある企業”であることが認知されている背景には、経営層による、継承の努力があったのでしょう。そしてそれは、企業の”価値”や”魅力”として、形になっていくのだと思います。

資生堂では2022年の創業150周年に向けて、その11年も前の2011年から150年史編纂プロジェクトをスタートさせています。ここにもまた、「丁寧に時間を編む」という、資生堂の文化マネジメントを感じずにはいられません。

Profile
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登壇者プロフィール

一橋 忠

1975年、株式会社資生堂入社。マーケティング本部販売施策部長兼株式会社アクス社長を経て、広報部長、宣伝制作部長、企業文化部長を歴任。2011年、11年後の2022年の150周年を見据えた「150周年史編纂プロジェクト」の編集長に就任。2016年12月退社。この間、日本広告審査機構業務委員長、全日本CM協議会理事、企業メセナ協議会理事を務める。現在、学習院女子大学講師。

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